第一章2  『木漏れ日』

 それからというもの、時間は流れるように過ぎていき、そんな中でも君は、僕と共に時を過ごしていく。


 3、4時間目と授業を終えて、昼休憩と化し、いつも通りトモと過ごそうとした時でさえ、何故だか副会長の中尾まで追加され、不思議な時間が流れる。


 談笑しながら過ごす不思議な時間。

 僕はそこに、疑念を抱きながら微笑する。


 急に現れた転校生キミ

 いろいろな側面を見せてくれる君を、僕は知らない。



 君は一体、誰なのだろう――。



 何者なのだろう――。



      ※



 ――放課後。



 結局、彼女の素性については何もわからず時間は過ぎ、HRが終わる。いわゆる放課後。


 部活に行く者、残って会話を弾ませる者、寄り道をしようとする者が存在し、大半の生徒はぞろぞろと教室を後にしていく。


 その一部として、自分も帰ろうと支度を済ませ席を立ったのだが、近くに立ち塞がる影が一つあり、不意に声を掛けられる。


「ねぇ、一緒に帰ろ?」


「え?あ、ちょ……っ」


 強引にも手を掴まれ、周りの目を気にせずに彼女は走り出す。

 揺れる髪とその後ろ姿。胸には不思議な衝動がある。


 何かが起こることを予感し、告げるかのように脈打つ心臓。

 鐘の音が鳴り響くように、高鳴るように、揺れ動く。



 それが不思議と、悪い気はしなかった――。



      ※



 学校を後に、帰路の小さな石垣橋を渡る。


 繋がれていた手は自然とほどけており、目の前にいる彼女がウキウキ気分でいることに微笑してしまう。


 反対側の河川敷へと出ると、桜並木があり、彼女は見惚れるように立ち止まる。


「綺麗だね……」


 咲き誇る満開の桜。舞い散る花びら。

 猛々しくも美しい春の象徴。


「うん、そうだね」


 いつも通る道故に、感想は至って普通。

 ただ何度見ても、飽きることはないのがおかしな話。


「もう、描かないの……?」


「……」


 何となくわかっていた。


 僕に近づき、知らないはずの僕を知っている。


 たぶんそれは、昔の自分を知っているということで、逆に知らない人はいない。


「顔出しはしてないはずなんだけどな……」


「君を知らない人はいない。そんなこと、わかっているんでしょ?」


 全てを見抜いているような言動。

 だから少し、心が痛い。


 あの頃の記憶を、思い出してしまうから。


 でも君は、容赦なく現実を突きつける。


 その純粋さ故の笑顔と共に。



「漫画・ラノベ界で最年少の10歳にして、漫画は累計2億部、ラノベはデビューと同時に処女作でミリオンセラーを達成し、累計400万部。その数字をそれぞれ史上最速の2年で叩き出した天才――《神童》『竜胆りゅうたん』」



「……」


「物語に独特の世界感があり、あらゆるジャンルを描くことができる上、年齢層や性別問わず読む者全てを魅了する。その想像力は絶大で驚異的」


「……よく、知ってるね」


「常識。社会現象にまでなってるんだもん。知らない方がおかしい」


「世間は狭いな……」


「君が凄すぎるんだよ」


 皮肉のような、嫌味のような、呆れ気味の口調。



 ――でも、



「……どうして、やめちゃったの?」


 彼女は途端に、聞きづらそうに落ち込む。


 2年前という過去の話を持ち出し、訳を問い、その答えは一つしかなくて、至って単純なだけなのに。


「僕にはね、妹がいたんだ」



 ――そう、いたんだ……。



 ――4年前。



 小さい頃、家族旅行に行った帰りだった。


 曲がり角から飛び出した居眠り運転のトラックにぶつかって、父さんと母さんは命を落とし、妹と僕だけが生き残った。


 ただ、妹は障害を負って、治すにもたくさんのお金が必要だった。



 ――だけど、



 僕ら兄妹には、引き取り手がいなかった。


 父は親に勘当されており、その祖父母を頼ろうにも僕らが生まれる前には亡くなっている。

 母はと言えば、祖父の方は僕が生まれて間もなくして亡くなり、祖母も妹が生まれた3か月後には急死している。

 そして、父母はどちらも一人っ子。


 そのため、残された僕ら兄妹は、近くに孤児院もなく、残された保険金や遺産だけでなんとかやっていくしかなかった。


 周りに頼れる人はいない。


 そんな中で手にしたのが、当時趣味で描いていた小説と漫画だった。


 楽しくて描いていた小説や漫画でプロになれば、たくさんのお金が手に入る。そう考えた僕は、思いつくままに描いた。


 想像力やアイデア、オリジナリティには自信があった。


 それで案の定、初応募した両方で受賞することができて、いきなりデビューにまで話が進んだ。


 でも、小学生という理由からそれが断念されようとしていたんだ。

 妹のためにもこの話を逃すわけにはいかなかった。


 だから、物語を紡ぐのに学歴や年齢なんて関係ないと、思いつく限りの小説や漫画の案、もっとこうすれば業界は変わるだとか、編集部にいろいろな手助けや援助のような、そんな自己アピールをした。


 そのおかげで、最年少にしてデビューすることができた。


 小説と漫画の2本は、大変のようでそうでもなかった。それよりも楽しんでいる自分がいた。

 好きなものを仕事にする喜びを早くも味わって、妹の治療費も手に入る。これほど充実した時はなかった。



 ――けれど、


 2年が経ったある日、妹の容態は日増しに悪くなっていったんだ。


 手術をすれば治ると言われ、そこには多額の費用が存在して、どう考えても不可能な額だった。


 けど、諦める選択肢なんてなかった。


 たった一人の、最後の家族だったから……。


 それに、まだ僅かだけど可能性はあった。


 人気上昇中で、このままいけば手術費も稼げる状況下にあったから。

 ただ、そこにたどり着くまでにはあまりにも時間がなさすぎた。


 人気を勝ち取るのが先か、妹が病に負けてしまうのが先か。時間との勝負だった。


 それからは必死だった。


 好きな漫画や小説でこんなにも必死になって、苦しいと感じたのは初めてだった。今までが甘すぎただけだというのにね。


 それでも僕は足搔いて、もがいて、やり遂げることができたんだ。


 そして受賞式があって、終わってすぐに妹に報告しようと病院に行ったんだ。これで助かるって、心の底から喜んだ。



 ――でも、



 病院に着いた時には、もう……。



 ――そう、



 前代未聞の必死の抵抗は、無駄として終わったんだ。



 それからというもの、何をするにもやる気が出なくて、気が気じゃなかった。


 無理を押し切って活動していた創作は、描こうとすれば、妹を失った時の事を鮮明にも思い出してしまって、描けなくなっていた。



「僕が物語を描いていたのは、妹のため。楽しいから、お金が欲しいから。最初はそうやってきだけど、その根底には必ず妹がいた。妹の喜ぶその笑顔が見たくて、頑張ってきた。でももう、妹はいない……。だからもう、僕には描く理由がない」


 描きたくても描けない。


 それはとても、スランプという言葉ではかたづけられない歪さと、人の死から生まれた現状と感情の複雑さを物語っている。


「……『竜胆』の作品は、主人公が必ず『終焉バッドエンド』を迎える」


「……」


「それは、どうして……?」


 優しい春風が頬を伝う。

 桜吹雪が巻き起こり、彼女は背を向け振り返る。


 そこに気まずさを覚えながら、後ろめたさを感じながら、視線を逸らし揺るぎない事実を口にする。



「あの頃、心がズタボロになって、引き裂かれ、そんな中で物語を紡ぎ、思っていたことがあるとすれば―――死ぬこと。そのただ一つだった」



「……っ」


 複雑そうな表情。苦しそうに胸を押さえている。


 それだけで、君が優しい人なのだとわかるのは何故だろう。


「だから、最後ラストは酷かったでしょ?」


「そう、なの……?」


「クオリティは落ちたし、何より殺伐としていた」


 本当に酷いものだった。

 周りからは賞賛を受けて、そう考えるのは僕が自分に厳しいからだと言われたのを覚えている。


 ただ今でも、そのことを考えると納得できない自分がいる。答えが出ないままでいる。

 だからやっぱり、自分に厳しいだけなのかもしれないと、偽り続けている。


 だってもう、探すことさえ不可能なことだから。


「たぶんそれは、君が優しい人だからだよ」


「僕が、優しい?」


 彼女は唐突にも口を開く。


 僕ほど酷い人間はいない。

 それなのに、君は僕を優しいと言う。


 本当に優しいのは、君の方だというのにね。


「君の描く作品。そこには必ず伝えたい想いがある。だからあんなにも心に響くんだ」


 何を言っているんだろう。あれはただの逃げだ。


 現実を受け入れ、それでも先には進めず、停滞し、そこから描いた絵空事。



 ――なのに、



「それは現実を受け入れている証拠。そこに君が停滞しているのは、そこから先に踏み出す勇気を、君が持ち合わせていないだけ。失ったものは取り戻せない。でも、君に残っているものやこれから手に入れられるもののことを考えてみて。それはきっと、君の探している答えへと導いてくれる」


 君は僕の心を読んで、知っているかのように言葉を並べる。


 並木の陰にいる僕ら。

 あの日差しがまた、桜の隙間を通って、彼女を照らす。

 その光は僕をも呑み込み、彼女は告げる。


「私が、君の先導者となろう」


 微笑む彼女。


 心が何かに包まれて、晴れていくような、そんな感じがする。

 とても暖かくて、懐かしい匂い。



 もしかしたら、きっと――、



 この光は、探していたものを照らし出してくれるのかもしれない。



 不思議にも、そう思った――。



      ※ 『リナリアの導き』



「君が、イラストレーター?」


 瞳に映る君が、疑問符を浮かべている。

 だから私は「そ」と、誇らしげにも答えてあげる。


 すると君は、腕を組んで難しそうな顔をする。

 君の考えていることなんてバレバレだ。


「その顔は信じていないな~?」


「いや……」


「もう」


「ごめん……」


 バツが悪そうに頭を掻く君。

 たださっきの会話と繋がるため、納得はいく話。



 ――だから、



「いいよ。気にしてないから」


 特別に許してあげるのだ。


 でもちょっと、私は意地悪だから君をからかいたくなる。


「これからよろしくね?私の専属作家さん?」


「ああ、うん。よろし……え?」


「ふふ」


「ええっ!?」


 そうそう。私は君のそんな表情が見てみたかった。


 とても間抜けそうな顔。

 そこに面白味を感じるのは、たぶん君だからだ。


「君は今まで、全部を一人でこなしてきた。そんな君は、私たち『創作家』にとって憧れの的。君は頂の景色を知っている。でも、そこまでの道のりは君という存在で険しくなった。だから、もう一度辿ろう。君が失くしたもの、探し求めていたものを取り戻すために」


 そしてそこにはきっと、君の知らない景色がある。


「さぁ、冒険の始まりだ!」


 私もそこに行ってみたい。

 連れて行って欲しいなんて、そんなおこがましい理由じゃない。

 私は、君と見る景色を知りたいんだ。



 これからよろしく――、



 私の、憧れの人――。



      ※ 『心絵』



 ――数時間前、美術でのこと。



『間遠はさ、3年前に交通事故で家族を失くしているんだ。唯一の生き残りだった妹でさえ、2年前に命を絶たれてる……』


 黒縁眼鏡を掛けた、違う印象を覚える彼。

 その言葉が繰り返されるように、脳裏に焼き付けられるように蘇る。


 だから私は、それ故に私は、何故か不思議とペンを執る。感情に駆られるままに筆を執る。



「とや――っ!!」



「「……っ!?」」


 激しく、猛々しく、私は筆を走らせる。


 周りの目なんて気にしない。今は描きたくて仕方ない。



 だって、だって――。



 揮われるペン。


 届けたい思いを胸に、私は真っ白なキャンパスを私色に染めてやる。君色に染めてやる。

 塗り潰し、グラデーションし、影を付け、色を塗る。白黒の君なんて似合わない。


 君は私を知らない。


 けれど私は君を知っている。

 そこにある思い出に、私がどれだけ救われたことか。


 だから今度は私の番。


 君が苦しんでいる時、君が悲しみに暮れている時、その沈みかけた心を晴らして見せよう。


 わかってる。自分わたしにそんな力はないし、君の思うような魅力的な女性でもないかもしれない。

 それでも私は、君の傍にいたい。


 かつての君が、私にそうしてくれたように。


 君がもう、一人にならないように、いつまでも寄り添っていてあげたい。



 ――だから、



「……できた」


 一呼吸を入れ、走らせていたペンを置く。


 色鮮やかに彩られた色彩。唖然と眺めている二人。

 私が微笑し顔を向ければ、気づいたのか二人は口を開いた。


「これって……」


「間遠君、だよね……」


「うん……」


 真っ白なキャンパスに描かれた、君という一枚の絵。


 空を見上げ、髪を靡かせ、気怠そうな表情を見せつつも、君の顔から失われつつあるものを一つ、そこに描いた一枚。


「想像して描いたから、あんまり上手く出来てるかわかんないけど……」


「ううん……」


「全然、そんなことないよ……?」


 嬉しそうに、それでいて今にも泣きだしそうな二人。


 そんなにも喜ばれるとむず痒いものがあるけれど、感動してもらたなら幸いだ。


 ただ、そこに描かれているのは想像だから、あくまで私のイメージだから、本当の君じゃない。



 ――けれど、



 だからこそ、本物の、それこそ心の底からのものを見てみたいと思う。



 ここに描かれた想像上のものではない、君の――、



 心からの、笑顔を――。


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