メタ-フィクション

或海穂入

メタ-フィクション

  ずっと昔から、ここじゃないどこかへ行きたい。と心から望んでいた。

私の居場所は生きているだけで辛いだけの、何も思い通りにならないこんな世界じゃない。私には別の役割が、私にしか出来ない事が遠いどこかにはあるはずだと思っていた。だからこそ、「フィクション」という、ここではないどこかを、この腐った世界から覗けるモノにはとても惹かれた。

 

 学生時代は毎日図書館に通い詰めた。毎日山のように本を借り、それを休み時間に読み、昼休みと放課後は図書館へ行き、借りてない本を読んだ。家ではゲームにハマっていた。フィクションの世界を自分で操作出来る。それはまるで、フィクションの中に自分が入ったようで、キャラを動かし、バトルを行い、ストーリーを追っている時だけは現実を忘れられた。バス通学の途中は音楽を聴いた。掻き鳴らすギターサウンドに乗せて、私の声に出せない声を掬い上げるかのような歌は、私の鬱憤を晴らした。休みの日は映画を見た。電車に乗って1時間半のイオンの中にある映画館で、私は上映時間の間、まさにここではない場所へ出掛けた。そうして様々な創作物に触れていく中で、私は徐々にフィクションへ対しての鋭い感情と引き換えに現実への鈍さを手に入れた。


 私は何もできやしない。その事に気付いたのは高校生の頃だった。それ以前は、何となくやっていてもそれなりに出来るものは出来ていたが、以降は周りが普通に出来ていることが出来ない。そんな状態になった。当たり前だ。私がフィクションに費やした時間と、同じだけの時間をかけて周囲は友達と遊び、学校に隠れてバイトに励み、勉強を行い、部活に参加して社会性と自己肯定感を得ていったのだから。私が得たモノといえば何もない。フィクションは私の内面を救ってくれたが、ガワは何も変わっていない。ただただ中と外の乖離を大きくしただけであった。だからこそ、フィクションは何よりの私の心の拠り所であり、私の存在であり世界であった。


 その後大きくなり、就職してからはその傾向が大きくなっていった。何も成すことの出来ない現実でのストレスを発散させるかのように、創作物に触れる機会は触れていった。しかし、仕事をしていればフィクションに触れる機会は当然減る。仕事をしなければフィクションに触れることは出来ない。私の人生は仕事ではない。仕事はあくまで金を稼ぐ手段であり、人生の目的ではない、私の人生は私の好きなように生きたいが徐々にその手段と目的が入れ替わっていく。そのジレンマは私の精神をひどく摩耗させた。抑うつ傾向が見られはじめ、毎日のように希死念慮も現れ始めた。その頃から電車での通勤は止めた。ふとしたきっかけで電車に飛び込む危険性があるからだ。しかし車での通勤途中になっても、このまま事故を起こしたら楽になれるかもしれないという思いを抱えつつハンドルを握る毎日。会社に着いてからは無表情で感情を殺し、ただ時間を過ぎ去るのを待つ。何を言われようと左の耳から脳を通さず右の耳に抜けさせる。そうして夜になる。帰宅して就寝までの時間だけは救いである。溜まっている作品に触れ、日付が変わる頃に床に就く。そこからは地獄である。昔のトラウマのフラッシュバック、何も見えない将来への不安、承認欲求と現実の乖離による何者にもなれない自分と何者かになれないなら死ぬしかないという思い。自分の左手が首に伸びかかる。ふと上を見れば電灯に紐をかけようか、ふと横を見れば窓から飛び降りようかという甘い誘惑を振り払い、意識を手放すまでの戦いは毎夜続く。

 

 だが、私が本当に死ぬことはないだろうと思う。なぜなら世の中には追いつけないほどの速度で面白い作品が発売されていくからだ。あの新作ゲームの発売日までは生きよう。あのバンドの新譜の発売日までは生きよう。気になっていた本を読むまでは生きよう。好きな映画の続編を見るまでは生きよう。その繰り返しで何とか生きる気力を保っている。そして面白い物語に出会えた時は泣きながら思うのだ。「生きてて良かった」「この作品が生まれる世界には生きる価値が少なからず存在する」と。


 断言できる。私の生きる意味は、面白い作品と出会うことだけだと。そんな人生は寂しいという人がいるかもしれない。結婚して子どもを育てて、家を買って家族に囲まれることが良い人生だと思う人もいるだろう。私は全くそうは思わない。もし、この世界から一切の創作物が消えたなら、次の瞬間私は何のためらいもなく死ぬだろう。私の人生の価値は、私自身には存在しない。私の中の物差しは、私を基準にしていない。私のレゾンデートルは、私の中には無い。

 

 これから先、私は一生世界から目を背け、死にたさを抱えながらフィクションの中で生きていく。しかし、それは現実逃避ではない。私の現実は物語の中にある。そうして生きて生きて生きた後に私の周りには誰もいないだろう。だが、代わりに物語がある。それだけで私は満足して逝ける。そう思う。

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