カザリノツラ
勝山友康
プロローグ
第1話 仁政の死んだ日
「
これがお父さんの口癖だ。
ウチが中学生になったあたりから頻繁に言ってくる。
病院の個室に用意されたベッドの上で上体を起こしながら
相変わらずその言葉をウチに投げかける。
「わかってるから、今はそんなこと気にせんと、はよ元気になりや」
つい先月の事だ。
ウチが高校に入学してすぐお父さんは体調を崩した。
母から告げられたのはスキルス性胃癌だということ。
お父さんはこの事を知らない。
ウチはただ、
大人たちの言う通り、
お父さんの前で明るく振る舞うことだけを気を付けていた。
「美亜、こんな時だからだぞ。自分の体の事だ。医者に言われなくてもよくわかる。お前もお母さんも、いや、ここの病院の人も励ましてくれているが、もうじきお前たちの前からいなくなってしまう」
「……」
この部屋にはウチとお父さんしかいない。
一緒に来ていた母は、担当医に呼ばれて席を外している。
高校生になりたてのウチにはどう返していいかわからなかった。
その時はまだ、
治るのが難しいというだけで、
手術とか投薬とか、治療さえすればまた元気な姿が見られる希望を持っていた。
お父さんが死んでしまう。
本人から言い放たれた悲観的な言葉にウチは動揺した。
「だから、お父さんの話を聞いてくれないか?」
「……うん」
言いたい事は色々あった。
でも、病床に臥す身でありながらお父さんの言葉は力強く、
ウチに何かを伝えようとしている姿を見て、大人しく聞くことにした。
「いい子だ。美亜も高校生になったんだ。世間の事もいろいろわかってきたと思う。この国は間違った方向に進んでいる」
「うん、そうだね。お父さんの言うように、この国は変わってしまった。これからもっと変わっちゃうんだろうな」
言いたいことはすぐにわかった。
数年前にできた国の政策の事を言っている。
衆議院議員のお父さんはこの政策に大反対だった。
でも、お父さんみたいな人は少なかった。
政治家の大半はこの政策を後押しした。
お父さんの表情がみるみる悲観的に変わっていく。
高校生のウチですらわかってしまうほどこの国が変わっていることに悲しんでいるんだろう。
「お前にもわかるか……。お父さんは本当にダメな人間だな。父親としても、政治家としても……」
「そんなことないって、ウチはお父さんの事は大好きやし、尊敬もしてる。ダメな父親なんかじゃないよ」
「美亜……」
「それに、お父さんは今まで頑張ってたやんか。さっきだって、お父さんのお見舞いに後援会の人らが大勢来とったやんか。後援会の人らだけちゃうやろ。お父さんに頑張ってもらいたい人はこの国にはたくさんおるやん。その人らのためにもはよ元気になってまたやり直したらいいやん」
お父さんの目から一筋の涙が流れる。
「美亜……ありがとう。本当に良い子に育ってくれたな」
特に何かできたわけでもない。
でも、ウチの励ましは少しでもお父さんに希望の光を持たせることができたように思った。
「当たり前や、お父さんの娘なんやから。それで、ウチに話したい事ってそれだけ?」
お父さんが涙を服の袖で拭う。
「いや、話はここからだ。これから言うことはお母さんにも秘密にしてほしい。とても褒められたことじゃないからな」
「……うん、わかったわ」
「美亜は帝国大学に進学するつもりなんだろう?」
こんな時に大学の話か。
まぁ、娘の将来を心配するのは父親として当然かもしれない。
でも、それがなぜお母さんに秘密なのだろうか。
疑問があるがとりあえず答えた。
「うん、行けるか分からへんけど、そのつもりやで、それがどうしたん?」
「お父さんは去年、この間違った国を正すため、ある少年に未来を託した」
ある少年?
未来を託す?
唐突に語る言葉の端々に聴きたいことだらけのワードが飛び交う。
「彼は私に言った。『この腐った国を変える』。そんなこと言う人間はそこら辺にいるが、大半はただの愚痴吐きだろう。だが、その少年の目は本気だった。何かしてくれそうな目だった。その少年も美亜と同じ帝国大学に進むと言っている」
「ちょっと待って、何よその話! お父さんは一体何をしようとしてんの?」
ウチの質問にお父さんはただ笑っていた。
ここ数日には見せなかったとてもうれしそうな表情だった。
「何って、今までと同じだ。この国を正しい方向に導く。今思えば、あの少年に託したことが今の私にできた最後の仕事だったのかもしれないな」
最後って……もう死ぬ気でいるのかよ。
そんなこと言わないでほしい。
結局肝心なことは何一つ聞いていない。
「運命かもしれない。この国を正しい方向に進めたかった男の娘、腐った国を変えたいと願う少年、美亜が帝国大学に行くなら、きっとその少年に出会うこともあるだろう」
「さっきからある少年、ある少年って何よ。そいつ誰なんよ。はっきり言って」
ウチも必死だった。
確信を騙らないお父さんにイライラしてきたのかもしれない。
すると、お父さんもウチの焦りに答える気になったらしい。
「そうだな。ここまで言ったんだ。名前ぐらい言ってもいいかもしれない。少年の過去の個人情報は一切変えられている。今の彼の名はちか――」
名前を口にしようとしたその時だった。
お父さんが口元を手で覆った瞬間吐血した。
指の隙間から多量の血が噴水のように飛び散り、寝衣や床に鮮血が飛び散る。
「あああああああああああああ」
突然の光景にウチはナースコールを押した。
そして、床頭台にあるティッシュをごっそり引っ張り出し、血で汚れたお父さんの顔を必死で拭いた。
お父さんの急変はすぐにわかったようで、病室に医者と看護師が数名なだれ込んできた。
そして、すぐにベッドごと病室からどこかへ運ばれていく。
ウチは放心状態でその成り行きをただただ呆然と見ていた。
ベッドが運び出されてすぐ、入れ替わるように顔を真っ赤にして涙ぐむお母さんがウチの元に駆け寄ってきて強く抱きしめてきた。
耳だけでなく、骨からも、お母さんのすすり泣く声が響いてきた。
なんとなくわかった。医者から何か嫌なことを聞いたのだろう……。
三時間後、お父さんは病室に戻ってきた。
いや、お父さんだったと言った方が正しいのかもしれない。
人工呼吸器だと思われる複雑そうな機械と一緒に戻ってきた。
口には緑色の半透明なマスクを付けられて目は開かない。
マスクが曇るのを見て呼吸だけかろうじてできているといったところか。
その日一日、病室に止まったが、お父さんがウチの名前を呼ぶことはもうなかった。
三日後、お父さんはウチらの前からいなくなった……。
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