野良猫からのエール

タマキ

一通のメッセージ

僕は高校に入学して少しした頃、いくつかの失敗をした。

まず最初の失敗は、体育の先生に頼まれて授業で使った道具を片付けに体育倉庫に行ってしまったこと。

そして煙草を吸う同級生数名を、見てしまったこと。

このとき、僕が変な正義感を出さずに大人しく見て見ぬふりをしていれば今のようなことにはなっていなかったかもしれない。

だけど僕は、先生に報告してしまった。


「お前だろ、チクったの。 あのとき見てたよな?」

「たしかに見たけど、僕以外だって見てたかもしれないだろ。 なんの証拠があるんだよ」


実際彼らが煙草を吸っていたのはクラスの大半が知っていた。

けど彼らは告げ口したのは僕だと確信してて、それからだ、いじめが始まったのは。

最初はクラス全員からの無視。

昨日まで普通に話していたクラスメイトに声をかけても、みんな一瞬視線を迷わせてから無言で離れていく。

あぁ、きっと僕と話したら彼らもいじめられるのだろう。

そう理解して、話しかけるのはやめた。

次は机やロッカーの中でペットボトルが逆さまに置かれていて教科書や鞄が汚されたり、靴が隠されたり。

ロッカーには鍵を掛けるようにしたが、その鍵も壊された。

そんなことが何回か続くといじめは、やがて暴力になった。

青痣をつくって帰ってくる僕を母は心配した。

けど僕を一人で育ててくれている母に迷惑を掛けるわけにはいかない、だから黙って耐えた。

日に日に怪我が増えていく僕を、担任は気づいていたはず。

けど担任や先生が僕に話しかけたりすると決まって彼らのいじめは酷くなる。

だから僕は先生たちから逃げた。

助けを求めたかったが、どこからバレて彼らに報告がいくかわからなくて怖かったからだ。



僕は耐えた。

殴られても、罵声を浴びせられても、耐えて耐えて耐えて……やがて耐えきれなくなった。

母から高校生になったんだからと渡されたスマホで僕はSNSというものを始めた。

名前は、ちょうど昨日水の入ったバケツの中に顔を沈められたからだ。

特にこれといった意味もない。

誰をフォローするわけでもなく、僕は一人で呟いた。


『もう消えたい』

『嫌だ、苦しい、息ができない』

『悪いのは彼らの方なのに、どうして』


文字にすることで少しでも救われようとした。

自分の呟いた言葉が新しい言葉をいれる度に下へ下へと沈んでいく。

更に深い場所へと、僕の心も沈んでいく。


それからというもの、僕はなにかされる度に呟くようになった。

されたこと、どんな風に苦しかったか、どんな気持ちになったのか。

全部全部呟いて、どんどん沈んでいく。

やがて僕の心は底についた。


『もう死にたい』


その言葉をうった瞬間フッと、心が軽くなった気がした。

逃げたいとは考えていた、けれどどこに逃げるのかとずっと考え、諦めていた。

だから死という言葉を見た瞬間、あぁ、ここに逃げればいいんだと思った。

最近よく流れるいじめによる自殺。

自殺した彼らも僕と同じように悩み、苦しみ、そしてここに行き着いたのだろう。

死んでしまえば彼らから逃げられる。

長い間痛めつけられ苦しみ、すり減った僕の心はそう信じて疑わなかった。


死ぬならなにがいいだろうと考えた結果、手首を剃刀で切ることにした。

剃刀ならすぐ手に入るし、風呂場でやれば大丈夫だろう。

帰ってきて風呂場で僕が死んでいたら母は驚くだろうが、手紙を残しておこう。

十六年間育ててくれた母への感謝と、謝罪。

それから僕をいじめた彼らのこと。

遺書を書く僕の手は、驚くほどにスルスルと動いた。

書き終わった遺書は封筒にいれ、風呂場の前に置いておく。

スマホも一緒に置いておく、風で飛ばされたりして濡れたら困るから重りがわりに。



お湯をためた浴槽に左手を入れ、手首に剃刀を当てる。

少し力をいれ横に引けば、そこは切れ水が赤くなっていくだろう。

本の少し、腕を動かせば僕は救われる。

……けど、僕はそれができない。

手が震える、ハァーハァーと息が荒くなる。

死ねば逃げられると思ったが、死ぬというのは思ったよりも勇気がいるらしい。

勇気がない僕はあと一歩を動けずにいる。


「くそっ、くそっくそ! 動けよ!」


ガタガタと震える手を動かそうとするが、逆に力が抜け剃刀を浴槽の中に落としてしまった。

拾おうと少し腰を浮かせようとするが、力が入らない。

ペタんっと、座り込む。

情けなくて、涙が出る。


───ピコンッ


静かな風呂場に、スマホの通知音が響く。

母からだろうか。

もしかして仕事が早く終わってこれから帰るという連絡かもしれない。

それなら早くやらなければ。

そう思い力の入らない体を無理矢理動かして確認をする。

そこに写っていたのは、母からのメッセージではなかった。

と名乗る人物からの、へのメッセージだった。




『息ができず苦しんでいる魚へ。

 突然連絡をしてすみません、けどよかったら俺の話を聞いてください』


野良猫は僕からの返事を待つでもなく、長い長い文を送っている。

僕はなんとなく、それを読んでみた。


『俺には姉がいました。 正義感が強くて、頼まれてもいないのに手伝いをしたり自分から委員長に立候補するような真面目な人で、俺はそんな姉が好きでした。 けど、いつからか姉は怪我をして帰ってくるようになりました。 両親も俺も心配して、なにがあったのか聞くと、姉は帰ってくるときに自転車で転んだんだと笑いながら言いました。 そのときは気をつけてね、と両親も納得したんですが、何度も何度も続くと流石におかしいともう一度姉に聞きました。 けど姉は大丈夫だと、やはり笑ったんです。 それから姉は怪我を隠すようになって、俺は姉が心配でしょうがなかった。 学校で姉になにが起きてるのか気になって部屋に入れば、部屋の隅にはビシャビシャになった教科書や切り刻まれた姉の体操着がありました。 姉はいじめられてたんです。 俺はすぐ帰ってきた姉に聞きました、なんで相談しないんだと。 けど姉は大丈夫だから、と繰り返すだけで何も言ってくれなかった。 この時俺が両親に言っていれば……姉は死ななかったかもしれません。 ……去年の六月、俺の姉は学校の屋上から飛び降りました』


去年の六月、学校の屋上から飛び降りた女子高生。

僕はそのニュースを知っていた。

真面目で優等生だった女子生徒が突然飛び降り自殺をし、いじめが疑われたが学校がそれを否定し話題になった。

野良猫は、その女子生徒の弟だという。


『姉は遺書を書いていませんでした、だから学校も認めなかった。 けど俺は、姉がいじめられていたことを知っています。 知っていながら、俺は姉を死なせてしまった。 後悔して、何も言わずに自殺するまで一人で苦しんだ姉に怒り、姉をいじめた同級生を恨みました。 けど、やっぱり、知っていながら止めることのできなかった自分が一番許せなかった。 だからあなたにこうしてメッセージを送りました。 姉と同じようにいじめで苦しんでいるあなたに、伝えたい。 どうか諦めないで、死なないでください。 残されたご家族はあなたが思う以上に苦しみます。 気づくことのできなかった自分を、いつまでも責め続けます』


気づいていながら死なせてしまったという後悔。

野良猫は、何度も何度も、僕に死ぬなと、諦めるなと言ってくる。

姉を救えなかった彼はたまたま見つけた僕に姉を重ねたのだろうか。

だからこうして、一生懸命言葉を送ってくるのだろうか。

いじめによって苦しむのは本人だけじゃない。

そう言ったのは誰だったろうか。

彼も、野良猫もいじめの被害者なんだ。


「母……さん」


ポツリと、口から漏れた言葉。

気づけば僕は大粒の涙を溢していた。

僕は自分のことしか考えていなかった。

母に謝罪を、申し訳ないと言いながら自分のことしか考えていなかった。

僕はもう少しで、母までいじめの被害者にするところだった。

母は苦しんだだろう、泣いただろう。

僕が誰にも相談しなかったのは自分のせいだと、頼りないからと。

あの母なら、自分を責めただろう。

なんでそれを知っていながら僕は……自殺なんかしようとしたんだ。

一人で育ててくれた母に感謝をしているなら、自殺なんか絶対にしてはいけなかった。



僕はボロボロと溢れる涙を拭いながら立ち上がり、

先程書いた遺書を破りゴミ箱に捨てた。

そして浴槽の中に落とした剃刀を拾いタオルで濡れた手を拭き、後片付けをした。

僕の心は、もう決まっている。

自殺なんかしない、母にすべてを打ち明ける。

そして明日も学校に行こう。

僕は僕を育ててくれた母のためにも、生きなければ。






───ピコンッ


通知が届いた。

誰からか確認すれば、俺は思わず笑みを浮かべた。


『心優しい野良猫へ。 

    ありがとう。  

          息の仕方を思い出した魚より』


俺は笑顔の姉の写真の前で、涙を流した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

野良猫からのエール タマキ @Soma08yuu06

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ