#02:強引に(一回戦)


 ―ああーっと、見たこともない技が飛び出したぁーっ!! 極東の名も知らぬ国から突如、このケチャラのリングに舞い降りた新星っ!! 『鋼鉄のオオハシ』ことガンフ!! トゥーカン選手のっ!! これは何だ? 指を伸ばした手を水平に素早く振り抜き、相手に鋭い打撃を与えているーっ連続!! 息もつかせぬ連続攻撃だーっ!! 相手のソンバヌイ選手、なすすべなし!! ガンフの攻撃はとどまることを知らないぃぃっ!! 右、右、今度は左だぁ!! たまらず間合いを取るソンバヌイ! しかし今度は何だ? 手の平を開いて? 相手の顎めがけて腕を突き入れたぞぉぉー!! 何というっ!! 何という変幻自在の打撃!! これは決まった、ソンバヌイ選手膝からあえなくダウン!! ガンフ・トゥーカン、鮮やかに一回戦を勝利しました!!………


「そろそろ自分帰ります。帰って適当なもの食べて寝ます」


 さて、気持ちを切り替えて明日に望まないと。肩からずり下がっていたバッグを担ぎ直して僕はその場を立ち去ろうとするけど。


「待てよ少年、パスポート持ってるか? 他にもいろいろ手続きがあるからもう動いておいた方がいい」


 長髪おっさんは構わず諸々をそう続けようとしてくる。いやいや、僕も構ってなんかいられない。


「いやいやいや、なんですか? 自分は出るなんて言ってませんし、その、なにマチュラでしたっけ、聞いたこともないですし」


「出てみないか。少年のガタイなら、頂点を掴める可能性が高い」


 ガタイだって?


「自分はただの水太りですし、筋力も体力もありませんよ。ましてや格闘技も、他のスポーツでさえ、まともにやったことなんか無いですし」


「原石。ケチュラのリングにて、それは光り輝く」


 くくく、と長髪おっさんが悦に入った顔で言うが、相手にしてはいけない。


「本当に帰るんで」


 踵を返し、立ち去ろうとする僕。もう何か今日はいろいろありすぎてあかん。あかん感じだ。本当に帰って早く寝てしまおう。


「少し話をしようじゃないか、少年。酒でも飲みつつ」


 まだ言うんですか。


「俺はオオハシ。自由人だ」


 変人だ。かかわってはいけない。隙をうかがえ。必ずチャンスは来る。逃走のチャンスが。


「少年。君は今まで何かを成し遂げたことはあるかい?」


 長髪おっさんは濁った、しかし鋭い目で僕を見据えてきた。


「……ずっと逃げてきたはずだ。現実から。現実の自分から」


 それは確かに図星だけれど、それには様々な事情ってものもあるわけであり。会ったばかりの人間にそれの何がわかるっていうの? 僕は少しイラついてきた。


「だったら何だっていうんです? 逃げない人なんていない。みんな多かれ少なかれ逃げてるはずです」


「そうだ。逃げている。目を背けている。それが普通だ。だが……」


 再び人の顔先に指を突きつけてくる。


「自分にも気づかない才能があったら? 才能を咲かすのは、運との巡り合わせだ。ほとんどの人間がそれを見いだせなかったり、磨かずに終わってしまう。少年の場合、ラッキーなことに今、この瞬間にそれに巡り会えたんだ。それこそが『ケチュラマチュラ・ハヌバヌーイ・シラマンチャス』」


 またも自信ありげな顔つき。ぐうう、疲れる。


「『世界一』になるチャンスなんて今後ないぞ。今しかない。俺と組まないか。少年、君には眠っているケチュラの才能がある」


「ですから!! 一見で才能あるとかなんて決めつけられるのはよく理解できませんし、本人のやる気もなければどうせうまくいきっこないでしょうし。ええとですね、はっきり言いますよ。そのケチュラですか? 自分はやりませんから」


 僕も負けじと、きっ、と睨みつけ言い切る。こういった人に曖昧な態度は禁物だ。だけど相対する人は、その返しすらも想定内みたいな顔つきでふんふんと頷くと、


「……わかったよ。少年。だがせっかく知り合ったんだ。酒なりメシなりちょいと寄ってこうや。そこで少し話でも。おごるからよぉ」


 長髪おっさん、オオハシはそう食い下がってくる。もぉう、何だっていうの。こうなったら……


「お断りします。帰るんで」


 きっぱり背を向けて立ち去ることにした。だが、


「逃げるのか少年。男らしくねえなぁ」


 そのひとことにキレた。大脳の底の底の方がひんやりさせられたような感覚。逆に顔面には熱が、かちかち鳴り始めた奥歯のところから広がっていくように感じられている。


 この発言は聞き捨てならない。


「男らしくない? いい加減にしてくださいよ。男は逃げたらいけないんですか? 女は逃げても? ふ、ふざけないでください。それに自分は逃げてない。ふざけた、くだらないことに関わらないようにしているだけです」


 向き直りながら、僕は震える唇を何とか動かして言い放った。しかし、


「いや? 逃げているんだよなぁ、今この瞬間も。いいのかな? そんなグズグズに日々を送ってていいのかな? ここらで一発、スカンと生きてみようぜ。輝くんだよ、瞬間に。そんな吹っ切れ方、これから先いったらどんどん難しくなるぜえ」


 オオハシは僕の剣幕にも動ぜず、相変わらずの勧誘姿勢でまくしたてる。何だろう、このしつこさは。他人が拒絶の態度を思いっきりとっているっていうのに。引かないのか何なんだ。どれだけ……自分に自信を持っているっていうの? それはちょっとうらやましいけど。


 なんだか僕は少しおかしくなってきてしまった。こんな押し、されたこともないし。


「どうした少年?」


 少し微笑んだ僕の様子に、ちょっとビビッたような顔のオオハシ。やった。初めてメンタルで優位に立てた、かな?


「いや、何か。久しぶりに腹から声出したなと。ええとしょうがないですね。話だけ、聞きますよ。お酒はあまり飲めないんですけど」


 折れた、わけではない(と思いたい)。ただ普段から閉塞感に少しづつ押しつぶされようとしながら、大学とか友人とか、これからの就職とか、当たり障りないよう無難に無難に……生きてきたのは事実だ。それでも、先ほどのようなやつにたかられたりもする。強くなれば、いや強く見えさえすれば、あんなこと無くなるんだろうか。自信が持てるのだろうか。


「オーイエス。俺たちゃ無敵だ。無敵のコンビ誕生だ」


「いやいや、話と食事だけですって。それにさっき見てたでしょうけど、僕お金本当にないですよ。今も、全財産も含めてって意味ですけど」


「駅前の『ボイヤス』に移動だ。いやあ、いろいろやらんといかんなあ」


 僕の問いには答えず、オオハシはよたよたと駅の方向へ歩き始めた。しょうがなく僕もそれに続く。


 ……この選択が、

 ……このおっさんの誘いに乗って飲みに繰り出した事が、


 後の僕の人生を大きく変えることになるとは思いもしなかったわけで。

 僕の人生の歯車は、耳障りな音を立てながら廻り始めようとしていた。


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