六夜目 『サヨナラ』と『飛行機』


今、ワタシは大阪行きの航空機内にいる。


大阪への出張は珍しいものではない。昨年から続いていた関西方面での仕事が、今年に入り加速し始めたため、3ヶ月に一度は大阪を訪れる機会を得ている。


大阪への移動手段は、いつも新幹線と決めていた。

その理由はワタシの『飛行機嫌い』にある。行き先が海外や離島の場合は仕方ないが、目的地が「地続き」なら、多少の時間が掛かっても新幹線か車を利用してきた。


今回もまた新幹線で向かうことに決め、インターネットで時刻表を見ていると「なんで、飛行機で行かないの?」と、いつのまにか現れた彼女が訊いてきた。


「嫌いなんだ、飛行機」

「なんで?」

「地に足が着いてない感覚が落ち着かなくてさ」

「ふーん・・・でも空飛んでるんだから当たり前じゃない?」と、ワタシの顔を覗き込みながら彼女は言う。

確かにそうだ。ふたりで笑った。


暫くして彼女が言う。


「あなたの飛行機嫌い、私のせいでしょ?」


そうかもしれない。

あの夏の日。彼女がこの世から去ったあの日から。


羽田発、伊丹行き。


以来、ワタシは飛行機が好きではなくなった。



「馬鹿言うな。もともと嫌いだったんだ。お前のせいじゃない」

取り繕いつつ、ワタシは応える。

彼女は、少し困ったような表情でワタシを見つめて「うそつき」と言った。


ワタシは、黙ってモニターを見つめながら考える。

今、このまま新幹線の予約をしたら彼女はどう思うのだろう?

かえって責任を感じさせることになるのだろうか?


「あなたの飛行機は落ちないよ」妙に真剣な表情の彼女が言う。

「だから大丈夫。飛行機で行きなさい」


おいおい、珍しく説教じみた言い方じゃないか。


「私、そういう気の遣い方って、好きじゃないな」

「言ったろ?お前のせいじゃないんだ」そう言いながらワタシは彼女のほうへ振り返る。


そこにいる彼女は泣いていた。

初めて見る彼女の涙。生前には絶対に見せなかった大粒の涙。


泣くなよ。こっちまで悲しくなる。


彼女は涙を堪えながら、ひとつ大きく息を吸い、言った。

「もう、私の『呪縛』から離れなさい」


呪縛?


「あなたは優しいひとだから、いつもそうやって気遣ってくれる」

「あなたのそんなところが大好きだった。でも、もういいの」


ワタシは無言のまま、彼女の言葉を聞いていた。


「私があなたの前に現れなければ、良かったんだよね」

「ごめんなさい」



謝るなよ。

頼むから。

涙が出るから。

言葉が出なくなるから。



ワタシの傍を離れ、彼女は背を向ける。

掛けるべき言葉が見つからないまま、ワタシはただ呆然と彼女の後ろ姿を見ていた。

このときのワタシは、きっと世界で一番、間抜けな男だったに違いない。


最後に振り返った彼女の目には、もう涙はなかった。そして、かわりにそこにあったのは、夏の日に揺れる『向日葵』のような笑顔だった。


「さあ」彼女は言う。

「恋をしなさい」

「あなたは、恋をしなさい。そして、もっと素敵になりなさい」


ワタシは涙を堪える事が出来なかった。


「あなたが選ぶ素敵な女性と恋をしなさい」

「『亡霊』とではなく、ね」


最後に悪戯っぽく言い、小首を傾げてにっこり笑うと、彼女は消えていった。

彼女の残像を見詰めながら、ワタシは確信した。

もう、『彼女』とは逢う事が無いのだ、ということを。



今、ワタシは大阪へ向かう機内にいる。


よく晴れた9月の陽を浴び、窓から見える主翼がきらりと光った。

眩しさに目を背けようとした一瞬、そこに『彼女』がにっこりと微笑んでいるような気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る