冥府より異世界旅

並行双月

第1話

 季節は冬の真っ最中、ここ最近雲がなく、透き通った晴天が大地に蓋をしていた。今日も順調に皆勤を続けている太陽が絶え間なく黄色い体温を飛ばすも、冬のおねぇさん特有の肌寒さは消えない。それを身近に感じつつ、学校帰りの少年は衣服で隙間なく固めた身体を外の冷たい空気に晒しながらも、速歩きで自宅へと向かった。日が沈むにはまだまだ時間がかかりそうだったが、それでも一刻も早くゲームの続きがしたかった少年は足にさらなる負荷を加える。今の少年にとって、例のゲームにいくら時間を投資しても足りないぐらいだ。夜空を思わせる黒髪に、幼い顔立ち、中性的な見た目をした少年の容姿は人の目を惹き付ける何かがあった。そんな彼は学校ではちょっとした有名人なのだが、本人はそのことを知らない。


 少年の通っている高校にいる人達は優しかった。たとえいつも仏頂面をしていて、たまに独り言をつぶやく少年でも、周りからの好意が途切れることはなかった。そんな少年は最後の体育の授業で体力を使い果たしたにも拘らず、無理をして駆け足で家の前に着くなり、血に飢えた猛獣のように玄関に駆け込み、3階の自分の部屋へと猛ダッシュを決めて見せた。じんじん疼く両足の感触を確かめながら、少年は息切れをうまく整いつつ、さっそくパソコンに電源を入れ、1年前から始めたゲーム


"ロースト・エレメンタル"


ー通称『LE』ー


発売前からゲーマーたちの注目を集めていたRPGに分類されるそのゲームを少年はコンティニューした。データが読み込まれるとディスプレイ一面に


『1年間ご利用頂きありがとうございます!』


とのテロップが表示された。


 365日目のログインボーナスをもらい、達成感を味わいながらも、急に何かを思い出したのように少年はさっきまでの喜びをどぶに捨てたかのように顔を歪めた。


「そういえば...」


不機嫌一杯そう言う少年はどうやら、3日後に行われるであろう期末試験のことを思い出してしまったみたいだ。期末試験に毒づきながらも、惰性に任せて5年間愛用している椅子に身体を沈めると、足元に置いたバッグから参考書を取り出すとペラペラめくった。


成績は平凡。


勉強しなくとも赤点は取るまいと意気込む少年は優等生とは言えなかったが、中の上ぐらいの順位はキープするように心がけていた。参考書を黙々とめくり、しばし時間が経つと、少年はもう勉強は大丈夫そうだと教材を床に無造作に投げ捨てて、すぐに待機させていたゲームを再開させると画面に目を凝らせた。


「..お、やっとできたのか。」


嬉々として独り言を口に出しながら、少年は右下に点滅しているクラフトメニューからあるものを受け取った。少年が受け取ったのはこの前クエストで手に入れ、一昨日武器職人にフル強化を依頼しておいた片手剣だった。派手に炎が剣身に纏うタイプの属性付きの精霊剣だった。さっそく性能を試したくなって、受け取った片手剣を装備させると、少年は両手でキーボードとマウスを器用に使いながら、攻略しようとするダンジョンにアバターを移動させた。初期値の攻撃ポイントがかなり高く設定されていたため期待していただけに、どうやら少年の期待した通り、炎を纏う例の剣は今までで一番使い勝手がよく、いつもよりもサクサクッと気持ちいい技を連発させながら雑魚を蹴散らしていった。高速に敵を仕留めていく自分のアバターに満足げな少年はしばし雑魚を狩り続けていたが、今度はその武器の性能にマッチするスキルを見極めようとスキル画面をいじりはじめた。色々ためしたあと、現時点のスキルに納得した少年さらに早いペースでダンジョンを進めていき、一際大きい部屋の前にたどりつくと、部屋の前に立ち止まった。どうやら中ボスのいる部屋に到着したようだ。心の準備をするまでもなく、少年はためらうことなく中ボス部屋に一歩踏み込むと、何か肩幅が異常に大きい人型のシルエットが見受けられた。


「ゴーレムかよ、めんどくさっ!」


どうやら中ボスとして屈指の硬さを誇るゴーレムと鉢合わせてしまったらしい。

ゴーレムというものは中ボスという位置づけがほとんどのくせしてなかなか倒れてくれない。それもそうと、HPが高い上に防御力が馬鹿みたいに高いのだから倒すのにすごく時間がかかるのはもう嫌な程わかっていたことだ。少し前、ランキングイベントで毎日ゴーレムのいるダンジョンにこもり、やっと規定数のゴーレムを倒せたと思ったら不意打ちでノックバックをくらってしまい、スタンになったところで袋叩きにされ、リタイアさせられた時のトラウマはもう二度と思い出したくない


「ほんっと硬い。」


攻撃するたびに出るダメージ1を眺めつつ少年は独りごちた。何か大技でも与えない限り、大してダメージが入らないゴーレムに、どうもさっきまでのテンションが台無しになったようだ。嫌気がさしたか、少年はゲームをオートプレイに切り替えてベッドに横たわった。横目で自分のアバターが執拗にゴーレムに斬撃を加えている絵面を見ていると不意にケータイが鳴り始めた。


「もしもし?今からみんなでご飯食べに行くんだけど、一緒に来ない?」


電話の向こうからいかにも優しそうな女の声がした。どうやらクラスの副委員長から直々のお呼びらしい。呼び出されそうになった少年は引きこもりではないがインドア派ではあった。そんなわけで外には出たくないインドア教徒は少し悩んで上手く断る言い訳を考え始めた。


「今日体調悪いからパスだな。」


「昼間元気だったじゃん。もしかして勉強でもしてるの??」


「まぁ、そんなとこかな」


少年は今まさに勉強していますよ、と、床から参考書を拾いあげて、故意にペラペラと音が立つようにページをめくった。


「へぇ〜、勉強してるんだ..ちょっと意外かも...少し残念だけど....試験勉強頑張ってね。今度暇ができたらまた誘うね!...じゃっ」


「..おう、また明日な。」


なんとかはぐらかすことに成功してほっとする。もう邪魔は入らない。少年は明日早起きのためのアラームを設定して、先程オートプレイに設定した対ゴーレム戦をながめ、明日の提出物はどうしようか考えることにした。


「!!!?」


不意に頭の中から轟音が鳴り響く。急に地面が揺れたと思ったら、体中から一気に血が抜かれるような錯覚を覚え、だんだんと動悸が激しくなり少年はベッドから転落した。転落してもなお痛覚は働かなかった、それも一切の触覚すら機能しなくなっていた。


起き上がれない。


だんだん視界が白くなって、嘔吐しそうになりながらも吐く気力がない。


胸が苦しい。


呼吸できない。


気が付けば少年は大の字になって床に張り付いて動かなくなっていた。必死に声を出そうとするも声が出ない。そのうちに猛烈な睡眠欲に駆られた。睡魔に抗おうと全身に力を入れようとするも自分の意識が遠のいて行くのを感じた。


少年はやっと死の鎌が自分の首を掠めたことを悟った。


『嘘だろ、、まだ死にたくない!!』


『まだやりたいことがいっぱいあるのに!』


少年は夢中になってもがいた。


ひんやりとした床とキスしながら少年は人生の中で一番長い時間を過ごし、とうに限界を超えた少年はいよいよこの世界における人生に終止符を打つことになった...



ぽつん....ぽつん....

........



不意に少年は何かが滴る音が聞こえたような気がした。


世界はまだ少年を見捨ててはいなかった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


冬の風にも似た冷たい空気が死の匂いを運び、少年は流動する空気に当てられて、激しく全身が揺れた。


少しして、これ以上ないというぐらい黒い空間から、それは現れた。


人を愛し、人を管理し、常に人の形をしていたそれは、とても人と形容するにはいろいろかけ離れすぎていた。


彼は天に手をかざすと、黒い粘り気がある液体が空から少しずつバタバタと落ちてくる。


それを器の中に溜め込むと、意識があれば断固拒絶するであろう少年の口の中に一気に流し込むと、何かを思い出したかのように少年の前から姿を消した。


...少年の時間はここで止まった。

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