二人だけの世界

 


 それはまだ、僕が車の免許がなくて、君の車の助手席に座っていた頃だった。

 マニュアル車のシフトレバーを動かす担当は僕だった。

 冬の寒い日は、君は座っている腿の下に左手を入れたまま、右手だけで運転していた。

 君がクラッチペダルを踏むのに合わせて僕がシフトレバーを上下に動かす。前の車は4速までだったからよかったけど、君の車が5速車になってからは、5速目がなかなかうまく入らなくて、その度に君をいらだたせた。



 まだ君の車が4速車だった、ある冬の終わりに、海岸伝いに西に走るドライブに行った。

 行き先を決めたのは君だったはずだ。

 出発してから目的地となる場所までの約50kmは、左側はすぐに山が迫り、右側は海、という岩石海岸で、この国道はこの辺りの東西を行き来する唯一の幹線道路だ。

 反対車線の壁の上にテトラポットが顔を覗かせているくらいに海が迫っているから、冬のこの時期は北西の季節風にあおられて波しぶきが道路に大きくかかる。だから、曇り空の今日みたいな日も間欠ワイパーが欠かせない。ちなみに、ワイパー動かす担当も僕だった。

 ただ、信号が数kmに一カ所あるかどうかの国道だから、シフトレバーを動かす仕事はめったになかった。

 


 ほとんど停車することなく、土曜日の昼下がりの空いた国道を快適に車は走った。その間、僕らは、地元のFM局のラジオをBGMにして、テレビ番組の話や、玉撞きの話や、仕事の愚痴なんかといった他愛もない話をした。



 夕方が始まる少し前に、この日のドライブの目的地に着いた。

 反対車線の海側にある小さなドライブインの、小さな駐車場に車を停めた君は、冷たい風に気後れすることなくドアを開けて車外に出た。僕は少し躊躇してから風の抵抗で重くなったドアを開けて遅れて車外に出た。

 すぐに冬の季節風が君と僕の髪の毛を引っ張り、目を細めさせた。


「この階段を降りていくの」


 君は髪を後ろに大きくなびかせたままドライブインの建物のすぐ横の小さな階段を降りていった。僕は階段が設置されている理由をいぶかしく考えながら付いて行った。

 階段は、人一人がようやく上り下りできる幅しかなく、傾斜は至って急だったので、足元を見ながら降りていかなければならなかった。途中で、君は何かを話していたようだったけど、強風のせいで全く聞こえなかった。



 幅が少し広がり、傾斜も緩やかになった階段の終わり近くになって、この場所がどんなところかわかった。

 そこは、両側が高い崖になっている幅が十数メートルしかない小さな海岸だった。

 海岸は、拳骨くらいの丸い石が敷きつめられていて、灰色だと思っていた海をよく見ると、白い泡のようなものが波の上にたくさん見えた。


“波の花”だ。


 波の花は、冬、風が強く寒い日に特定の場所で、特定の気象条件が重なったときにできる自然現象だけど、この目で見るのは初めてだった。

 混ぜすぎたホイップクリームみたいな白い泡は、海の向こうからやってきて、一旦は、敷き詰められた石にしがみつくも、さらに強風にあおられて飛び去っていった。また、波打ち際にある石もごろごろと音をさせながら波にもまれていた。

 間断なく続く強風の音と、ごろごろと鈍い音をさせる石、そして、音も名前もなくさすらう波の花。それが、この狭い海岸の全てだった。



 僕と君はしばらくそこに居て、非日常的な不思議な自然の営みに見入っていた。それは、まさに二人きりの世界だ、と思っていたのだけど、すぐに、そうじゃないことに気がついた。目の前で繰り広げられている永遠の自然の営みは、僕ら二人の存在を全く無視していた。そして、おそらく、彼らに無視されていることに僕ら二人、ほぼ同時に気がついた、はずだ。


 まもなくお互いが手振りで合図して階段を登った。

 ドライブインに入ることなく、車のシートに戻りドアを閉めたら、思いもかけず、そこが音のない二人だけの世界だった。



 帰り道、BGMはなんだったんだろう。

 僕らはどんな話をしたんだろう。


 それは、ちょっと思い出せない。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る