沈める



「何を見ているんですか?」

 

 橋の欄干から身を乗り出して下を見つめる男に聞いた。


「自分の車が渦に飲まれていくさまを見ています」


 男はそう答えた。


「私には何も見えませんが」


「そうですか。今、ボンネットは見えていますが、もう間もなく全部沈みます」


 男は横に居る私に目を向けることなく、下を見つめたままそう言った。


「なぜ、あなたの車が此処で沈んでいるのですか?」


「もう、用が無くなったのでここに沈んでもらうことにしたのです」


「こんなところに沈めるなんて、どうかと思いませんか?」


「ほら、ご覧なさい。全部沈んでも、なお、潮の渦が止みません」


「環境にも悪いと思いませんか?」


「質問がお好きな方だ。ガソリンは全部抜いてあります」


「いや、そういうことじゃなくて…」


「かれこれ、これで丁度30台目になります」


「あなたが沈めた車の数がですか?」


「そうです」


「そんなに…」


「もう、用が無くなったんです」


「こんなところに沈めるのではなくて、業者に売ったりすることは考えなかったのですか?」


「いいえ。私が業者ですから」


「ええ?そんなことをして許されると思っているんですか?」


「誰に許されないのですか?」


「誰にって、世間一般にですよ」


「海の神様にはさっきお参りを済ませていますから」


「いや、そういうことじゃなくて」


「ほら、ご覧なさい。潮の渦が逆回転を始めました」


「失礼します」


 その場を立ち去ってだいぶ歩いてから振り返ったけれど、男はずっと橋の欄干から下を見つめたままだった。


 土石流で水の流れが止まったままの川で、男はいったい何を沈めたというのだろう。




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