星に、願いを。

金糸雀

第1話 On the Ground

 私が通う桐林とうりん大学では、11月の学園祭の他に、7月にも似たようなイベントがある。それは七夕祭といって、毎年7月第1週の金曜から日曜にかけて開催されることになっている。

 七夕当日と七夕祭の日取りが重なることは数年に1度ある。今年は、七夕祭の初日がちょうど七夕にあたる。


 しかし七夕というのは日本においては梅雨真っ盛りの時期であって、晴天は期待薄だ。今日も朝から、どんよりとした空模様だった。


 七夕祭開催中は、講義は全て休講になり、学園祭のものよりは小規模だが、模擬店が出る。そして、笹飾りが構内の何箇所かに用意され、学生は思い思いの願い事を短冊に書いて、笹に結び付けてよいことになっている。


 私は、駅前のコンビニで買ったストロングチューハイを飲みながら、大学構内ここまで歩いてきた。私はまだ19歳だが、酒類を買おうとする時に年齢確認を受けたことは一度もない。年齢で門前払いされることなくアルコール飲料を入手できるのは嬉しいが、つまり私は老け顔だということか、と考えると、少し腹が立つ。どんだけ老けて見えているのかと。だから、考えないようにしている。


 私は、広い通路の両側に並ぶ模擬店を素通りした。一生懸命お店をやっているのであろう皆さんには悪いが、私は、こういうものにはあまり興味がないのだ。


 それよりは、笹飾りだ。

 私は、七夕の短冊や神社の絵馬に書かれた他人の願い事を見るのが大好きだ。時々、とても面白いことが書いてあるからだ。去年の秋、交際3ヶ月目だった恋人と立ち寄った神社で、面白すぎる絵馬がツボにハマってしまい、笑い転げていたらドン引きされ、それっきりその彼とは自然消滅してしまったのだが、生まれて初めての交際相手を失うきっかけになって、それでも私は、他人の願い事ウォッチングがやめられない。そういう性癖なのだろう。悪趣味であることは自覚している。しかし、直すつもりはない。


 早くもアルコールが回り始めた頭で、構内で一番短冊の数が多い笹飾りの前に立つ。順番に、時には笹を掻き分けながら願い事を読んで行く。合間合間に、チューハイをちびちび飲む。


 『単位が来ますように』

 『単位くださいお願いします』

 『語学の単位落としませんように』


 お前ら、それは神頼みすることではないだろ。単位とは、自ら努力して掴み取るものだ。というか、単位ほしい奴多すぎだろう。もうすぐテスト期間とはいえ、これはあんまりだ。それにオリジナリティがなさすぎて、願い事ウォッチャーとしては面白くない。


 『卒業できますように』

 『進級できますように』

 『今年こそは卒業したいです』


 うわぁ、ちょっとヘビーなのが来た。しかも三連発。まだ学年の半分を残す、この時期から卒業なり進級なりを願うというのは、よほど切羽詰まった状況なのだろうか。いずれにせよ神頼みしている場合ではないと思うが、悲壮感はひしひしと伝わってきて、さすがに笑えない。こうはならないようにしたいものだ。まぁ実際、私とて割とヤバいのだが。


 それにしても、就職内定関係の願い事が見当たらないのは、昨今の売り手市場を反映してのことだろうか。桐林大は、「よくも悪くも地味だけど、就活での人事の受けはいいし、学歴フィルターもだいたい通る」といわれており、そのおかげもあって、この時期まで無い《ナイ》内定で過ごさざるを得ない、といった事態は回避できる学生が多いのかもしれない。


 『百まで生きたい』


 私は、口に含んでいたチューハイをブッと噴き出した。

 誰だ、こんなじじむさいこと書いたの。

 長寿というのは、明らかに七夕に願って叶えられる事柄の範疇外のような気もするし、というか、

“老後に向けては2,000万円貯めておかないと生きて行けませんよ”とか国の機関が発表してしまうようなこのご時世に、生きたいのか。百まで。金は続くのか。明るい老後を送れる公算はあるのか。どうなんだ一体。

 「ぷくくくく……」と私は笑いを漏らす。


 『嵐のコンサート今年こそは行けますように』


 あぁ、これは知ってる。確か、学科のみんなで、学生控室で七夕の短冊に願い事を書こうということになった時、4年生の原田さんが書いたやつだ。

 

 「原田さん、嵐が好きなんですね」

 「そうなの。でも、チケットの倍率すっごく高くて、行けたことないんだ。嵐ってもうすぐ活動休止しちゃうでしょ。だからその前にどうにか、って思ってるんだ」

 「それで、神頼みですか……」

 「何。おかしい?笑うなら笑いなさい。もうね、行けるもんなら神にでも悪魔にでも頼むよ私は」

 そんな会話を交わしながら、内心でジャニーズファンの人って推しに対するエネルギーの大きさがすごいな、などと思ったものだ。


 『部屋にゴキブリが出なくなりますように』


 これは、私の願い事だ。

 原田さんには、

「それこそ神頼みしてないで部屋の掃除しなさいよ」と突っ込まれた。


 私がいわゆる汚部屋住人であることは、学科の仲間内ではみんなが知っている。もとはといえば、ひょんなことから1人に知られただけだったはずが、あっという間に周知の事実となっていた。これは、狭いコミュニティ内における情報拡散の速さを思い知った出来事だった。


 原田さんからの突っ込みには、

「えーでも、掃除の仕方がよくわかんないんですよね。それに、部屋を掃除すれば出なくなるものなんですかゴキブリって。掃除してもまたゴキブリが出たら悔しいじゃないですか」と答えた。


 「んーじゃあとりあえず毒餌どくえでも置けば?自分で殺さなくても、食べたゴキブリがどっか見えないところで勝手に死んでくれるから楽だよ。――私は、ゴキブリが出る出ないはとりあえず措いといて、宮原さんは業者使ってでもその部屋どうにかした方がいいと思うけどね」


 原田さんは投げやりに答えた後、

 「私これから、あの一番大きな笹飾りのある方行くから、ついでに宮原さんのも結んでおいてあげる」

と、私の短冊も受け取り、ミニバッグを持って学生控室を出て行った。

 その時、他のみんなはまだ、願い事を書けていなかったので、原田さんは私の分だけを持って行ったのである。結局、願い事がこれといって思いつかず、書かず仕舞いだった人も多かったと記憶している。


 原田さんはあの後、ちゃんとここに短冊を結んでくれたんだな。

 よかった。私の願い事は、極めて切実なものだったから。今度会ったらお礼を言わなければ。


 さて、それはそれとして短冊。他の人の短冊を見なければ。


 『一生遊んで暮らしたい』


 私も私も。でも、無理だよね現実として。

 働かないと生きて行けないから人生って大変。呑気にしていられるのは学生のうちだけだから、私はこうして今を楽しんでいるのだ。ストロングチューハイ飲みながら、願い事ウォッチング。最高に楽しい。幸せ。


 『猫になりたい』


 正直、気持ちはよくわかる。陽だまりでのんびりと寝て、お腹すいたら起きる。そんな暮らしを送りたいものだ。


 『リア充爆発しろ!』


 そんなこと短冊に書いてどうするよ。叶えてほしいのかそんな願い事。

 というか、願い事かそれ。

 それが願いだとして、叶ってしまった結果、街中でリア充というリア充が爆ぜて死にでもしたら嬉しいのか。悲惨な絵面えづらだと思うが、そんなもん見たいのか。どうせ書くなら素直に、「リア充羨ましいので俺も彼女がほしいです」とかにしとけばいいのに。


 『ずっと俺のターン』


 さては書きたかっただけだな。ネタが古いし、ちょっとどうかと思うぞ。

 

 どうも今しがたみた『リア充爆発しろ!』といい、「ノリでただ書いてみました」という風情の短冊もちらほら混ざっている。まぁ大学生ってふざけたい年頃だしね。私も大学生なのだけど、とりあえず自分のことは棚に上げてそんなことを考える。


 『みんな死ね』

 

 ギョッとした。ユルいネタ系の短冊との落差がすごい。

 誰、これ書いたの。マジで怖い。怖すぎて笑えない。

 筆跡を見るに女子っぽい感じだが、あなたどうした何があった。

 というかこれって願いじゃなくて呪いというのと違う?


 『夏のコンクール優勝できますように』

 何のコンクールかは知らないが、意識高い系の願い事ですこと。

 真面目な人もいるんですねぇ。

 こうして酒飲みながらしょうもない趣味を楽しんでいる私なんかとは違って。


『ギターもっとうまくなりたい』


 高校生か。いや、大学デビューで軽音サークルに入った新入生かもしれない。だとしたら、頑張れ。

 ちなみに私は、ギターちょっと触ってみたけど「Fコードが弾けない」ところにすら辿り着かずにやめたよ。あぁこれ無理、って思ったわ。向き不向きってあるから、ギター駄目だったらキーボードか何かに転向するといいかもね。


 そうこうするうち、私はストロングチューハイを飲み干していた。短冊もあらかた見たし帰るか。そういえば『新世界の神になる』みたいなイタいのはなかったなぁ。全体的に不作気味だったな、期待してたんだけど。まぁこんなもんか。 


 アルコールが回った頭で、願い事のクオリティについてぼんやりと考えを巡らせていると、頬に水滴が落ちるのを感じた。

 雨だ。

 気付いて、足早に歩き始めたが、まっすぐ歩けていない自分をなんとなく自覚する。駄目だ。ストロングチューハイ1本、多分30分と経たず飲み干しちゃってるから。ペースが早すぎたんだ。


 雨はたちまち土砂降りになった。これは梅雨のしとしと降る雨ではない。ゲリラ豪雨というやつだろうか。傘を持って来ていない私は、あっという間にずぶ濡れになって行く。髪から水滴が滴り始める。


 今日も雨の予報が出ていることを、私は知らずに傘を持ってこなかったわけではない。部屋の中のどこに傘があるのかわからなくて、持って来ることができなかったのだ。

 「部屋が散らかってるからって傘が行方不明になることなんてある?」などと言って驚く人は、汚部屋とはどういうものかを知らないのだろう。尤も、まだまだ上には上が山ほどいるぞ、と私は思っているが。


 うーん、コンビニでチューハイと一緒にビニール傘買っとけば良かったかな。少し後悔しながら、でも、雨を全身に受けながら歩くのは割と好きなので、ちょっと楽しい気分で、ゆっくりと歩いた。


 それにしても。七夕には本来何を願うのが正しいのだろう。

 先ほど見た短冊に書かれた願い事は、つまるところ学業成就の願い事の一亜種なのであろう「単位ほしい」というものの他、「五千兆円ほしい」「宝くじが当たりますように」といった金銭に関する願い事や、「彼氏と一生一緒にいられますように」といった色恋関係の願い事、「母の病気が治りますように」といった病気平癒祈願、それから、「百まで生きたい」という長寿祈願など、多岐に亘っていたが、なんだか、どれもこれも、七夕の神様の管轄外なのでは?という気がする。


 そもそも七夕の神様であるところの織姫と彦星は、自分達の恋愛で頭が一杯で、下界の人間の些末な願い事など、聞いている暇はないのではないか。

 彼らは他人の願い事を抱えきれないほど受け止める一方で、「今年はどうか会えますように」という自分達の願い事は、誰に叶えてもらえるのだろうか。それこそ、「リア充爆発しろ!」と言いたいのは、彼らの方ではないのだろうか。


 そんなことを考えているうちに、なんだか可笑しくなってきた。神様なんて、織姫と彦星なんていないのに。非実在のカップルのことを、何故私はこうしてクソ真面目に心配しているのか。


 そんなことより、私の汚部屋を受け入れてくれるような、理解ある彼氏が、私にいつかまたできることはあるのか、そちらの方が重大事ではないのか。

 そう、絵馬の件で自然消滅した私の初めての恋人は、私の部屋の酷い有様については、何故か受け入れてくれたのだった。あの、モザイクを掛けなければ公共の電波にお流しできないようなアレな部屋は許せて、他人の絵馬を面白がる趣味は許せないというのは一体どういうことだ。普通、逆ではないのか。さてはあいつ、汚部屋フェチとかそういうやつか。


 駄目だ、どんどん可笑しくなってきた。こうなると私は、本当に駄目なのだ。

 ぎゃはははは、あーはっはっはと大声で笑い、ストロングチューハイの空き缶を投げ捨てる。

笑う自分が自分で可笑しくて、楽しくて、もう、どうにかなってしまいそうだ。

誰か助けて。楽しすぎて、死にそう。

「ひゃーあーっはぁ!イエーイ!!」と叫んで、走り始めた。



 気が付くと私は、学生控室のソファに寝かされていた。

 「んんー……頭痛い……」

 言いながら掛けられていた毛布をソファに置き、立ち上がると、こちらに背を向け、学生控室備え付けのパソコンに向かっていた人物が振り向いてこっちを見た。原田さんだった。


 「目ぇ覚めた?」

 原田さんは立ち上がって私のそばに来た。

 私はどうしていつの間に、ここに。

 私が口を開く前に、原田さんが教えてくれた。

 「哲学科の同期の男の子が、『原田のとこの2年生が酔っ払って、傘もささずにバカ笑いしながら走ってるけど、アレ、すぐにも倒れそうだし、ほっとくのはいろいろな意味でどうかと思うぞ』ってLINEで教えてくれたの。で、場所を訊いて見に行ったら、あなたもう倒れてたってわけ」


 事情は呑み込めた。

 あぁ、倒れちゃったか。またやっちゃったな。


 「ありがとうございます。あの、ここまで運ぶの、大変じゃなかったですか?」

 さすがに申し訳なくて、そう尋ねると原田さんは、

 「近藤君に手伝ってもらったから」と笑った。

 「あ、近藤君っていうのは私にLINEくれた同期の子の名前」と付け加えた。

 「じゃなきゃ私1人で、眠りこけている大人1人運ぶなんて無理」

 「何か、飲み物……」と呟いた私に、原田さんは未開封の水のペットボトルを渡してくれた。


 「これ飲んで。――それにしても宮原さん、弱いのにお酒飲むの好きだし、酒癖も酷いよね。飲んで騒いではぶっ倒れるの、どうにかならない?」

 どうやらお説教モードに入っているらしい原田さんに

 「いやぁ、酔っ払う感覚が好きで……でも、つい飲み過ぎちゃうんですよね」と言い訳すると、

 「それって病気じゃないの?」と言われた。原田さんは真顔だ。

 病気ではない。と思うのだが、正直、自信はない。本当にお酒飲み過ぎの駄目な人は、もっと私なんかとは比べ物にならないほど駄目なものなのではないか、とは思うけれど。


 「今、夜8時。ずぶ濡れになってたことだし、帰ってお風呂入って寝た方がいいと思う」

 原田さんは言うが、実のところ、私の汚部屋の、寝るためのスペースは本当に狭くて、学生控室のソファの方が断然寝心地がいい。1年生の頃、ずっとここに寝泊まりしたい、と本気で考えたこともあるくらいだ。尤も、そう表明したところ、先輩たちから一斉に却下されたのだが。


 学生控室のソファは名残惜しかったが、私は、「そうですね。帰ります」と答えた。原田さんは卒論の準備に忙しいこと、今日だっておそらく朝からそのために学生控室に籠っていたところを、LINEに中断されたのだということを、私は知っているからだ。原田さんの邪魔をするわけには行かない。


 私は、飲みかけの水だけもらって帰ることにして、「今日は本当にありがとうございました。お疲れ様です」と挨拶をして、学生控室を後にした。

























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