思考と記憶とオーディンの眼

湖城マコト

前編

「ねえ、フギン。とても面白そうなことになっているよ」

「そうだね、ムニン。少しばかり見学していこうか」


 通りすがりのフギンとムニンは何やら面白そうな気配を感じ取り、地方の豪奢ごうしゃな貴族の屋敷へと寄り道した。大きな窓が開いていたので、フギンとムニンは怪しまれないようにそっと近づき内部の様子を伺う。


 屋敷内のやり取りから察するに、何か事件が起こり、犯人捜しをしているようだ。


「これで全員ですかな?」

「はい。昨日屋敷にいた者はこれで全員です」


 探偵役として招かれた銀髪の吟遊ぎんゆう詩人しじんが執事へと確認を取る。


 昨日、屋敷からオーディンのまなこと呼ばれる希少な宝石が姿を消した。


 その日、屋敷の主人は正午から夕刻にかけて貴族同士の会合へと出席していた。主人は身支度を整える際、オーディンの眼を宝石箱から取り出したそうだが、服装に合わず着用を見送った。迂闊うかつにも宝石箱にしまい忘れ、そのまま外出してしまったそうだ。


 帰宅後、オーディンの眼の紛失が発覚。使用人総出で屋敷内を探索するも、オーディンの眼はついぞ発見されなかった。盗まれたのはオーディンの眼だけで、鍵をかけ忘れた宝石箱の中身は手つかずで残されていた。室内は荒らされた形跡もなく、窓も外出時と変わらずしっかりと施錠されていたそうだ。


 外部から何者が侵入した形跡が無かったことから主人は内部犯行を疑い、第三者であり、過去に数々の難事件を解決した実績を持つ知人の吟遊詩人を頼った次第だ。

 尚この日、屋敷の主人は重要な公務のために不在。信頼を寄せる吟遊詩人に捜査を一任し、腹心である執事を見届け人とした。執事については昨日、主人に随行していたのでアリバイは完璧だ。


 容疑者はすでに絞り込まれている。当該時間に屋敷内に居た、留守を預かっていた若い女中、体格の良い強面の料理人、庭園の管理を任されている小柄な庭師の三名だ。

 

「皆さんは昨日、一度も屋敷を離れていないのですね?」

「はい。昨日は一日中お屋敷で仕事をしておりました。私達が外出していないことは、門番が証言してくれるはずです」


 女中の返答に料理人と庭師も頷く。

 執事の後ろに控える門番に確認を取ると、確かに三人は一度も外出していないとのことだ。


「何だか頭がこんがらがってきたよ、フギン。誰も外出していないなら、宝石を持ちだせないじゃないか。やはり外部から盗人が侵入したと考えた方が無難ではないかな?」


「外部から何者か侵入した形跡はないと、執事さんが詩人さんに言っていたじゃないか。それに、外からやってきた盗人の仕業だとしたら、もっとたくさんの宝石を持ちだすと思うんだ。直ぐ側には鍵の掛かっていない宝石箱があったんだから。

 屋敷の主人が大雑把であることを知っている従者が、一つくらいならバレないだろうと手をつけた、という方がしっくりくるよ。結局、紛失は直ぐに判明してしまったようだけどね」


「だとしたら、宝石はいったいどこに消えたんだい?」

「それはまだ分からないけど、持ち出せていないのなら、敷地内のどこかに隠されていると考えるべきだね。とにかく、もう少し成り行きを見守ってみようじゃないか」


 今はまだ情報が足りない。フギンとムニンは再び屋敷内のやり取りを注視し始めた。


「順に昨日の行動についてお聞かせ頂けますか」


 吟遊詩人に促され、最初に若い女中が口を開いた。


「昨日はお掃除やお洗濯で忙しなく動き回っていました。誓って盗みなど働いていませんが、ほとんどの時間を一人で作業していたので、客観的に無実を証明することは難しいかもしれません」


 色白な肌を流れる絹糸のような金髪にアーモンド形の愛らしい瞳。女中はかなりの器量の持ち主で佇まいも凛としている。感情的にならず、客観性まで加味した応答も好印象だ。人を見かけだけで判断することは出来ないが、盗人のイメージとは縁遠い印象を受ける。


「とても美しいお嬢さんだね、フギン。彼女は絶対に犯人じゃないよ」

「人を外見だけで判断してはいけないよ、ムニン。彼女が美しいことには僕も同意だけど」

「ひっ!」


 フギンとムニンが遠目に女中に見惚れていると、視線を感じた女中と目が合ってしまう。窓の外から様子を伺うフギンとムニンの姿に、女中は化け物でも見たかのように戦慄せんりつしていた。


「大丈夫ですか?」

「……す、すみません。何でもないです」


 女中は呼吸を整えると徐々に落ち着きを取り戻していった。フギンとムニンの存在を他の者に指摘することはしなかったが、その後はあからさまに窓の方を見なくなった。


「驚いている顔も綺麗だったね」

「君の着眼点はそこなのかい」


 能天気なムニンの様子にフギンは飽きれ気味だ。

 

「それでは、次は料理人さんにお話しを伺いましょう」

「昨日は正午過ぎに食料品の搬入はんにゅうがあって、それが済んでからは厨房でディナーの仕込みをしていたよ」


 料理人は大柄な体躯と頭部を覆うバンダナが印象的な壮年の男性だ。強面も相まって、料理人よりも海賊といわれた方がしっくりくる印象だ。


「それを証明出来ますか?」

「搬入作業については業者が証明してくれる。それ以降はずっと一人で作業していた。そっちに関しては証明の仕様がないな」

「事実です。昨日中に業者に確認を取りました」


 執事が情報を補足してくれた。正午過ぎから搬入作業をしていたのは間違いないようだ。


「フギン。きっとあの料理人が犯人だよ。見るからに悪党面だし、元海賊の血が騒いじゃったんだよ」

「人を見かけで判断してはいけないと言ったばかりじゃないか。僕達に何よりも大切なのは客観性を保つことだよ」


 フギンが苦言を呈している間に、事情聴取は最後の容疑者へと及んだ。


「私は早朝より庭園の花々の手入れに励み、作業小屋と庭園とを行ったり来たりしておりました。私も一人での作業でしたから、客観的にそれを証明することは難しいでしょうな。しかし、誓って盗みなんてしていませんよ。旦那様は弱点抱えた私を雇ってくださった恩人だ。裏切るような真似はいたしません」


 白髪交じりの庭師は屋外で作業する機会が多く、よく日焼けしている。小柄だが筋肉質で、運動神経が良さそうな印象だ。


 他の二人と比べて印象が薄かったのだろうか。今回ムニンは何も感想を漏らさなかった。


「お話しは分かりました。お三方とも、客観的に無実を証明するのは難しいわけですね」


 犯行推定時刻は主人が屋敷を発った正午から帰宅する夕刻までのおよそ6時間と範囲が広い。当人たちが言うように大半の時間を一人で作業していたなら、アリバイから犯人を絞り込んでいくことは難しい。


「ムニン。少し周辺で聞き込みをしてきてくれないかな。案外、簡単に宝石の隠し場所が見つかるかもしれないよ」

「分かった。とりあえず屋敷の周辺を一周してみるよ」


 聞き込みへ向かったムニンを見送ると、フギンは再び屋敷内でのやり取りへと意識を集中させる。


「そもそも、宝石はどこへ消えたのか」


 吟遊詩人が顎に手を当て思案する。

 容疑者の中に外出した者がいない以上、宝石は敷地内のどこかに隠されている可能性が高い。

 屋敷内から発見されなかった以上、敷地内で最も怪しい場所は庭園だろう。とすれば最も精通しているのは庭師ということになるが、自身の仕事場に盗品を隠すのは、発見された場合のことを考えればリスクが大きい。事実、主人は事件解決のためならば庭園の土全てを掘り返すのも厭わぬ覚悟とのことだ。


 女中と料理人にしても、敷地内に宝石を隠すことは可能だし、例えば排水に流して後で回収する等、方法は幾らでも考えられる。屋敷内から宝石が見つからないからと庭師を疑うのは早計であろう。


「せめて宝石の隠し場所さえ分かれば」


 庭園や排水を全て調べるのには時間がかかる。隠し場所を突き止める手段はないかと吟遊詩人は渋面で腕を組む。


「フギン。凄い情報を持ってきたよ」


 屋敷内のやり取りが落ち着いた頃、フギンの下へ聞き込みを終えたムニンが戻って来た。とても上機嫌でしたり顔を浮かべている。


「その様子だと、収穫があったようだね」

「この辺りで生活をしている女の子に話を聞いたんだけど、なんと! 宝石の隠し場所と犯人が分かっちゃった」

「それは本当かい? だとすれば大収穫だ。先ずは隠し場所から聞こうか」

「屋敷の裏の木の上だよ。盗まれた宝石らしき光物ひかりものも確認済み。状況をややこしくしちゃいけないと思って、触りはしなかったけど」

「でかしたよムニン。どうやら犯人は一時的に宝石を隠すと同時に、保険もかけていたようだね」

「保険とは、どういう意味だい?」

「それはおいおい説明するよ。それよりも肝心の犯人の正体を教えてくれないかい?」

「いいともさ。聞いて驚くことなかれ、犯人は――」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る