第4章『それぞれの縁〈えにし〉』①
〝神隠し〟の実行犯とおぼしきカラス女との遭遇戦から一夜明け、日曜日。
昼近くになって、小春が伶人のアパートを訪ねてきた。
例によって奇抜な創作パンを
「さぁ、ご賞味あれ」
テーブルに陳列された小春の
が、油断は禁物。
見た目が普通のときは、中身が普通ではないからだ。
「いただきます。──ん?」
ほとんど肝試し的な気分でかじりついた伶人は、コリコリとした食感に首をひねった。
甘辛く味付けされた
「……くらげ?」
「当たり。その名も『ピリ辛くらげパン』です」
「
「ネーミングはストレートなほうがいいでしょ? で、ご感想は?」
「百八十円」
伶人は価格で答えた。
意外と
「瑠姫ちゃんは、どう? 美味しい?
「美味い。もう一個、いいか?」
気に入ったらしく、瑠姫は半分も食べないうちに二個目を
そうして、ぽつりと言う。
「なにやら、こう、
「オヤジ臭いな。酒じゃあるまいし」
呆れ笑う伶人だったが、瑠姫は冗談を言ったわけではない。
実際、感じるのである。
心地好い
けれど、それを説明しようとした矢先に伶人のスマホが鳴り、言いそびれてしまう。
電話をかけてきたのは、蛍だった。
しばらくして、メゾンみかなぎ104号室に本日二人目の客が訪れる。
「──こんにちは」
「あ、お姉ちゃん。久しぶりー」
「おう、蛍か。昨日は馳走になったな」
やってきた蛍は、ソファーに並んで座っている女子二人と笑みを交わし、用意されていた座布団に腰を下ろした。
「バーベキューかぁ。私も行きたかったな」と、小春。
実は彼女も
そんな話を聞くともなしに聞きつつ、伶人は人数分のアイスコーヒーを作りはじめる。
(今ここに春ちゃんがいるのは、
蛍にとって、小春という先客の存在は
小春はすでに瑠姫の正体を知っているのかもしれないし、いずれは
彼女になら、一族の秘密を明かしてもいいだろう。
そう密かに納得したところで、伶人がグラスを差し出しながら問いかけてくる。
「──で、さっき電話で言ってた大事な話って、なに?」
「我が一族にまつわる驚愕の真実、かな。今日は、それを伝えに来たの。御巫家第十三代当主、
蛍は
「
気を回して、小春は席を立とうとした。
しかし、
「んーん。一緒に聞いて。伶くんも、春ちゃんに隠し事をする気はないでしょ?」
「え? うん、まぁ……蛍さんがいいなら、俺は別に構わないけど」
そんな二人のやりとりをうけ、ソファーに尻を戻す。
「じゃあ、まず確認したいんだけど──」
蛍はアイスコーヒーを口にすると、グラスを持ったまま話を切り出した。
「──春ちゃんは、知ってるの? 瑠姫が
「え?」
不意の質問と、その内容の曖昧さに、小春は首をかしげた。
蛍は苦笑し、言い直す。
「ごめんなさい。言い方が悪かったわね。彼女の正体、と言えば、わかる?」
「ああ……うん、知ってる」
正体という言葉で、小春は質問の意図を理解した。
「やっぱりね。なら、話は早いわ」
それは想定内だったので、蛍は驚かない。
むしろ面食らったのは伶人である。
「ちょっと待った! 正体って……蛍さん、知ってるの?
「ええ、知ってるわ」
「ほう──!」
言い切った蛍に、今度は瑠姫が目を見張った。
そして、愉快げに謎をかける。
「では訊こう。わらわは何者ぞ?」
「狐さん、でしょ? あなたは〝
「御名答。どうやら、そなたは伶よりもわらわを
「古文書の受け売りだけどね」
「古文書?」
疑問を挟んだのは伶人だった。
「
「てことは、爺ちゃんも知ってたのか。瑠姫のこと」
「ええ。それが御巫家の秘密というわけ。それにね、お爺ちゃんには、もう一つ秘密があるの。どちらかというと、そっちが今日の本題」
蛍はアイスコーヒーで一息ついて、話を続ける。
「この世には、
「まぁね。おかげさまで、大概のオカルト話には驚かなくなってるかな」
「ほとんどの怪異は知性を持った動物って感じで、特に危険なものではないんだけど、中には獰猛なのもいるし、瘴気に当てられて〝鬼〟になってしまうこともある。そうした有害な怪異を退治する『
「爺ちゃんが……!?」
これまで様々な神秘を目撃してきた伶人にとって、怪異にかかわる組織の存在などは「へぇ」で済む話であった。
だが、祖父がその一員だったという事実には、さすがに驚かされる。
「そのシチセイシャって、どういう組織なの?」
「たとえるなら、現代の
そう前置きをし、蛍は自分が知っていることを簡潔に説明した。
いわく、七星社なる組織は様々な
だが、組織の実態は巧妙に
仲間内の
「身内にも組織の全貌を把握させないようにしてるのは、内部の権力闘争や第三者の干渉を防ぐためらしいわ。怪異や
「調伏師──」
耳慣れない単語に眉を寄せる伶人だったが、想像はついた。
調伏とは、密教の
その名を冠する調伏師とは、怪異を討つ者のことなのだろう。
「そんな仕事をしてたってことは、爺ちゃんには、そういう力があったってこと?」
「ええ。お爺ちゃんは
「八門神機……瑠姫の術も、そんな名前だったな」
「うむ」
話をふられた瑠姫は、腕を組んで応える。
「八門神機は、紫苑が
「といっても、一族のみんなに霊験があるわけじゃないし、方士の家系だってこと自体、ごく限られた身内しか知らない秘密だけどね。私がそれを知ったのは、五年前のことよ」
「その秘密を明かされて当主になったってことは、蛍さんも方士なわけ?」
「んーん……」
伶人の問いに、蛍は首を降った。
「残念ながら、私はちょっと霊感が強いだけで、術を使えるほどの才能は無いわ。でも、伶くんには、あるみたいね。かなりの霊験が」
「霊験? 俺に?」
「あるじゃろうな。わらわは、お前の
瑠姫は伶人を見、さも当然のように言った。
霊験とは、およそ霊的な
「お前を起こしたのは、あの勾玉の力なんじゃないのか?」
「
「ねぇ、よく分からないんだけど、それって伶ちゃんにも魔法が使えるってこと?」
すっかり傍観者になっていた小春が、口を挟んでよいものかと迷いながら訊いてきた。
伶人も同じ疑問を抱いていたので、固唾を呑んで返答を待つ。
しかし、
「いや、それとこれとは話が別じゃ。いかに優れた霊験があろうと、使いこなす才が無ければ宝の持ち腐れ。屁の突っ張りにもならんよ」
ばっさり斬り捨てられてしまい、
「ひどい言われようだな。つーか、言い方に品がないよ、お前」
溜息混じりに苦笑いするしかなかった。
なんとなく会話に区切りがついたところで、蛍はショルダーバッグから小さな竹筒を取り出した。
「ところで、瑠姫にお願いがあるんだけど」
「なんじゃ?」
「これ、開けてほしいの」
「ほう。封じ物か?」
瑠姫は竹筒を受け取り、上部に貼られた霊符を観察する。
「八門神機の封じゃな。これなら、お安い御用じゃ。
開封の方術を流し込むと、封緘が
瑠姫が栓を引き抜くや、竹筒からもうもうと白煙が噴き出す。
「うわっ! なんだ!?」
「まぁ、見ておれ。出てくるぞ」
思わずのけぞる伶人を横目に、瑠姫は竹筒を前にかかげた。
すると、噴き上がる白煙が空中で綿飴のような塊になり、その中から何かが落ちてくる。
「──んぎゅっ!?」
大きな耳に、これまた大きな尻尾。
純白であることを除けば、フェネックという小型の狐に似ている。
「……なに、これ。妖怪?」
「〝くだ〟じゃよ。竹筒なんぞに入れられておるから、そうじゃろうとは思っていたが、やはりな」
「くだ……
さすがは雑学オタクだけあり、伶人は即座に理解する。
「あたたー……出すときは、ちゃんと下に向けてーな」
その管狐なるモノは、後ろ脚で反動をつけて起きあがり、後頭部をさすりながら訴えた。関西系のイントネーションである。
竹筒から獣が出てきて、しかもそいつが喋っているわけだが、伶人はおろか、小春もそれほど仰天してはいなかった。
かえって管狐のほうが困惑気味で、ちょうど真正面にいた伶人を見上げて「あう?」と、たじろぐ。
「えっと……どちらさん?」
「は? いや、どちらさんって言われてもな……」
「彼は伶人くんよ」
それで初めて背後にいた彼女に気付いた管狐は、
「あ、蛍さん!」
「半年ぶりね。といっても、あなたにとっては昨日の今日でしょうけど」
蛍は管狐の頭を撫でてやり、伶人たちを見回す。
「瑠姫の言う通り、この子は管狐よ。お爺ちゃんの使い魔だったの。さぁ、みんなに自己紹介して」
「はいな。えっと、はじめまして。
管狐──千花は、蛍の腕の中で
その瞳はルビーのように赤く、額には朱色の斑点が二つ、ちょうど眉のように並んでいる。
「千花ちゃんか。可愛いね」
「……この状況で、言うことはそれだけ?」
ちっとも動じていない小春に、伶人は呆れた。
もっとも、彼は彼で「名前からして、こいつ雌なのかな」という、どうでもいいことを考えていたりしたので、どっちもどっちではある。
「さっきも言ったけど、彼が伶人くん。お爺ちゃんから聞いたことあるでしょ? で、彼女はお友達の小春ちゃん。白い髪の子が瑠姫よ」
「……んきゅ? この気配、うちのお仲間さんみたいやね」
蛍の紹介を聞いた千花は、瑠姫を見つめて鼻をヒクヒクさせた。
「仲間かどうかは知らんが、似通ったモノではあろうな。わらわは狐じゃ」
「狐仙なん? そう言われると、朔夜さんと気配が似とるかなぁ」
「さくや? 誰だ、それは」
「きゅきゅ……? 瑠姫って、どこかで聞いたような──」
千花は瑠姫の質問には応えず、考え込んだ。
そして、いきなり声を張りあげる。
「あーっ! そうや! 瑠姫って、あの
「負けてはおらん。……痛み分けじゃ」
ムッとする瑠姫だったが、強くは言い返せなかった。
負けたというのは、半分正しいからだ。
「その瑠姫さんがここにおるってことは、
千花は嬉しそうに部屋を見回した。
しかし、蛍が悲しい事実を告げる。
「お爺ちゃんは、もういないの。亡くなったのよ。半年前に旅先で倒れて、そのまま──」
「な? うそ……亡くなったん!? あんなにお元気やったのに、なんで?」
「…………」
なんで、と言われても応えようがない。蛍は黙って顔を振り、うなだれる千花を撫でてやった。
千花は大きな目に涙を溜め、暖かい手に頬ずりしながら言う。
「旅先で倒れたってことは、あのお仕事の最中やろか」
「お仕事って、七星社の?」と、蛍。
「うん。
「なるほど。それで封じられたままになっちゃったのね」
蛍は納得した。
管狐は方士の
ゆえに普段は
千花は珍しく人懐っこい性格なので、慶太郎は基本的に
「──慶様、そのお仕事の最中に
「だと思うわ。お爺ちゃんが倒れたのは、山梨のホテルでだったから」
「お別れ、言われへんかったな……」
それが心残りでならず、千花はしんみりとつぶやいた。
そして、自分が作ったしめやかな
「そやけど、慶様が亡くなりはったんなら、誰が瑠姫さんの封を解いたん? 蛍さん?」
「んーん。瑠姫を起こしたのは伶くんよ。そうなんでしょ?」
「え? うん、まぁ……そういうことになるのかな」
「ほな、伶人さんは凄い方士なんやねぇ」
「いや、違うんだ。実は──」
伶人は瑠姫と出会った
それは蛍に説明するためでもある。
「んー……ということは、えらいことになってしもーたんやな」
話を聞いた千花は、
獣らしからぬ仕草だが、人の言葉を喋る彼女だからか、不思議と不自然には見えない。
「御巫家の秘本に、こんな一説があるんよ。〈
「──〈
千花の
伶人は黙って蛍を見つめ、説明を待つ。
「瑠姫が目覚めたのは、目覚めるべき状況になったから。紅蓮の災禍──つまり『
「なんじゃと!? それは
蛍の説明を聞くなり、瑠姫は血相を変えて詰め寄った。
その勢いに
「え……? 知らんの?」
「……奴との闘いのあとすぐ、わらわは眠りについたでな。紫苑が
「ええ。
蛍はスマホを取り出し、秘本を撮影した写真を表示させた。
そこには、美しい楷書で一首の和歌が記されていた。
鏡なす
月を
「この歌よ。鏡と〝
「いや……分からぬ」
「
「知らん。名前からして、封じ物の類だとは思うが……」
「難儀やなぁ。調べようにも、肝心の秘本は士郎さんが持ってってしもうたし」
「士郎さん?」「士郎?」
千花の
蛍は説明しようと口を開きかけたが、ここは千花に任せる。
「慶様の弟子やった人やよ。
「狐仙? 妖怪退治をやってる秘密結社のメンバーで、管狐を使い魔にしていて、おまけに狐仙と付き合ってる弟子がいたのか。爺ちゃん、不思議すぎだな」
「狐さんと暮らしてる伶ちゃんも、なかなか不思議くんだけどね」
「ふふっ。そうね」
呆れる伶人を小春が茶化し、蛍が相槌を打った。
そんな会話が場の空気を
「笑い事ではないぞ。皇雅の復活など、あってはならんこと」
「と言ったって、そいつの居場所が分からないんじゃ、どうしようも……あ、そうだ、爺ちゃんの弟子だった士郎って人なら、何か知ってるんじゃないか?」
伶人は千花に訊いた。
「何かどころか、何もかも知ってはるやろね。だって、その士郎さんが皇雅を復活させようとしとるんやもん。慶様は、なんとか止めようとしとったんやけど──」
「馬鹿な! あの悪鬼を復活させるじゃと? なんのために!?」
「さぁなぁ。うちに訊かれても……」
「ちっ! 何を考えておるのじゃ、その士郎とやらは」
瑠姫は苛立ちをこめた息を
「しかし、どうやって皇雅を……?
思考を深めるための独り言が、瑠姫にあることを気付かせた。
「なるほど、神降ろしか!」
自分が皇雅を復活させるとしたら、どうするか。
そう考えて行き着いた結論が、ある出来事と繋がったのだ。
「千花、士郎という者は式神を使えるのか?」
「うん。
護法童子とは、密教系方士である
本質的には陰陽師の式神と同じものである。
「カラスか。やはりな」
「瑠姫。一人で納得してないで、俺たちにも説明してくれよ」
「昨日のカラス女、あれが
「……!? それって──」
「ああ。昨今の神隠しは士郎という奴の仕業なのじゃ。皇雅を解放するには、神降ろしという儀式をする必要がある。そのために娘を集めておるのじゃよ。伶、今までに何人さらわれた?」
「六人、だな。確か」
「いかんな……皇雅の封を解くには、八人の
言いながら、瑠姫は前髪をかきあげた。
そのまま後ろに手を滑らせ、うなじをかきむしる。
「皇雅が解き放たれてしもうたら、万事休すじゃ。奥義を使えぬ今のわらわでは、まず勝ち目はあるまい」
「つまり、その皇雅ってのが復活する前に、どうにかしなきゃならないわけだな」
「そうじゃ。なんとしてでもな」
瑠姫はテーブルの上のグラスをひったくり、氷が溶けて薄まったアイスコーヒーを一気に飲み干した。
(やらねばならん。たとえ差し違えてでも……!)
その覚悟を口に出しはしなかったが、
【つづく】
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