第3章『接触〈コンタクト〉』③

(テレビで写真を見たときには、まさかと思ったけど──)

 蛍は、ついさっきスマホで撮影した動画をタブレットPCに取り込み、繰り返し再生していた。

 そこには瑠姫がカラス女と闘っている様子が映っている。

(──間違いない。これは烏頭女うずめだわ。やっぱり、神隠しは士郎くんの仕業なのね……」

 蛍はかぶりを振り、長く重い溜息をついた。

 八門神機流方士はちもんしんきりゅうほうし御巫慶太郎みかなぎけいたろうに師事し、その式神『烏頭女』を受け継いだ青年、八嶋士郎。

 彼が神隠しの犯人かもしれないという嫌な推理は、これで確信に変わってしまった。

 となれば、もう一つの嫌な推理も当たっていると考えざるをえない。

 おそらく士郎は『神降かみおろし』をするつもりなのだ。

 誘拐という非常手段を使ってまで〝少女〟を集める目的といえば、それしかあるまい。

 霊験を持つ者を触媒として、自然界の精気を引きこむ回路しかけを組み、個人の限界を超える神気を操る方術儀式──それが『神降ろし』である。

 ここでいう〝神〟とは、たとえばキリスト教徒が〝主〟と呼ぶような絶対者たる存在ではなく、自然の摂理そのもの。

 いわば宇宙という機構システムであり、そこに人格こころは存在しない。

 たとえ思惟しいと呼べる機能ものがあったとしても、それは宇宙の一切合切なにもかもを取り仕切る規模スケールの知性である。およそ人智の及ぶところではなく、意志の疎通など不可能だろう。

 それほどに強大な力と接触コンタクトする神降ろしは、ともすれば命を落としかねない危険な方術だ。

 士郎は何故、そんなことに挑もうとしているのだろうか?

(皇雅について記された御巫家の秘本を持ち去ったということは、目的は皇雅の解放と考えるのが自然だけど……)

 しかし、何のために?

 より強い力を、士郎は欲しているのだろうか。

 確かに、方士なら誰しも方術の奥義を極めたいと思うだろう。

 その気持ちは理解できる。

 男というものは、ただ純粋に〝強さ〟を求めたりするのかもしれない。

 それも解らないではない。

 けれど、そのために手段を選ばないのは間違っている。

 鬼さえも利用しようというのなら、それはもはや魔道──人が歩むべき道ではない。

(力に魅入られてしまうような人じゃない、と思いたいけど……)

 だが、烏頭女から感じられた士郎の神気に瘴気が混じっていたことは、彼がすでに魔道に踏みこんでいる証拠だ。

 瘴気は魔の活力なのだから。

「とにかく、とめなきゃ。もう悠長なことは言ってられないわね」

 事ここに至っては、力ずくでも士郎の企てを阻止しなくてはならない。

 それには瑠姫の助けが必要だ。

 残念ながら、自分に士郎と渡り合えるだけの霊験ちからは無い。

 ましてや士郎には、より手強い方士である朔夜がついているのである。

 彼らをいさめることができるのは、かつて皇雅と闘った瑠姫しかいまい。

「皇雅の封印を守ることは瑠姫の使命でもあるのだから、きっと協力してくれるわよね。それにしても──」

 蛍は思考を切り替え、再びタブレットの画面を注視した。

 一時停止のボタンをタップすると、ちょうど瑠姫が映っている場面で映像が静止する。

「彼女を起こしたのは、やっぱり伶くんなのかしら」

 御巫家の開祖である陰陽おんみょうの巫女、紫苑しをん

 紫苑の式神である狐仙の娘、瑠姫。

 二人のことは、紫苑がのこした一子相伝の秘本とともに、御巫家の当主にのみ伝え継がれてきた。

 そも御巫家とは、子守山で眠る瑠姫を見守り、いつか目覚める彼女を出迎えるために存在する一族なのである。

 かの事実を人知れず継承してきた者たちの中には、みずから瑠姫を起こそうとした者もいたらしい。

 先代の当主、御巫慶太郎みかなぎけいたろうもまた、その一人であった。

 しかし、何度試みても、できなかった。

 慶太郎ほどの方士でもできないということは、力量ではなく、資質の問題なのだろう。

 伶人には、その資質があったのか──?

「お爺ちゃんは気づいていたのね、伶くんには特別な霊験があるって。だから知方珠しるべのたまを託した……」

 八門神機の伝承者の証であり、瑠姫を起こす鍵でもある宝珠、知方珠。慶太郎がそれを伶人に与えたのは、彼の潜在的な霊験を看破し、その可能性に期待していたからに違いない。

なら、そのあたりの事情を知ってるかもしれないわね」

 蛍は立ちあがり、本棚に置かれている竹筒を手にとった。

 それは1リットルのペットボトルほどの大きさで、上部には一枚の霊符が貼られている。

 封緘ふうかんの霊符だ。

 残念ながら、蛍にその封を解くことは出来ないが、瑠姫なら出来るだろう。

「明日にでも、お願いしようかな。利用しちゃったことも謝りたいし」

 蛍は苦笑した。

 利用しちゃった、というのは、今日のバーベキューパーティーのことだ。

 士郎の目的が皇雅の解放なら、その最大の障害となりうるのは瑠姫である。

 彼女が目覚めたと知れば、放ってはおくまい。

 そこで、適当な口実を作って瑠姫を招き寄せたのだ。

 結果、思惑はこうそうした。

 士郎自身をおびき出すことはできなかったものの、自分の推理の正しさが証明されたのだから、成果としては充分だ。

 そうと解ったからには、一刻も早く士郎を探しだし、神降ろしを阻止せねば。

 竹筒の中にいるモノは、その役に立ってもくれるだろう。

「御巫家の使命を伶くんに伝えるときが来た……そうなのよね? お爺ちゃん」

 蛍は竹筒をいとおしげに撫で、脳裏に浮かぶ祖父の面影に語りかけた。


   ◆   ◆   ◆


「身を清めたい」

 帰宅するなり、瑠姫はそう言って風呂場に直行した。

 いわく〝カラス女〟の瘴気が髪や肌に染み着いているような気がして、気持ち悪いらしい。

 もちろん瘴気はシャンプーやボディーソープで洗い落とせるものではなく、単に気分の問題なのだが──

 それでもシャワーを浴びてさっぱりした瑠姫は、ピンクのパジャマ姿で居間に戻ってきた。

 伶人は冷たい緑茶を瑠姫に渡し、自分も同じ物を一口飲んでから言う。

「あのカラス女──あいつが〝神隠し〟の怪人とみて間違いないな」

「じゃろうの」

「やっぱ、式神?」

「ああ。よくある土性どしょうの式じゃ。カラスを素材たねとしているのも、特段珍しいことではない。じゃが、式に瘴気を込めるとは──あれを造った方士は凡庸ただものではないな」

「そのわりには、あいつ、お前に手も足も出なかったみたいだけど……?」

「いや──」

 瑠姫は両手で握ったグラスを見つめ、苦い顔をする。

「──どうも、手加減されていたような気がする」

「手加減? なんで──」

「さぁな。まずは挨拶代わりの小手調こてしらべ、といったところじゃろ」

「これ以上、関わるな。さもないと──って警告おどしも兼ねて、か」

「ふん、小癪こしゃくな。来るなら来いじゃ」

 瑠姫は意気をげ、ニヤリとした。

 その余裕よゆうは油断と紙一重ではないか、と一抹いちまつの不安を感じなくもない伶人だったが、受けて立つという方針に異存は無い。

「向こうから仕掛けてくるなら、しめたものよ」

「探す手間が省けるってか? けど、敵の戦力が未知数ってのが問題だな。まあ、事件の性質からして犯人は孤独な陰キャっぽいし、たぶん単独犯だろうが──」

「うむ。〝狸〟はおそらく一匹。手下がいるとしても、せいぜい数匹じゃろう。女子供をさらってわるだくみなんぞ、しょせんは小悪党ごろつき。人をべる器ではないわ」

「だよな──」

 伶人は腕を組み、天井を見上げた。

 敵はせいぜい数人だろうし、手加減されていたかもしれないとはいえ、瑠姫は敵の式神を容易に撃退たおしている。

 これなら充分に勝ち目はあるように思う。

 だったら、ここで逃げるのは、なんだか釈然としない。

 ありていに言うならしゃくだ。

 そんなふうに考えるあたり、伶人と瑠姫は似たもの同士といえよう。

 もっとも、瑠姫は最初はなからやる気満々で、〝狸〟をことしか考えていないのだけれど。

「──で、とりあえず、どうなさるおつもりで?」

「放てるだけの白羽しらはを放って、警戒ものみにあたらせる。あとはよ。それと──」

 瑠姫は腕を組み、じっと伶人を見つめた。

「……?」

 思わず伶人も同じ姿勢ポーズになる。

「お前の足腰をきたえねばな」

「は……? なんで?」

「わらわの最大の弱みだからじゃ。せめて逃げ足ぐらいは人並み以上になってもらわねば、安心して闘えん」

「逃げ足を鍛えるわけね……」

 なんとも情けない言われように、伶人は苦笑げんなりした。

 とはいえ、瑠姫の言い分が正しいことはわかっている。

 式神を駆使する方士が相手では、伶人の戦闘力など無いに等しい。拳銃ピストルでもあればともかく、鈍器バット刃物ナイフを振り回したところで瞬殺されるのがオチだろう。

「俺にできるのは、せいぜい足手まといにならないよう、逃げ回ることだけか……」

「ふふっ。そうしょげるでない」

 瑠姫は、叱られて消沈しおしおしている幼子おさなごをなだめるような声音こわねで言った。

「逃げ足も極めれば立派な技よ。お前が人質にとられでもしたら難儀じゃからな。そうならんよう頑張ってくれるだけでも、充分ありがたいぞ」

「はぁ……頑張ります。──でも、もし俺が人質にされたりしたら、遠慮なく見捨ててくれよ。俺のせいで、お前がヤバいことになるのは嫌だからな」

「むー……」

 伶人としては彼なりの矜持きょうじを示したつもりだったが、瑠姫は何故か渋い表情かおになり、ふてくされてしまった。

 いったい何が気にさわったのか、伶人にはさっぱり分からない。

「…………なに?」

「わかってないのう」

「だから……なにが?」

「……はぁ……」

「…………?」

 溜息をついて、瑠姫は伶人ににじり寄る。

 無言、かつ無表情で。

 そうして、おもむろに伶人の左の手首を掴むと、力任せに引き寄せ──

「だーっ! 痛い痛い痛い痛い!」

 前腕伸筋群ぜんわんしんきんぐんのあたりに咬みついた。

 喰い千切らんばかりの咀嚼力そしゃくりょくに伶人は悲鳴をあげ、アイアンクローで瑠姫を引きがしにかかる。

「お前な、なに考えてんだよ! 思い切り、かじりやがって」

 やっとの思いで脱出した伶人は、くっきりと刻み付けられた歯型を確認してからデコピンをお見舞いした。

 瑠姫は避けようともせずデコピンを受け、黙って伶人をにらみつける。

「……なんだよ」

「見捨ててくれ、などと言うでない」

「は……?」

「よいか、二度と言うな。そんな言葉、聞きとうない」

「そうか……ごめん」

 伶人は、ようやく瑠姫がブチ切れた理由に気づいた。

 わかってみれば微笑ましい。

 要するに「水臭いことを言うな」というわけだ。

 それを歯で表現するのはやめてもらいたいが、かじられたことも含めて不思議と憎からず思えてくるのは何故だろう。

(なんだかんだ言って、俺は楽しんでるのかな。こいつがいる日常を)

 ふっ、と伶人は鼻から笑いをこぼし、あらためて瑠姫の仏頂面ぶっちょうづらを眺めた。

 すると、自分でも意外な言葉が口をつく。

「──なぁ、撫でてもいいか? 頭」

「は? ああ……うん……好きにせい」

 瑠姫は前髪をかきあげながら応え、うつむいて頭を差し出した。

 そのほんの数秒間に、驚き、戸惑い、よろこび、恥じらいといった表情が次々とあらわれたことが、伶人にはとも可愛らしく思えた。



【第3章・了】

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