せんせいとたなばた
『たなばた』 きのしたるり
七月七日はたなばたです。
一年に一ど、おりひめさまとひこぼしさまがあえる日です。
一年に一どしかあえないのはかなしいとおもいます。
だから、雨がふらなければいいなとおもいました。
わたしは、まい日おともだちとあえるのでうれしいです。
すみちゃんは
「たまにあうからたのしいんだよ」
というけれど、わたしはまいにちすみちゃんにあいたいです。
********* *********
今日は完全なオフ日だ。
土曜日や日曜日であっても、行事やイベント、会議などで学校に行かなければならないこともある。学校に行く必要がなかったとしても、新米教師であり新米担任である私は、調べものや教材の準備などやらなくてはいけないことが多い。だから完全に休める日というのはほとんどない。
だけど、今日は完全にオフだ。
正確に言えばやらなければいけないことはあるのだけれど、今日は一日仕事をしないと決めた。
たまには休まなければ心と体が疲弊してしまう。これも必要なことなのである。
心の中でそんな言い訳をしながら、オフを満喫するために自宅のある町から少し離れた大きな街まで足を延ばした。
大きな街といっても、住んでいる町と比べるとちょっと賑やかだという程度だ。友人とショッピングや飲み会をするときは、さらに賑やかな繁華街まで行く。
もちろん今日も繁華街まで行くという選択肢もあったのだけど、遠い繁華街まで往復する時間がもったいないような気がした。それにこの街は中小規模のお店が多い。だから一人でちょっとした買い物をするくらいならば、繁華街より便利なのだ。
実際に私の住む町の人たちの買い物といえば、この街なのである。
そう、つまりこの街を選んだのはそういう理由だ。
少し前の雨の日。飲み過ぎて終電を逃してしまったとき、この街で偶然に脇山さんと会った。だからと言って、また偶然に脇山さんに会えることを期待しているわけではない。断じて違う。
そもそもそんな偶然が度々起こるわけがないのだ。
それに脇山さんは私が勤める『こだま小学校』の近くに住んでいる。もしも偶然に出会うことがあるとするなら、小学校の近くだろう。
別に偶然に会うことを期待しなくても、私は脇山さんの連絡先を知っているし、自宅だって知っている。だから会う気になればいつでも会うことができる。
今日、仕事を完全に休んでショッピングをしようと思ったのは、今日が私の誕生日だからだ。自分へのご褒美を買いに来た。
脇山さんに偶然に会えるかもなんて思ってはいない。
と、そこまで考えて私は頭を振った。一体誰に対して言い訳をしているのだろう。
雨の日のお礼を脇山さんにきちんと伝えなければいけないと思っていた。だけどあの日の失態が恥ずかしくて、どうしても連絡をすることができなかったのだ。
だからもしも偶然に会えてお礼を伝えることができたらいいなとは思う。
本当にその程度の気持ちだ。
梅雨時だけど雨の降っていない土曜日だからか、街には人が溢れていた。
私は目的地も決めずに適当に足を進める。
私は自分の誕生日があまり好きではない。
七月七日、七夕が誕生日だと伝えると、大概の人が「いいね」などと言う。だけどあまりいい思い出はない。
おそらく、バレンタインやクリスマス、ひな祭りといったイベントごとと誕生日が重なった人は、みんな同じような気持ちを抱いているのではないかと思う。
七夕の場合、七夕伝説のおかげで晴天を願う人が多い。しかしなにせ梅雨真っ只中だ。
雨、もしくは曇りになることが多い。そのために私に対する雨女疑惑が浮上し、七夕に雨が降ると私の責任にされた。当然だが、私に天候を操る能力などない。濡れ衣である。
幼い頃には誕生会と七夕会が一緒にされて何とも微妙な気持ちになったものだ。
さらに新暦ではなく旧暦で七夕の祭を開催する地域も多いため、なぜか私が偽物扱いを受けるのだ。本当に理不尽だと思う。
ある程度年齢を重ねてからは別の要素も発生した。
七夕伝説は織姫と彦星の恋の話だ。だから恋人たちのイベントとしての意味合いも持つ。恋人たちが短冊に『ずっと一緒にいようね』なんて書くのだ。
大体、ずっと一緒にはいられない二人の悲恋の話なのに、そんなことを願って叶うはずもない。
私もそんなことを書いた記憶がうっすらとあるのだけれど、それはまぁ、別の話だ。
つまりそんな風に過ごせる恋人がいるときには、誕生日であり恋人のイベントである七夕を共に過ごせるのだから楽しい。だが、独りで過ごすときは、二倍どころか三倍は心にダメージを負うのだ。
これまでにも恋人のいない七夕を過ごすことはあった。それでも七夕は祝日ではないため、学校で友だちと過ごしたり、仕事をしたりとなんとか誤魔化すことができたのだ。
ところが今日は仕事のない土曜日だった。大学時代に好きだった人が結婚すると知ったことも影響しているのかもしれない。
どうしても家で独りきりで過ごす気分になれなかった。
だけどこうして街に出ると、すれ違う人たちは、家族連れや、友達、恋人とみんな楽しそうに見えて、それはそれで寂寥(せきりょう)感に襲われる。
私は暗い気分を吹き飛ばすように首を振った。
駅の少し先に感じのいいショップがあるのを思い出した。普段買わないちょっといいバッグを買うことにしよう。
私はそう決めてショップを目指す。
しばらく歩くと目的のショップに到着した。こじんまりした店内には、バッグやアクセサリー、革小物などがきれいに陳列されている。
アクセサリーを見ると久々にアクセサリーを買いたいという気分になるが、学校にはあまり付けていけない。やはりバッグの方がいいだろう。書類やファイルが入るちょっと大きいサイズのバッグがいい。
自分への誕生日プレゼントだというのに、実用性を考えてしまうのがちょっと悲しい気もするが、そこは目をつぶることにしよう。
しばらく店内を見て回り、目に留まったバッグを手に取った。
赤い革のバッグだ。
とても深い落ち着いた色の赤で、フリンジと南京錠のチャームもかわいい。荷物をたっぷり入れられる大きさで、中はいくつか仕切りがついていて使いやすそうだった。
普段、赤い小物を持つことは少なかったが、この赤はとても気に入った。しかし値段を見た瞬間、私はそっとバッグを棚に戻した。
いくら自分へのご褒美だとはいえ、予算を上回り過ぎだ。
そうして少し値段の安い他のバッグも見たのだけれど、やっぱり気になるのは赤いバッグだった。
散々悩んだ挙句、私は赤いバッグをレジに持って行った。
ちょっと痛い出費ではあるけれど、気に入ったバッグを手に入れられたので気分は上々だ。
そうしてショップショップを出たとき、あるはずがない偶然が歩いてきた。
私は思わずショップの影に身を潜める。
駅の方面に向かって歩く女性は間違いなく脇山さんだった。今日は少し丈の長いフレアスカートとブラウスに身を包んでいる。その隣に赤いメガネをかけたシャープな印象の女性がいた。脇山さんと同じくらいの年齢に見える。
談笑する二人はかなり親密そうだ。
二人が私の近くを通り過ぎようとしたとき、脇山さんが突然立ち止まった。気付かれたかと思ってドキッとしたが、それは杞憂だった。
脇山さんは隣の女性に向かって「メガネ、外してよ」と言うのと同時に、両手を伸ばして女性のメガネを取り去った。
「メガネの市子は怖い」
「ちょっと、返しなさいよ」
「他に誰もいないんだから、メガネなくてもいいでしょう?」
「外ではメガネをかけるようにしてるの」
「えー、見えないわけじゃないんだから、今だけでもメガネ外しておいてよ」
「いやよ。返して」
「もし不安なら、手をつないであげるけど?」
「馬鹿じゃないの?」
そんな二人のじゃれ合いが私の耳に届いた。
バッグを買って湧き上がった高揚感が一気に冷えていくのを感じた。
二人は尚もじゃれ合いを続けながら駅に向かって歩き去る。
心臓の音がうるさいし、喉はカラカラだ。足に力が入らない。踏ん張っていないとその場に座り込んでしまいそうだった。
あの女性は脇山さんの友だちなのか、それとも恋人なのか。
二人の関係は知らない。でもそれは知らなくていいことだ。私には関係のないことなのだから。脇山さん教え子の叔母というだけだ。
私はそう自分に言い聞かせて心を落ち着かせる。
しばらくするとようやく体に力が戻ってきた。かなりの時間が経ったような気がする。
私はもう買い物を続ける気になれなかった。ようやく動くようになった足を引きずるようにして、私はトボトボと駅に向かって歩き出した。
こんなことになるのなら家で大人しくしておけばよかった。
そもそも、なぜ私はこんなにも脇山さんのことを気にしてしまうのだろう。顔を合わせたのなんて、たったの二回だ。
一度目は怪我をした流里さんを迎えに来たとき。プライベートな話なんてなく、ただ事務的な話をしただけだ。
二度目は雨の日。私は酔っていて何を話したのかも覚えていない。
授業参観に脇山さんは来ていたようだが、私はその姿すら見ていない。
確かに脇山さんの何気ない言動に救われた気持ちになった。だけど、こんなに気にするほどのことではない。
多分、担任を持ったプレッシャーや好きだった人の結婚で心が疲れていたのだ。だから、仕事仲間でもなく、児童の保護者とも少し違う、気楽に対することができる脇山さんに救いを求めてしまったのだろう。
ただそれだけのことだ。脇山さんは私にとって特別な何かではない。
私がそう結論付けたとき、ポンと肩が叩かれた。
振り返ると、随分前に女性と歩き去ったはずの脇山さんが笑顔を浮かべて立っていた。
「先生、偶然ですね」
「え、と……」
言葉が出てこない。
脇山さんの隣には、先ほどの女性ではなく背の高い男性が経っていた。ポロシャツにジーンズというラフな服装だが、脇山さんの隣に立つと、二人でコーディネイトしたかのように似合っている。
私はこの状況をどう整理すれば良いか分からずパニックになっていた。
脇山さんは少し首をひねる。それを見て私は慌てて笑顔を浮かべた。
「お仕事ですか?」
私は脇山さんに尋ねた。そういえば脇山さんが何の仕事をしているのかも知らない。でも「デートですか?」とは、冗談でも口にしたくなかった。
「仕事? 仕事……では、ない、かな?」
なんとも微妙な返事だ。
脇山さんはハタと気付いたように手に持っていたキーホルダーを見る。そして男性に向かってそれを放り投げた。
「キタロー、先に行って車まわしといて」
男性はキーホルダーを受け取ったものの、不満そうな顔を浮かべる。
「いや、すみ枝、それよりもオレにその人を紹介する方が先じゃね?」
だが脇山さんは「黙れ。行け」と言いながら男性を蹴る真似をした。男性は私に向かって小さく頭を下げて、渋々脇山さんの言葉に従った。
脇山さんの言った「車」とは、この間私が乗せてもらった車だろう。今日はあの男性と二人で車に乗ってどこかに行くつもりらしい。
ツキンと胸に痛みが走る。この痛みはダメなやつだ。
さっき脇山さんのことは何とも思ってないと結論づけたはずだ。
「先生は、お買い物ですか?」
脇山さんは邪気のない顔で尋ねる。私の手に持っているショップバッグを見たからだろう。
「ええ、まぁ……。人と一緒なんです。今日、誕生日だからってプレゼントをもらって。これから食事にいくところで……」
私は咄嗟に嘘をついた。どうしてこんな嘘をつく必要があるのだろう。言葉を紡ぐたびに自己嫌悪の波が襲う。
「そうなんですか……」
脇山さんはあっさりと納得してしまった。私が誕生日を一緒に過ごす相手が誰なのかを考えたりはしないのだろう。自分で付いた嘘に傷つくなんて馬鹿げている。
「誕生日か……」
脇山さんは少し考える仕草をすると、ゴソゴソとバッグの中を漁りだした。
そして「お誕生日おめでとうございます」と言って、笑顔で一枚のポストカードを差し出した。
「こんなものしかなくて申し訳ないんですけど」
それは海のイラストだった。差し込む光と水が幻想的に混ざりあい、色とりどりの魚と戯れる幼い人魚の姿があった。
「ありがとうございます」
私はそう言って、素直に脇山さんからの贈り物を受け取った。私の言葉に脇山さんは穏やかな笑顔を浮かべる。
「それじゃあ、私はそろそろ行きますね。素敵な誕生日をすごしてください」
そうして脇山さんは手を振って去って行った。
私はポストカードを胸に押し当てて、去っていく脇山さんの後ろ姿を見つめていた。
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