せんせいと雨の日

『雨』 きのしたるり


わたしは、雨の日があまりすきではありません。

あさ、雨がふっていると、ちょっとかなしいきもちになります。

はれていたのに、きゅうにザーーーッと雨がふるのが一ばんすきじゃないです。そんなときは、カミナリもゴロゴロとなるからです。

でも、すみちゃんは

「雨の日には、雨の日のいいことがあるかもよ」

といいます。

わたしは、雨の日のいいことがどんなことかわかりません。

すみちゃんにきいてもおしえてくれませんでした。


********* *********


 私は途方に暮れていた。

 今日は夕方から久々に大学時代の友人たちと会った。集まったのは大学時代にいつも一緒に遊んでいた四人。

 私は小学校の先生。今年から担任を持って、ドタバタの毎日を送っている。

 美咲は一流の商社に勤めている。仲間内では一番優秀だった美咲だが、なかなか思うように仕事ができず少しへこんでいた。

 久美子は入った会社を一年で辞めて今はアルバイト生活をしているらしい。

 そしてみどりは結婚が決まったと報告した。

 相手は会社に入ってすぐに出会った同じ会社の男性で、結婚後も仕事は続けるという。

「子どもは早く欲しいかな」

 みどりは少し照れながら話した。

「もしも樹梨が子どもの先生になったら面白いね」

 と、みどりが笑いながら言うものだから、

「みどりの子どもが小学校に上がる頃には、私も結構ベテランになってるね。ドーンとまかせてよ」

 と、胸を叩いて答えてみせた。



 久々に気の置けない友人たちと会えたことの楽しさと、明日が休みだという開放感で、私はいつもよりもお酒を飲み過ぎてしまった。

 友人たちと再会を約束して解散した後、私はギリギリで終電に乗り込むことができた。

 ところがその終電は、私の住む町までたどり着かなかったのだ。

 私が勤めるこだま小学校は少々郊外にある。通勤を考えてその近くにアパートを借りているのだが、こうして市街に出ようとおもうと少し不便な場所だ。

 住んでいる町まで行く電車の最終は、私が乗った電車より二十分早かった。つまり、我が家よりも少し手前の大きな駅でおろされてしまったわけだ。

 バスに関してはもっと早い時間に終わっている。タクシーを使えば三十分くらいかかるだろうか。なかなか痛い出費である。

 ファミレスで始発まで時間を潰してもいいが、体が泥のように重い。はやくベッドに入って眠ってしまいたい。

 遠くで雷が鳴っていた。しばらくしたらこの辺りにも一雨来るかもしれない。

 ビジネスホテルでも探すか、と考えていたとき、一台の車がプッと小さくクラクションを鳴らした。そしてハザードランプを付けて目の前に停車する。

 ナンパなら面倒だ。私は即座に車が来た方向に歩き出す。これなら、車で追おうとすればバックするしかない。

 だが車の運転手は、すぐに車を降りて私を追ってきた。

「先生」

 そう呼ばれて私は振り返る。

 ナンパで「先生」とは呼ばない。そう呼ぶからには、私のことを知っている人なのだろう。

 しかしそれはそれで面倒だ。

 もしも児童の保護者ならば、こんなに泥酔した姿を見られていいことがあるとは思えない。

 私は気合を入れて酔いを吹き飛ばした。

 駆け寄る人物を見たが、頭の中の保護者リストに該当者がいない。

 どこであった人だろう。

 その人物は、Tシャツにブラウンのスリムなパンツスーツを着ていた。髪は後ろで軽くまとめている。

「えっと……」

 こんなとき先生という仕事は大変だと感じる。基本的に一対多の関係だ。相手にとって私は『一』である。そのため、かなりはっきり私のことを認識される。一方、私からすれば相手は『多』の中の一人になる。失礼な言い方かもしれないが、担任しているクラスの児童が二十名。その保護者となれば、三倍、四倍の数になる。さらに、他のクラスの児童の保護者も含めればその数はさらに膨れ上がる。

 記憶力は悪い方ではない。できるだけ覚えるよう努力もしている。

 しかし必死で記憶のページをめくるが、該当者が思い当たらなかった。

 酔っているせいもあるかもしれないが、こんなにかっこいい感じの女性なら、忘れるとは思えない。

 どこであった人だろう、という私の戸惑いの顔にきづいたのだろう。相手の方から正体を明かしてくれた。

「あー、私、木下流里(きのしたるり)の叔母です」

「すみちゃん!」

 思わず流里がいつも呼んでいる名を叫んでしまった。

「そうそう。すみちゃんです」

 脇山すみ枝(わきやますみえ)は、担任をしているクラスの児童・木下流里の叔母だ。

 以前、一度だけ学校で会ったことがある。しかし、その時とは全く別人だ。

 怪我をした流里さんを迎えに来たときは、黒縁の大きなメガネをかけていた。今はそれがない。髪だって寝起きのようなボサボサ頭だったし、服装もよれよれのTシャツ、ジーンズ、サンダル履きだった。

 私が目を白黒させていると、脇山さんは「いやあ、今日はちょっと小綺麗にしてるんで」と言って頭をかく。

 なんとなく私の顔が赤くなってしまっている気がするのは、きっと酔っているからだ。

「もう終電ありませんよね? よかったら送りましょうか?」

 脇山さんの申し出は正直ありがたい。だが、それを受けて良いものか悩む。

 そのとき大粒の雨が地面に落ち始めた。

 脇山さんは天を見上げて「おうっ、来た」とつぶやく。

「先生、雨も降ってきましたし、車に乗ってください」

 そう言われて私は大人しく脇山さんの車の助手席に収まった。

 車に乗り込むと滝のような雨が車を叩き、カーステレオの音もろくに聞こえない状態になった。

「ギリギリでしたね」

 脇山さんはそう言って笑うと、ゆっくりと車を発進させた。

「すみません。ありがとうございます」

 私はお礼を伝える。

「先生のお宅は学校の方面ですか?」

「はい」

「んじゃ、そっちの方に行くので、近くに行ったら教えてください」

 そういえば授業参観のとき脇山さんから花丸をもらった。あの話題を出していいものだろうか。

 私は脇山さんの横顔をチラリと盗み見た。

 学校に通っている流里さんやその姉の里香(りか)さんとはあまり似ていないような気がする。二人の母親、つまり脇山さんの姉の顔も知っているが、やはり似ているような気がしない。

 まずいな、ちょっとドキドキするような気がする。やっぱりお酒を飲み過ぎたせいだろうか。

 そんなことを考えていると、わきゃまさんが「飲み会ですか?」と質問をした。

「はい。大学の友人と久々に会ったんです。ちょっと飲み過ぎちゃいましたね」

「まあ、先生はストレスも多いでしょうし、たまにはそうやって発散した方がいいですよ」

 車の揺れと雨音が心地いい。

「大学の頃、好きだった人が結婚するんです」

 なぜ私はこんなことを話しているんだろう。

「その人のこと、まだ好きなんですか?」

「全然。もうとっくに吹っ切ってます。でも、やっぱりちょっとショックだったんですよね」

「それで飲みすぎちゃったんだ」

「違います。久々に友だちに会って楽しかっただけです」

「そうなんですか?」

 脇山さんは何が楽しいのか、終始笑顔を浮かべていた。



 みどりが結婚すると聞いてショックだった。とっくの昔に思いは吹っ切れているのに、どうしてあんなにショックだったのか不思議だ。

 大学でみどりと出会って、私はみどりに惹かれていった。

 そして大学二年も終わりの頃、私はみどりにその気持ちを伝えた。

「私、みどりのことが好き、なんだけど」

 つたない言葉で、でも精一杯の気持ちを込めて。

 みどりは私の言葉の意味を正しく理解していたと思う。

「私も樹梨のこと好きだよ。大学、不安だったんだー。でも、すぐに樹梨と仲良くなれて本当に良かった。久美子も美咲もいい子だし、本当に毎日楽しいよ」

 そうしてみどりはわざと言葉の意味を違えた返事をした。それが答えだ。

 みどりのやさしいフリをした拒絶は、まっすぐに断られるよりも辛かった。

 そして私はみどりのことはきっぱりと諦めて別の人と付き合ったのだ。

 みどりに対して友だち以上の態度を出さないように心掛けた。それはとても苦しい時間だった。それでもしばらくするとその苦しさも雪のように解けていった。

 今はもうみどりに対する未練は残っていない。それは断言できる。

 それなのに、みどりの結婚は想像以上にショックだった。



 目が覚めて激しい頭痛と吐き気に見舞われた。

 二日酔いだ。

「うっ」

 声にもならない声を上げると「水、飲みますか?」という声がした。

 慌てて辺りを見渡すと、そこは見知らぬ部屋だった。

「ああ、そんなに頭を振ったら……」

「き、もちわる……」

「あー、あー」

 そう言ってペットボトルの蓋を開けて、水を差しだしたのは脇山さんだった。

 スウェットの上下を着て、大きな黒縁のメガネをかけている。

 ここは脇山さんの部屋なのだろう。大量の本や雑誌が適当に積み上げられており、キレイとは言い難い。

「すみません」

 私はペットボトルを受け取り、水を一口飲んだ。少しだけ胸のムカつきが治まったような気がする。

 落ち着いて状況を整理しよう。

「私、どうして?」

「夕べ、駅で会ったのは覚えてますか?」

 私は頷く。

「よかった。お宅まで送ろうと思ったんですけど、先生、途中で寝ちゃって……。仕方がないので、我が家にお連れしました。汚い部屋で申し訳ないですが」

「ご迷惑をお掛けしました。本当にすみません」

 私は慌てて思い切り頭を下げた。

「ああ、そんなに頭を動かしたら」

「きもちわる……」

 私はもうひと口水を飲む。

 そこで私は自分が下着姿でベッドに寝ていたことに気が付いた。頭痛も吐き気も一気に消え、血の気が引いていく。

「服がシワになるし、寝苦しいと思ったんで」

 脇山さんは、私の思考を感じ取ったのか、サラリと言った。

「あ、す、すみません」

 私は再び謝罪の言葉を伝えた。そして脇山さんが渡してくれた服をいそいそと着る。

 そうだよね、相手は児童のご家族だし、女同士だし、妙なことになったりはしないよね。そう考えながら、少し残念に思ってしまう自分の心に戸惑う。

「本当にご迷惑をかけてしまってすみませんでした」

 私は玄関に立ち、もう何度目かも知れない謝罪の言葉を伝えた。

「いえいえ。大丈夫ですよ」

 脇山さんはまったく気にしていない様子で答えてくれた。少し気持ちが楽になる。

「帰れますか? なんだったら送りますけど?」

「いえ、大丈夫です」

 私はそう言って丁寧に頭を下げて脇山さんの部屋を出た。

 去っていく私に向かって、脇山さんが「また終電逃したら電話してくださいね。迎えに行きますから」と言って笑顔で手を振る。

 私は戸惑いながらも会釈をして立ち去った。

 脇山さんの部屋から見えない場所まで来ると、私は慌てて携帯を取り出した。

 アドレス帳を確認すると『すみちゃん』と名付けられた連絡先がしっかりと入っている。

 これはどうやって登録したのだろうか。ロックを掛けているのだから、恐らくは自分で登録したはずだ。

 昨夜、脇山さんの車に乗り込んだところまでは覚えている。

 それから私は一体何をしたのだろう。何を話したのだろう。

 知りたい。だけど、知りたくない。

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