12-1 青木さん、会社に来襲

 先取りの夏休みは終わった。翌月曜日に出勤した。

 職場のお土産にチーズを買ってきた。エメンタールという種類のチーズで、アニメなんかにでてきそうな、チーズらしいチーズだ。

 ぼくは子供のころ、アニメでチーズというものが存在するということを見知った。登場キャラたちがおいしそうに食べるのを見て、甘くておいしいんだと思った。ケーキみたいなものだと思っていたのだ。給食でだったか、小学生になってからだと思うけど、実際にチーズを食べたら、歯触りが悪くて、酸味があって、甘くなくて、ちっともおいしくなかった。子供心にチーズに裏切られた気分だった。

 会社は男ばかりだから、いや、経理事務のおばさんが一人いるけど、どうやって食うんだと聞かれた。ぼくもわからなかったから、事前に調べておいた。そのまま食べてもおいしいらしい。温めると溶けるから、パンにのせてトーストしたらきっとおいしいですと教えた。チーズフォンデュの逆バージョンだ。チーズフォンデュでは、溶かしたチーズの中に小さく切ったパンをいれてチーズをすくいとる。

 今日撮影はないから、会社でパソコンに向かって現像作業をする。スイスに行く前に撮った萌さんだ。映像に昨日の萌さんのおっぱいの記憶が重なって、手のひらに感覚がよみがえってくる気がする。

 だれかお客さんのようだ。パーテーション越しに、社長が挨拶をする声がぼくのデスクまで聞こえてきた。気配が近づいてきたから、画面から目をはなしたら、ぼくの肩に手が置かれた。すわったまま見上げると、青木さんだった。珍しいというか、はじめての来社だと思う。

「いらっしゃいませ」

「来ちゃったよ。いや、ちょっと用事で近くまできたからさ、奥田さんの会社近くだよなーと思って、調べて来ちゃった。ジャマ?」

 ぼくは現像途中のファイルを保存して、閉じた。青木さんに見せてはいけないファイルだった。

「いまの、萌ちゃんだよね」

「ええ、まあ」

 胸に熱いものがこみ上げてくる。怒りかもしれない。

「撮ったの奥田さん?」

「そうですけど」

「ふーん、なんかちょっと。いや、いいんだけど」

「なんですか?」

「ああ、ごめん、気にしないで。見たらマズいやつなんでしょ?」

 応接スペースに青木さんを通してコーヒーを用意した。青木さんと社長との話に、ぼくも同席する。本当に用事があったわけではなかったらしく、雨が降ってうんざりだ、梅雨が近いらしいなんていう世間話的なものと、業界のいろいろな話を社長と長々としていた。ぼくは途中で眠くなってしまって、意識を保ち続けることに失敗していたかもしれない。

「そんなわけで、奥田さんは、いまみたいな現場で終わる人材じゃないと思ってます」

 え、ぼくの話になってる。そのことに気づいて、意識がはっきりした。

「そうですね、若者の将来のことをサポートしたいとは考えています。わたしのような年寄りは、もう商売のことは気にする必要がないです。あとは死ぬまで仕事をやっていられればいい。先日もスイスに行きたいと言ってきましてね、仕事の都合をつけて行ってきたですよ。今日から職場復帰して、土産はもってきましたけどね、写真は見せませんね。奥田はそういうところがある。青木さんからも指導してもらって、もっと積極性を身につけてもらいたいもんですな」

「社長、そんな」

「わたしからは、賞に応募しろと言ってるんです。賞を受賞した社員がいたら、会社にとっても宣伝になっていいでしょう」

「本当です。バンバンだして活躍してもらいたいもんです」

「ぼくは、まだ、そんな」

「奥田さん、そんなこと言っていたらいつまでたっても応募できないんですよ。手持ちの中からベストなものを出すしかないんです。クリエイターは、作品を作って、人に見てもらわないと。そうやって育っていくものですよね、社長」

 社長もうんうんとうなづいている。

「いま検討中なんです」

「そう。やっとその気になりましたか」

「はあ、まあ。やっとですね。まだまだダメですけど」

「それは楽しみですね、社長」

「まあ、初めから結果を期待しちゃ、プレッシャーになりますからな。まずは応募することですな」

 青木さんと社長はうれしそうに豪快に笑った。

 帰り際、エレベータまで送ったとき、青木さんがまた飲もうと言った。金曜がいいだろと言われて、はいと答えた。ちょうどよい。萌さんのことでなにかいってやらないと気が済まないと思っていたのだ。もう萌さんになにも報告する必要ないけど。

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