第17話 凱旋。そして──

「お疲れさま! 良かったわね。ミアちゃん」


「エリスさん!」


 ミアがシルヴェスとアルルが入ったかばんを手に自警団事務所から出てくると、すでに宿を後にしたフェルとエリスが道の上で待ち構えていた。


 ミアはぱっと笑顔になり、二人に向かって小走りで駆け寄る。――と、その時、


「……あれ? いつもお墓で会うお姉ちゃん?」


 ミアはフェルを見上げ、驚いた表情になった。フェルの顔が強張る。エリスは目を丸くし、ミアとフェルを交互に見て言った。


「あれ? 二人、知り合いだったの?」


「……うん。……ごめん、私……帰るね」


「えっ?」


 唐突に別れを告げたフェルは、聞き返したエリスにも構わず、ミアに背を向けてたっと走り出す。


「お姉ちゃん!?」


 ミアは慌てて声を掛けたが、フェルが足を止めることはなく、そのまま曲がり角の向こうに消えてしまった。


「どうしたのかしら……? ほんとおかしな子ね」


 エリスは呆れ顔でため息をついた。


「あの……私、何か……」


 ミアは自分が悪いことをしたのではないかと不安そうである。


「ああ。ミアちゃんは気にすることないわよ。フェルはいつもあんな調子だから」


 エリスは苦笑して肩をすくめ、「じゃあ、猫カフェに帰りましょうか。荷物持つわよ」と言うと、ミアからかばんを二つ受け取って両肩に下げた。


 ミアは歩き出したエリスを小走りで追いかける。


「それにしても、ミアちゃんがフェルと墓場で会っていたなんてねー。フェルはまだまだ謎が多いわ」


「お姉ちゃん、誰かを探してるって言ってましたけど……」


「誰かを……? うーん、心当たりがないわねー。あの子、自分の過去のことはほとんど話してくれないから……」


 そんなことを話しながら、二人は真っ直ぐに猫カフェへと向かう。やがて、二人の前に夕闇に沈んだ薄緑色の建物と落ち葉が絨毯のようになった庭が見えてきた。


「やっと戻って来たわねー。今日は長い一日だったわ」


 エリスは吐息交じりに呟くと、庭の小道に足を踏み入れた。その足元で落ち葉が音を立てる。


「シルヴェス、もうちょっと我慢してね。すぐ店に着くから」


 エリスはかばんの中に向かって声を掛けた。


「うー。日が落ちると一気に冷えるわね。早く中に入ってお茶でも飲みましょう」


 手をこすりながら建物に近づく。すると、不意にミアが「あっ」と声を上げた。


 エリスがミアの視線の先に目を向けると、扉の前の薄暗がりに、小さな影が幾つも集まっている。


 そこにいたのは四匹の猫だった。


「……猫? 猫カフェの子たちじゃないわよね……?」


 エリスは驚いた様子で猫たちに歩み寄る。


「この毛色、前に自警団からかばった子たちです!」


 ミアはその猫の顔ぶれに見覚えがあった。


「んなー」


 大きなサバトラがざらついた鳴き声を上げ、何かを訴えてきたので、エリスはちょっと困った表情になった。


「ごめんね。私、猫語は分からないのよ」


 と、その時、かばんの中からくぐもった鳴き声が聞こえる。


「シルヴェス、出て来て話したいの? まあ、これだけ暗くなっていたら通行人に見られることもないか」


 そう言って、エリスはかばんを下ろすと、その口を開いたのだった。



「ふう。やっと出られた」


 かばんからひょこっと顔を出したシルヴェスは、すぐに鳴き声の主を探して辺りを見回した。


 あの野太い声には聞き覚えがある。


 やっぱり!


 シルヴェスの目に飛び込んできたのは、ザーラ、ジャック、マリシアとチビだった。


「久しぶりだな。黒猫の魔女」


「ジャック!? ど、どうして?」


 なぜカラス仮面の部下になっていた過激派たちがここに?


 シルヴェスは警戒心を露わにして尋ねる。


「まあまあ、そんなに怖がらないで頂戴。私たち、カラス仮面から離反することにしたのよ」


「えっ!?」


 ザーラの言葉を聞き間違えたかと思い、シルヴェスは驚いて耳をパタパタさせた。


「その通り。結局あの人は、私たち猫のことをただの道具としか思っていなかったのよ」


 沈んだ声を漏らすマリシア。どうやら彼らがカラス仮面から離れたのは本当のことらしい。


「い、一体何があったんですか?」


 シルヴェスは詳しく話を聞こうと、身をよじってかばんから這い出した。


「きっかけは、私たちがその子に助けられたことだったわ」


 マリシアは鼻先をミアの方に向けて言葉を継いだ。


「以前、自警団から襲われた時にね……。お陰で、私たちは難を逃れることができたの。でも、そのせいで、その子は自警団に目を付けられてしまった――。だから、私たちはカラス仮面にその子の救援をお願いしたのよ」


「そうだ。人間は敵だが、俺たちも恩知らずじゃない。その子は何としても助けないといけないと思った。だが、あのカラス仮面ときたら、最終段階に入った自分の『実験』を優先して、俺たちの頼みを一切聞きやがらなかったんだ!」


 ジャックは忌々しそうに鼻に皺を寄せて吐き捨てた。


 実験! そういえば、カラス仮面はこの子たちに実験動物を集めさせていたんだった。


 シルヴェスはにわかに不吉な予感に襲われる。ザーラが肩を落としてため息をついた。


「その頃からだったわ。カラス仮面は私たちに構うことがほとんどなくなったの。ずっと何かに取り憑かれたように実験を繰り返すばかり……。それで、私たちはあの方を見限って、他に身を寄せるところを探し始めたのよ」


「また人間に襲われたら、この子を守るのは難しいからね……」


 マリシアは眠そうな目をしているチビの顔を舐めてから、「だからお願い。私たちを、この猫カフェに置いてもらえないかしら?」と、シルヴェスに懇願した。


「えっ? うちに!?」


 シルヴェスはびっくりして目を丸くする。


「ああ。お前とは対立したこともあったが、この店の俺たちの耳にも入っている。それに、どうやらお前は、俺たちの命の恩人を助けてくれたみたいだしな」


 ジャックはミアの方にちらっと目を向けて言った。


「え、えーっと……。うちとしては大歓迎だけど、みんな、本当に猫カフェの仲間に入りたいってことなのね?」


 シルヴェスは思わぬ急展開にちょっと面食らいながら聞き返す。


「だからさっきからそう言ってんだろうが!」


 ジャックが苛立って牙をむきながら毛を逆立てた。シルヴェスは思わず四つ足を伸ばしてつま先立ちになり、跳ねるように後ずさって言う。


「わ、わ、わ、分かったわ。じゃあ、四匹とも、今夜から店に迎えるわね。でも、その前に一つだけ聞かせて。カラス仮面は一体何を実験していたの?」


 シルヴェスの問いに、ジャックたちはそろって難しい顔になった。


「それが、俺たちも詳しくは聞かされてねーんだ。この世界の構造をひっくり返すための研究とか言ってやがったがな。実験の中身まで把握していたのはキールだけだったんじゃねーか?」


 とジャック。それを聞いて、シルヴェスは改めて周囲を見回した。


「あれ? そういえばキールは?」


「あいつはカラス仮面のもとに残ったよ。実験を止めるようカラス仮面を説得するとか言ってな」

 

「そうだったのね……」


 シルヴェスは思案げな表情で答えた。

 

 世界の構造をひっくり返すための研究……? キールは、一体何を知っていたというのだろう。


 シルヴェスは嫌な胸騒ぎを感じた。



 街燈がなく、夜闇に支配された路地。


 人っ子一人いない石畳の上を、とぼとぼと歩くハチワレ猫が一匹いた。


 キールである。


 何を思い悩んでいるのだろうか。その足取りは重い。


 見るからに元気がなく、尻尾も頭も下がり気味である。


「はあ……。畜生。やっぱり、俺の力だけじゃ、彼の計画を止めることはできそうにない……」


 キールは独り言ちた。刹那――


「誰だ!?」


 耳をぴんと立て、素早く背後を振り返った。


 彼の視線の先には、黒い人影が一つ。


「あれは――!」


 その正体に気が付いたキールは、反射的に逃げ出そうと勢いよく地面を蹴った。しかし、


「逃がさない」


 人影が片手を道の先にかざすと、キールの目の前に氷の壁が立ち現れ、たちまち退路を塞いでしまう。


「他の猫たちがカラス仮面から離れ、部下はお前だけになってしまったようだな。お前もいい加減、奴を見限ったらどうだ?」


 黒と紫のコートに、白銀の髪。氷を放った人物――ラークは、つかつかとキールに歩み寄った。「フーッ」とキールが頭を伏せて威嚇する。


「カラス仮面が間違った道に足を踏み入れてしまったことは、お前もとっくに気が付いているんだろう? それでも、自分一人の力では止めることができずに悩んでいるんじゃないのか。――まあ、だからといって、俺たち宮廷魔導士に助けを求めることができない理由は理解できるがな。お前も奴に加担していた以上、罪に問われることは免れないからだろう? 事実、今も咄嗟に俺から逃げようとしていたしな」


 ラークはキールから十歩ほどの距離まで足を進めると、油断なく手の平を相手に向けたまま動きを止めた。暗闇で白い息がたなびく。


「天然の変身術と、魔法薬による変身の最大の違いは、制限時間の有無にある。今日、お前は日没からずっと猫の姿でいたが、そろそろ薬が切れてくる頃なんじゃないか?」


「うぐ……」


 キールがその口から、明らかに人の言葉に聞こえる声を発した。その輪郭がぼやけ、曖昧になった体が人間サイズに膨れ上がっていく。


「ぷはっ。はあ、はあ……」


 変化が終わり、さっきまでキールがいた石畳の上には、四つん這いになった一人の男が息を荒げていた。白髪に黒い毛が混ざった特徴的な髪色――。


「当たりだったな。キール……いや、左官屋のセグ。人の姿のお前と会うのは卒業ぶりだな」


「は、はは……。ばれたか。さすがは俺たちの学年で首席を取った宮廷魔導士だ」


 セグは顔をしかめながら、ふらふらと立ち上がる。感覚を確かめるように、両手の指を数回曲げて伸ばした。


「いてて。やっぱり、薬で無理に変身すると体に負担がかかるな。変身魔法の才能がある奴が羨ましいぜ……。で? あんたはどうやって俺の正体に気づいたんだ?」


 セグは苦笑しながら、無表情なラークに向かって尋ねる。ラークは手を構えたまま答えた。


「お前、エリスのハーブ店で、開店日に変身薬の材料を買い占めたことがあっただろ。その購入品目が店の帳簿に残っていたんだ。それから、お前はカラス仮面の言葉を、純粋な猫ではありえないほど正確に理解していた。決定的だったのは、お前が自警団に追い詰められた時、バケツの中の泥水を魔法で撥ね上げ、その隙に逃げる場面を目撃したことだ。お前の特技は液体を操ることだった。そうだろう?」


「へっ。全部見てたのかよ。気持ちわりー奴だな。ずっと俺を監視していたのか?」


 セグはラークから目を逸らし、吐き捨てるように言った。


「それが俺の仕事なもんでね。カラス仮面が猫を部下として使っていることが判明した時点で、カラス仮面と猫の間を取り持つ人物がいる可能性は疑っていたんだよ」


 語尾に重なるように大気の凍る音が鳴り響いたかと思うと、ラークの手から氷の槍が一本現れる。ラークはその切っ先をセグの喉元に突き付けて凄んだ。


「さあ、吐け! カラス仮面の正体は何者だ? 奴の実験は何が目的で、一体何を企んでいる?」


「う……」


 氷の壁に背をつけたセグの目に恐怖の色が浮かぶ。口を数回パクパクさせ、ようやく絞り出すように言葉を発した。


「お、俺もカラス仮面の素顔は見たことがねーんだよ」


「じゃあ、奴の計画を話せ!」


「そ、それは……」


 セグが語った内容を聞き、ラークは驚愕の表情を浮かべた。そのまま黙って槍を引き、セグに背を向ける。


「お、俺を見逃すのか?」


 セグは氷の壁の前に力なくへたり込み、立ち去ろうとするラークに向かって意外そうに問うた。ラークは振り返りもせず、氷の槍を石畳の上に投げ捨てる。氷の割れる音が夜気の中に広がった。


「お前みたいな雑魚を捕えても仕方がない」


 ラークはそう冷たく言い残し、セグを置いて路地から姿を消したのであった。

 


 




 


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