第15話 完璧な布陣
早朝。自警団の事務所前に、二つの手提げかばんを両肩にかけた少女が立っていた。ミアである。
ミアは懐中時計に目を落とす。彼女の前にそびえ立つ厳めしいレンガ造りの建物には、すでに自警団のメンバー全員が集まっているはずであった。
ここには小さいころ、親に連れられて何度か足を踏み入れたことがある。しかし今は、彼女の侵入を拒む堅牢な要塞のように見えた。
大丈夫。計画通りにやれば、きっと、自警団のみんなにも理解してもらえる。
ミアは呼吸を整え、ドアの前に震える手を伸ばした。
コンコン。
覚悟を決め、高らかにノックする。
「はい。どなたですか?」
ドアを開けて出てきた自警団員はミアの顔を見るなり、その目をいっぱいに見開いた。
「ミ、ミアちゃん……。どうして?」
「うちの猫を連れてきました。中に入れてください」
ミアは団員を見上げ、きっぱりと言い放つ。団員はその気迫に押されたのか、わずかにたじろいで半歩後ずさった。
「あ、ああ……。飼い猫をね……」
怯えの色を浮かべ、ミアが持っているかばんを見つめる。
「やっと決心してここまで来たんです。入れてください」
ミアは繰り返し団員に詰め寄った。
「わ、分かった。とりあえず入りなよ」
「お邪魔します」
ミアは道を開けた団員の脇をすり抜け、建物の中に入る。
事務所内はミアの記憶通り雑然とした空間だった。書類が山積みにされたテーブルや、仮眠用ベッド、魔女に関する資料が並んだ本棚、武器類、魔女の目撃場所を書き込んだ地図などが彼女の目に飛び込んでくる。それと同時に、中にいた十数人の団員全員の視線がミアに集まった。
「ミア! どうしたんだ?」
ミアの姿に気が付いたカイルが驚きの声を上げる。
「おい、小娘、何しに来た?」
ワーグ団長は部屋の奥から、威圧的な口調でミアに問いかけた。ミアは恐怖で足がすくみそうになったが、自分がここに来た目的を思い出して耐え、言葉を絞り出す。
「や、約束通り、飼い猫を殺しに来ました!」
そう言うや、手提げかばんを二つとも床に降ろし、その口を開けた。たちまち中から猫がそれぞれ一匹ずつ顔を出す。一方にはアルル、他方には猫に変身し、通信魔法石付きの首輪を着けたシルヴェスが入っていた。
「な……」
団員たちの顔が凍り付く。ワーグがガタッと椅子から立ち上がった。
「おい! そんな汚らわしいけだものをこの事務所に入れるな!」
声を荒げて叫んだ。ミアが青ざめ、二匹の猫は驚いてかばんから飛び出し、出口に向かって駆け出す。しかし、ドアの近くにいた団員が慌てて猫たちの逃げ道を塞いだので、二匹は事務所内へと引き返すことになった。
いきなりの窮地――。だが、実はワーグのこの反応は彼らの想定通りだった。ミアたちはかねて打ち合わせていた通りに演技をしているだけだったのである。
「だ、だって、この子たちを私が『自分の手で』殺すところを、みんなに見せないといけないと思って……」
ミアが目に涙を浮かべ、昨夜覚えたばかりのセリフを口にする。ここでミアが泣くことはシナリオになかったが、はからずも、現場でミアの恐怖心が生んだその反応が、彼女の発言の説得力を増す結果となった。
自警団員たちが目に見えて狼狽え始める。ワーグは動揺を隠すように再び椅子にゆっくりと身を沈めた。
「ふん……。まあ、それも一理あるな」
そう言って葉巻に火をつけてふかす。
「……確かに、死体だけ見せられても、貴様が殺したという証拠にはならない。実際に目の前で始末してもらった方が確実だ」
「や、やっぱり……」
ミアがしゃくりあげながら答えた。絶望感が漂う完璧な演出である。ワーグは葉巻を灰皿に押し付け、怒りの眼差しでミアを睨みつけた。
「しかしなあ、貴様が猫を二匹も飼っているとは知らなかったぞ。報告書には、グレーの猫が一匹だけと記載されていたからな」
「ひ、ひっく……。そうだったんですか?」
すっとぼけるミア。
「ああ。グレーの猫だけを連れてこられていたら、そっちの黒猫の存在には気づけなかっただろう。残念ながら、もう手遅れだがな」
ワーグは勝ち誇った表情を浮かべて言った。もっとも、本当は彼の方が手玉に取られているのであるが。
「それじゃあ、今すぐそいつらを片付けてもらおうか」
ワーグはミアに人差し指を向け、容赦なく彼女に猫の処刑を命じた。
「分かりました……」
ミアはこくりと頷くと、震える手で腰から短刀を抜き、シルヴェスの頭上に構える。
だが、哀れなミアはなかなか白刃を振り下ろすことができない。そのまま、精根尽きたかのように短刀を取り落した。
「どうした。やはり殺せないのか? この魔女め」
ワーグが目を光らせ、今すぐにミアをひっ捕らえんばかりの気迫でゆらりと立ち上がる。しかしその時、カイルが突然鋭い声を上げた。
「待ってください、団長! 期限は今日いっぱいですよね? それまでどうか猶予を頂けませんか?」
そう。期限はもともと今夜までだった。――これは重要な前提条件である。すなわち、この展開も折り込み済みだったのだ。朝に来たミアが猫を殺し損ねても、その場で拘束される可能性は低いと踏んでいたのである。
「ふん……。そういえばそうだったな」
ワーグはそう言ってひとまず矛を収めると、顎髭を引っ張り眉根を寄せた。そうして彼は考えを巡らせる。
仕方がない……。もう少しだけ様子を見てやるか。問題は、期限までミアと猫の処遇をどうするかだが、こいつらは厳重に閉じ込めておかねばならない。
この時、ワーグの思考を支配していたのは、ミアたちの逃亡に対する警戒心であった。
というのも、ワーグの脳裏には、たった今目にした猫の逃げ足の速さが焼き付いていたからである。
そのため、「ミアたちを一旦外に出し、出直すように指示する」という選択肢は、本人も気づかないうちにワーグの頭から消えていたのだった。
閉じ込めておくとすれば、場所を考えねばならない。だが、相手は魔女の疑いがある少女と猫二匹だ。見張っていないと何をしでかすか分かったものではない。それなら、いっそのこと――。
見事なまでに誘導されたワーグの思考の行きつく先は、必然的に一点に絞られていく。結果――
「よし。それなら、今夜俺たちが街に見回りに出るまで、貴様をこの事務所の隅に置いてやる。いつでも好きな時に猫を殺せ」
ワーグはミアにそう命令したのであった。
*
「計画通りね。まあ、私の手にかかればこんなもんよ」
自警団事務所向かいの宿屋の一室にて。
小さなテーブルの上には通信魔法石が一つ。そこから流れ出す音声に耳を傾けていたエリスは、両手を首の後ろに回し、得意げに椅子の背にもたれかかって言った。
「さすが……エリス……」
エリスの正面に座ったフェルが、通信魔法石を見つめたまま呟く。
フェルは昨夜、通信魔法で事情を聞かされ、今朝、この部屋でエリスと落ち合っていたのだ。
エリスがフェルを呼んだのは、シルヴェスを救出しなければいけなくなった時の戦力になってもらうためである。
フェルの念力なら、遠くから窓を割ることくらい造作はない。
窓の外には、自警団事務所の建物が真ん前に見えている。
「さて、これで舞台は整ったわ。あとはシルヴェス次第よ……」
エリスの声ががらんとした小部屋に響いた。
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