第13話 みなしご少女ミア

 茜色の陽光に照らされた落ち葉の上を、茶色いショートヘアーの幼い少女が一輪の花を手に歩いている。


「日が暮れるのが早くなってきたなあ……」


 彼女は愁いを帯びた瞳で、山の稜線に沈みゆく夕日を眺めた。ぴゅうと音を立て、木枯らしがその小さな胸の内を吹き抜けていく。


 寂しい……。


 少女はすり切れたコートの襟を寄せ、小さく鼻を鳴らした。


 ママとパパが亡くなってから、もう何年になるだろう……。


 少女の名はミアといった。自警団に所属していた彼女の両親は、パトロール中に魔法使いとの小競り合いに巻き込まれ、あっけなく命を落とした。身寄りのない彼女は、近所の人たちに助けてもらいながら、親のいなくなった家で何とか一人暮らしを続けてきたのである。


 ミアを我が子のように可愛がって親切にしてくれる人は大勢いた。だから、彼女も普段は両親のことは忘れて、明るく元気に生活を送っている。でも……ここに来ると、やはり身に染みて感じるのだ。実の親は自分にとって特別な存在だったのだと……。 


 ミアは葉を落とした木々の間の小道を抜け、開けた場所に出た。


 広い草地だ。白い石板の墓標が整然と並んでいる。


 ミアは墓地の入り口に立つと、いつものように道の脇に立つ大木の陰に目を遣った。


 そこにたたずんでいるのは見慣れた人影――。


「お姉ちゃん」


 ミアが声をかけると、木に背中を預け、本を読んでいた灰色の髪の若い女性が、ふっと顔を上げた。


「……こんばんは」


 ワンテンポ遅れて、やっと返事が返ってくる。最初はこの話し方に戸惑ったミアだったが、喋るのが苦手なだけらしいと分かってからは全然気にしていない。


「まだ探してる人に会えないの?」


「……うん……」


 それだけ言うと、女性は再び本に目を落とした。


 この人は、ずっとここで誰かを待っているらしい。日や時間帯によって姿を見かけないこともあるが、ミアが来るときには大抵いる気がする。


 ……今日はこれ以上お話しできなさそうだな。


 ミアはそう判断すると、女性に別れを告げて墓地の方に足を向けた。


 墓石の間を歩いていくと、時折バッタが足元で跳ね、カラスが鳴き声を上げる。


 人間にとっては死者の居場所でも、彼らにとっては生活の場所なのだ。ミアはここに来るたび、たくさんの生き物たちを目にしてきた。


 やがて、ミアは二つ寄り添った墓石の前で足を止める。入り口からは見えないくらい離れた場所だった。


「ママ、パパ……」


 花を供え、手を合わせてうつむき目を閉じる。そのまましばらく亡き両親と心の中で対話し、顔を上げてそっと目元を拭った。


 その時である。彼女は滲んだ視界の端に、いくつかの動くものたちを捉えた。


 それらは草むらで飛んだり跳ねたりして葉っぱを揺らしている。


「……猫?」


 ミアは目を丸くして呟いた。よく見ると、そこには五匹の猫が集まっていたのである。しかも、そのうち一匹は子猫だった。


「みんなで狩りをしてるのかな? ここで猫にあったのははじめてよ」 


 ミアは吸い寄せられるように猫たちの方に忍び寄ると、墓石の陰から様子を伺った。


「やっぱり。みんな何かくわえてる」


 子猫以外の全員が、それぞれネズミや小鳥、昆虫など、異なる生き物を口に入れている。


 その不思議な光景に、ミアは首を傾げて難しい顔をした。


 ミアの知る限り、猫は普通、こんな風に一緒に狩りをしたりはしない。


 どうして、こんなところに集まっているのかな?


 ミアは好奇心に駆られ、さらに猫たちに近寄ろうと、足を動かした。刹那、パキッと踏みつけた枝が乾いた音を立てる。


 猫たちはすぐミアに気が付き、我先にと、獲物をくわえたまま走って逃げ出した。

 

「あ、待って!」


 ミアは思わずその後を追う。――猫たちは墓場を横切り、木立に飛び込んだ。でも、子猫が遅れているせいか、そんなに速さはない。ミアの足でも十分ついて行くことができた。


 葉を落として見通しが良くなった木々の間を抜けると、猫たちはそのまま路地に逃げ込んだ。


「どこに行くの?」


 ミアはもう夢中である。しかし、入り組んだ路地では追いかける側の方が分が悪かった。彼女がやっと追いつきそうになったところで、猫たちは塀に開いた小さな穴に飛び込んで姿を消してしまう。


 ミアは駆け寄って穴をのぞき込むが、すでにその向こうに猫の姿はない。


「あーあ」


 ミアは残念そうな声を漏らし、腕をぶらぶら振って道を引き返し始めた。


 まあいいや。お家に帰ったら「うちの子」が待ってるし。


 彼女はたった一匹のもふもふした家族を頭に思い浮かべて微笑む。


「今日の晩ご飯は何にしようかなー」


 そうミアが独り言ちた次の瞬間だった。筋違いの路地がにわかに騒がしくなり、彼女は驚いてそちらを振り返る。


「いたぞ! ぶっ殺せ!」


 いきなり物騒なセリフが聞こえてきた。


 まさか……。


 不安がミアの脳裏をよぎり、彼女は居てもたってもいられず再び駆け出した。角を曲がり、声がした道に飛び出す。


「網を構えろ! 退路を塞げ!」


 やっぱり!


 ミアの目に飛び込んできたのは、見知った顔の大人たちが、さっきの五匹の猫たちを路地の隅に追い込んでいる光景だった。


 自警団の人たちだ! いけない! このままじゃ、あの子たちが捕まって殺されちゃう!


「だめーっ!」


 ミアはなりふり構わず、大声を上げて大人たちと猫たちの間に割って入り、両腕をいっぱいに広げた。


 びっくりしたのは大人たちの方である。


「ミア! どうしてこんなところに!?」


 真っ先に彼女に声をかけたのは、ミアと仲の良い近所のお兄ちゃんだった。


 こげ茶の波打つ髪の下で、人のよさそうな目が皿のように見開かれている。


「おい、カイル。この子が例の『ミア』なのか? 確か、殉職したキス夫妻の忘れ形見だと聞いていたが?」


「はい、ワーグ団長! 間違いありません!」


 お兄ちゃん――カイルは目元に傷跡がある顎髭の大男に問われ、焦りを露わにして叫ぶように答えた。


「俺もこの子のことは知ってますよ」


「私も」


 と、ミアのことを知っている他の団員も口々にミアの身元を保証してくれる。しかし、ワーグ団長と呼ばれた男は険しい表情のまま、低く唸るように次の言葉を発した。


「俺の記憶が正しければ、この娘は猫を飼っていたはずだ。だが、お前たちが『この子が魔女なはずはない』、『ペットを飼って、一人暮らしの寂しさを紛らわせているだけだ』と言い張ったから、特別に見逃してやることにしたんだ。それなのに、この状況は一体どういうことだ?」


「それは……」


 カイルは答えに詰まり、顔を青ざめさせた。一瞬目を泳がせてから、ひきつった笑みを浮かべて腰をかがめ、手を差し出してミアに呼びかける。


「ミア……。いい子だから、そこをのいてくれ。ミアは普通の女の子だろう? 魔女じゃないだろう?」


 どういうこと?


 ワーグとカイルの会話の意味はよく分からなかったミアだったが、お兄ちゃんの必死の懇願には少し心が揺れるのを感じた。


 でも……。今私がここで動いたら、きっとこの猫たちは殺される。


 五匹の気配を背後に感じ、彼女の足が震えた。


「だ、だめ……」


 ミアは絞り出すように言い、その場に立ち塞がった。


 ワーグが舌打ちする。刹那――


 ばちゃん!


 ミアの後ろで、派手な音が鳴った。


「きゃっ!?」


 ミアの頬に冷たいものがかかり、自警団の団員たちが一斉に目を押さえてのけ反る。


「猫め! 泥水が入ったバケツをひっくり返しやがった!」


 ワーグが喚いた。ミアが振り返ると、路上に放置されていたとみられるバケツが倒され、そこにハチワレの猫が前足をかけている。先頭のサバトラが「にゃあ!」と一声鳴くと、猫たちは走り出し、目つぶしをくらった大人たちの足元をすり抜けて一目散に逃げ去った。


「くそっ。逃がしたか。あの小悪魔どもめ!」


 ワーグは目をこすり、鬼のような形相で怒鳴り声を上げた。すさまじい気迫を放ち、やっと開いた双眸でミアを見下ろす。


「ひっ!」


 ミアは恐怖のあまり、その場にぺたんとへたり込んだ。


「おい小娘! 貴様の身柄はこの場で拘束する!」


「ちょ、ちょっと待ってください! 団長だって、この子が魔女なわけがないことは分かっているでしょう?」


 カイルが慌ててワーグとミアの間に割って入った。


「ああ。だが、カラス仮面という連続殺人犯が見つからない現状では、誰もが疑わしい。そいつだけ例外というわけにはいかんのだ!」


「団長! それはあんまりです!」


 食い下がるカイル。二人は正面から睨み合った。


 すると、ミアを知る団員の一人が歩み出て、ワーグの肩を叩く。


「まあまあ、落ち着いてくださいよ、団長。私もカイルと同じく、ここでミアを捕まえるのには反対です。まだ容疑も固まっていないことですし……」


 しかしワーグはギロッと目を光らせ、その団員を振り返って言った。


「この娘はたった今、野良猫どもをかばった。それだけで容疑としては十分だ。それとも、こいつが魔女じゃない証拠でもあるのか?」


「そんな……証拠なんて……」


 悲愴な面持ちで口ごもる団員。ワーグは少し思案するように、黒いチクチクした顎髭を指で引っ張りながら唸った。


「そうだ。ならば、こうしよう」


 ワーグは手を顎から離し、にやりと歯を見せて笑った。


「――貴様が飼っている猫を、三日以内に自分の手で殺せ。それができたら、貴様は魔女じゃないと認めてやる。できなければ魔女とみなし、三日後に捕まえた上で厳罰に処する」


「団長! それはあまりに酷な条件です!」


「黙れ。魔女じゃなければ、猫に情など移らない」


 カイルの抗議に、ワーグはぴしゃりと言い放った。


「……じゃあ、決まりだ。三日の間にゆっくり決めるといい」


 そう言い残すと、ワーグは身を翻し、団員をかき分けるようにしてミアから遠ざかっていく。


 団員たちはちょっと戸惑った様子を見せたが、ばらばらと向きを変え、次々にワーグの後に従った。そんな中、カイルだけはミアに駆け寄ってしゃがみこむ。


「大丈夫?」


 震えるミアの肩に手を添える。彼女は蒼白な顔で首を横に振った。


「うちの子を殺すなんて……いやだ。できないよ……」


「ごめん……。でも、これはミアが魔女じゃないことを証明する唯一の方法なんだ。辛いとは思うけれど、猫のことは諦めて……ね?」


「おーい! カイル! 置いていくぞ!」


 路地の奥から仲間の声が呼ぶ。カイルはすぐに、「はい! 今行きます!」と答え、躊躇いがちにミアから手を離した。


「それじゃあ、俺はいかなきゃ……。暗くなる前に、気を付けて帰ってね」


 カイルはミアを助け起こすと、苦しそうな笑みを浮かべる。最後に口を開きかけたが、かける言葉が見つからなかったのか、そのままミアに背を向け、他の自警団の元へと走り去っていった。




  



 

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