第3話「転生しすぎた勇者は手を引かれ……」

 少女の家は、僕たちがいた海岸から少し歩いたところにあった。それは絵に描いたような木造住宅で、外装の剥げ具合から古い建物なのだとわかる。

 少女の提案に対してどうしようかなんてぼんやりと考えていると、気づけば僕の手は彼女の手に引かれていた。ただ導かれるがままの僕だった。


「ねぇ」

「うん?」


 声をかけると彼女が身に纏う簡素な白いワンピースが、大きく広がりはためく。まるで純白のドレスのようで一瞬女神様を想起した。


「どうして、僕なんかを?」

「どうしてって?」


 本当に意味がわからないようで、不思議そうに首を横にカクンと倒す。


「どうしてここまでしてくれるの? さっき会ったばかりなのに」

「だって、あなた悪い人ではなさそうだから」


 頭は悪そうだけど、と付け足す。


「それだけ?」

「それだけだけど?」


 呆然とする僕を尻目に玄関の扉に手をかけると、ふいに彼女は振り返った。


「そう言えば、あなた、名前は?」

「えっ?」

「『え』って名前なの? 随分と変わった名前ね」

「違うけど」


 僕には家族と同様に名前もまた、あってないようなものだった。

 異世界へと転生する度に、僕には新たな名前が付けられてきた。転生した数だけ僕には名前があった。

 名前とは肉親が付けるもので、決して自分が作るものではない。

 ならば、その肉親が存在しないこの世界で、僕は何と名乗れば良いのだろう?


「……古堅」


 自然と口が動く。


「古堅(ふるかた)正太郎(しょうたろう)……」


 それは無意識のうちの出来事だった。

 どうしてその名前が出てきたのかわからない。

 ただ口がひとりでにそう名乗ったのだ。

 もしかしたら僕が忘れているだけで、そう名乗っていた世界があったのかもしれない。


「波揺(なみゆら)美奈(みな)」

「波揺……それが、君の名前?」

「うん、そう。ここの名前が入ってるから驚いたでしょ?」


 してやったりとばかりに笑みを浮かべ、そして扉を開いた。


「じゃ、ここでちょっと待っててね。ただいまー!」


 返事をする間もなく、美奈は先に家の中に入ってしまった。僕をここに泊める許可をもらうためだろうか。

 しかし一分経っても、閉ざされた扉はビクリとも動かない。


「…………」


 五分が経った。なおも玄関の扉は閉ざされたまま。

 もしかしたら交渉はうまくいっていないのかもしれない。

 そうなったらどうしようか、なんて考え始めた頃――


「ほら、こっち来て」


 美奈の声がした。

 なぜか、上から。


「なんで二階にいるの?」


 声の方向を向くと、窓から顔を出した美奈が手をこまねいている。


「そこの倉庫のところからこっち上がってこれるから。見つからないうちに早く!」

「許可とか――」

「そんなのとれるわけないでしょ」

「不法、侵入?」


 家の主に許可なく忍び込むなんて、まるで泥棒みたいだと思った。経験は何度もあるけれども。


「泊まれる場所が必要なんじゃないの?」


 それを言われると弱かった。


「……すごいね、君」

「早くこっち! 理由はあとで話すから」


 見ると彼女のいる窓の近くにちょうどいい高さの倉庫がある。側面に足を引っかけられるような溝があり、最早登られるためにあるのではないかと思ってしまうくらい、その位置は絶妙だった。

 倉庫の上に手をかけるのを見るやいなや、美奈の顔は部屋の中に引っ込んでしまう。それを追いかけるように窓から中を覗くと、他人の家の匂いが鼻を突いた。


「ここが、君の部屋?」


 随分とサッパリしてるというか、物が少ない。


「ええ、毎年来るからもう私専用の部屋ね」

「毎年?」

「言ってなかったかな。ここ、私のおばあちゃんの家なの」

「おばあちゃん?」


 話がさっぱり見えない。ここでどうして彼女の祖母の話が出てくるのだろう?


「夏休みになるといつも、おばあちゃんの家に遊びに来るの」


 足を伸ばして座っている美奈は、床の上をそっと撫でた。


「……つまり、いつもはここに住んでないってこと?」

「そうだよ?」

「普段は?」

「あなたと同じ東京在住の中学生だよ」

「へぇ……」


 失敗したかもしれない、と思った。

 同じ街に住んでいるのなら、何か変なことを言えば嘘がたちまちバレてしまう。

 僕の言う東京と美奈の言う東京が、全く同じだとは限らないのだから。


「まぁ、私の話なんてどうでもいいよ。それよりも」

「おばあちゃん以外の家族は?」

「いないよ」


 素っ気ない口調でそう言い切る。自分の家族のことなのにも関わらず、他人のことを話しているような口振りだった。


「親は仕事で東京。ここにいるのは私とおばあちゃんだけだし、おばあちゃんも滅多にここには来ないし」


 大体のことは把握できた。毎年ここに来るというのも、夏休みに入れば学校がないから、親が仕事に行っている間の面倒が見れなくなるからなのだろう。

 いつかここに似た世界に転生した時の自分の親も、そんな感じで家にはほとんどいなかった。おかげで魔王と戦うためにいろんな場所に赴いていても、親による干渉が少なく好都合だったが。 


「……ともかく! ここにいれば宿には困らないし、おばあちゃんだけには見つからないように! いい?」


 僕が考え事をして黙っているのを、気を遣われていると勘違いしたらしく、美奈の声のトーンが少し高くなった。

 外はもう日が暮れかけていて、辺りが暗闇に包まれるのも時間の問題だ。

 ただ、それでもわからない。なぜここまで今日会ったばかりの僕に……。


「その代わり……」


 だと思った。何か裏があると思っていた。

 しかし、その声は途中で不自然に途切れた。


「……ううん、やっぱり内緒!」

「なんで?」

「内緒って言ったら内緒なの!」


 駄々をこねるようなその言動が年相応のもののように見えた。


「内緒って、それは……」


 しかしそれとこれとで話は別。自分が一体何をやらされるのかわからないまま、契約をするなんて論外でしかない。


「女の子の秘密を知りたがる男なんて、嫌われるよ?」


 言ってやったとばかりに鼻を鳴らす。

 やっぱり、子供は子供なんだ。


「じゃあ聞かないよ」

「うん、ありがとう」


 美奈はそう言って本当に楽しそうに笑う。

 自分がそんな風に笑ったのは、いつが最後だっただろう。

 そんなことがふと頭の中に浮かんだ。


「美奈ちゃん、ごはんだよー!」


 扉の外から彼女を呼ぶ声。おばあちゃんがいると言っていたから、きっとその人のものなのだろう。


「あ、おばあちゃんだ。はーい! 他の人に見られないようにね! わかった?」

「え、あ……」


 美奈が開いた扉の向こうへ走っていくと、部屋の扉はバタンと音を立てて閉じられた。僕はただその様子をぼんやりと眺めているだけだった。


「…………」


 途端に静かになった部屋に一人。

 と思うやいなや、ぐぅー、と間抜けな音が鳴り響く。結局ここに来て口にしたものは、ぶどう味のアメ玉一粒だけだった。


「……お腹、空いた」


――――


「……はっ!」


 急速に意識が覚醒する。しかし視界は暗いままで、自分が本当に目を開いたのかどうか、一瞬わからなくなった。


「もう、夜……?」


 薄ぼんやりと何かの輪郭は見える。窓の外に広がる空に点々と瞬く粒が、今の時刻が夜なのだと教えてくれた。


「すぅ……すぅ……」


 傍らから誰かの呼吸音。

 見ると美奈が横たわっていた。もう結構遅いのだろうか、グッスリと眠っている。

 薄いタオルケットのようなものをかけているものの、寝返りを打ったのかズレてしまっていた。


「…………」


 風邪をひかないようにちゃんとした位置にタオルケットを戻してあげた。


「うーん……、むにゃむにゃ……」


 成り行きでここにいることになってしまったけど、一体どうなっているのだろう。

 女神様の反応から考えるに、恐らくは僕を転移させる世界を間違えたのだ。

 そしてこっちに来てから女神様と連絡をとる術もない。いつもなら魔法で異空間にいる女神様と話すことができたのに、ここには魔力が満ち足りていないせいで、それも不可能だ。


 つまりは、僕を異世界転移させる張本人に、何かを伝えることすらできない。

 これでは無人島に置き去りにされたに等しい。


「どうしよう……」


 正直に言うとお手上げ。本当に、どうしようもない。

 このままこの世界で老いて死ぬのを待つだけなのかな。

 その時ふと、一つの案が頭の中に浮かび上がった。


「そっか。終わらせれば……」


 異世界転生では死ぬ度に女神様の元へ戻る。今回もその類なのだから、例に漏れることはないだろう。

 考えれば考えるほど、名案に思えてくる。

 自殺するのはいい気分ではないが、戻れば今度こそ次の魔王討伐に向かえる。女神様が何を言ったところで、休暇を送らせることに一度失敗しているのだから、次の強引は通じない。


 これしかない。

 こんな僕に良くしてくれた美奈たちには申し訳ないと思うけど、それ以上にたくさんの人々を救うためだから仕方のない話だ。

 窓から外を眺める。この部屋は二階ではあるものの、飛び降りれない高さではない。

 さすがにこの部屋の中で死ぬわけにもいかない。幸い海に山と、死ぬには絶好の場所がここにはいくらでもある。


「……いや、でも」


 結論を出すにはまだ早いかもしれない。

 現状、女神様とのリンクが切れていることを考えると、死んでも女神様の元へ戻れないかもしれない。

 そのまま本当に死んでしまっては、本末転倒もいいところだ。

 ああでもないこうでもないと、頭を悩ませていると唐突にグゥーと間の抜けた音が鳴った。


「お腹……。……あれ?」


 ふと目をやると、白い皿が少女の傍らにあった。その上にはとうもろこしがラップに包まれて置いてある。

 皿を重石にして小さな紙が挟んであるのを手に取ると、月明かりで丁寧な字が照らされる。


『眠ってたから置いておくね。これしか用意できなくてごめん』


 なんで彼女が謝るんだろう。こっちはお礼を言いたいくらいなのに。

 もう一度腹が鳴り、吸い寄せられるようにとうもろこしにかじりついた。


「……っ!」


 たまらなかった。ただでさえ甘いのに、さらにかかっている塩がとうもろこしの甘みを絶妙に引き立てている。

 甘すぎる。美味すぎる。


「……ごちそうさま」


 いつの間にか黄色い粒で覆われていたとうもろこしは、白い棒と化していた。

 ついさっきまで死のうと思っていたのに、目の前に食べるものが現れると途端に忘れるなんて、我ながら単純だと思った。

 と、美奈の寝息が不規則になっていく。


「むにゃむにゃ……、あっ、寝ちゃってた」

「起こしちゃった……?」


 すると、彼女は目をこすりながらニコリと笑う。


「ううん。ちょうどよかったし」

「ちょうどいい?」

「外、天気いいでしょ?」


 確かに星がよく見える夜だが、だから何だというのだろうか。すると突然、美奈は窓の縁を掴んだ。


「じゃあ」

「ちょっと待って。そこ、窓だよ?」

「知ってるよ」


 僕をおちょくるようにそう言うと、どこから取り出したのか靴に履き替え始めた。


「ほら、行くよ?」

「どこに?」

「外だけど?」


 それは言うまでもなくわかっている。

 ――いや、やっぱりおかしい。

 わざわざこんな夜更けに人目を忍んで外を出歩くなんて正気じゃない。それはさっきまでの自分のようにこれから自殺する人間がすることだ。

 美奈が窓の外へ足を踏み出そうとする。ここは二階だ。落ちたら少なくとも普通の人間はただじゃ済まない。


「危ないよ!」

「しーっ! おばあちゃんにバレちゃうでしょ!」


 美奈の手のひらが大声を上げてしまった僕の口を塞ぐ。


「!!」


 テキ、オソッテキタ。

 

 その次の瞬間、僕の身体は即座に、脊髄反射的に動いていた。

 

 マダ、シネナイ。

 

「きゃっ!?」


 コロサレルマエニ、コロス。


 布団がボスッと、くぐもった衝撃音をあげた。

 美奈の叫び声を左手で押し止め、身動きがとれないようにもう一方の手で彼女の肩を押さえつける。

 口を押さえたまま、布団に押し倒した形になっていた。

 あまりに突然の出来事に理解が追いついていないらしく、美奈は呆然と僕の目を見つめるばかりだ。


「……はっ!」


 しまった。

 我に返って美奈を押さえつけていた手を引っ込める。


「び、びっくりした……」


 美奈は目を大きく見開いて、そう一言だけ発した。


「……ごめん」


 完全な条件反射だった。

 勇者の時は魔物に突然襲われることが毎日のようにあり、人間に刃を向けられることも少なくなかった。人間を滅ぼそうとする魔王たちに肩入れし、僕たちを殺そうとする愚かな輩が、無視できないくらいにはいた。

 だから、たとえ人間が相手であっても、ある程度よりも先に距離を詰められる、あるいは自分が襲われると感覚すると、殺されまいと反撃する。それは最早脊髄反射に近くなっている。


「ちょっと、びっくりしちゃって……」


 嘘にはならない程度の理由、いや言い訳を口にした。


「……正太郎くんってさ」

「ん?」

「ちょっと、変だね。やっぱり」


 予想から外れて美奈の声は落ち着いていた。


「私の方こそごめんね」

「どうして、美奈が謝る?」

「だっていきなり触った私も悪いもん」


 一度深呼吸すると美奈は体を起こした。ついさっきの出来事を忘れてしまったかのように、その動作はスムーズだった。


「でも……」

「それにしてもびっくりしたよ。うん。あんなことできるなら、ちょうどいいかな」

「ちょうどいい?」

「正太郎くんもついてきてね」


 と言うやいなや、美奈の背中は窓の外へふっと消えてしまう。


「美奈!?」


 急いで窓に駆け寄る。この高さから落ちても打ち所が悪かったら、大事に――。


「ばぁっ!」


 突然下からひょこっと顔を飛び出す。


「焦った?」


 よく見るとすぐ下は倉庫の天井だ。ついさっき自分がそこを登ってきたのを思い出し、頭が痛くなる。


「……焦ってない」

「へー、随分と素っ頓狂な声出してたと思うけど」

「む……」


 明らかに向こうの方が一枚上手だ。素直に認めておけば良いものを、何をムキになっているんだろう。


「じゃあそういうことにしておいてあげるよ」


 右手を口元にあて、クスクスと声を抑えるようにして笑う。


「どこに行くの?」

「ちょっと行ってみたい場所があってね」

「こんな真夜中に?」

「こんな真夜中だからだよ」


 僕の言葉を反芻するように答えると、可笑しそうにまた笑みを浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る