第2話「転生しすぎた勇者はこの村を知っている」

 祈る。

 ただ、祈り続ける。

 あの人の悲しみが、どうか終わりへ向かうことを。

 あの人の苦しみが、どうか報われることを。


 祈る。

 ただ、祈り続ける。

 すべての悲しみが、どうか終わりへ向かうことを。

 すべての苦しみが、どうか報われることを。


 祈る。祈る。私は祈る。

 この行為に意味はないのかもしれない。

 それでも、自分にはそうすることしかできない。


 どうか、どうか。


 この世界に、救いを。


――――


「休暇?」


 少女が尋ねた。僕はただ一つ首肯をもってそれに応える。


「何それ、あなた働いてるの?」

「働いてる、か」


 労働なんて発想は今までになかった。ただ勇者である自分の義務としか考えていなかった。


「そういうのじゃないと思う」

「そうよね。あなた、どう見ても大人ではないもの」


 改めて自分の身体を見回すと、確かに自分の想像よりもサイズが幾分小さい。女神様のところでは最後に救った時のままの姿だったが、ここに飛ばされるにあたって全体的に幼くなったみたいだ。


 ザッと察するに、14,5くらいの年齢だろう。


 この少女も同い年くらいに見える。僕に対して何の遠慮もないことが少し不思議であったが、それにも得心がいった。


「でも、なら私と同じね」

「同じ?」

「ええ。私も今ちょうど夏休みなの。あなたもそうなんでしょ?」

「…………」


 夏休み。

 記憶の彼方にそんな単語があったような気がする。

 もしかしたら、今まで救ってきた世界の中に、ここに似たようなものがあったのかもしれないが……。


「……あ」


 と、思った直後、ふいに脳裏にある光景がよみがえる。

 高い建物がいくつも建ち並び、数えきれないほどの人が歩いている。

 空気はどこか濁っていて、ただ呼吸することすらもままならない、あの世界。


 ああ、覚えている。

 文明が進んだ結果行き着いた、何もかもが恵まれていながら、狭く息苦しさに満ちた世界を。

 あれは、僕が108の世界を救う上でちょうど半分を超えた辺りだったような気がする。


「……東京って、知ってる?」


 ふいにそんな疑問が口から漏れていた。

 それはかつて僕が転生して訪れた町、いや、街の名前だった。いくつもの世界を冒険してきた僕は、そのほとんどの記憶は残っていない。

 しかし、その場所のことだけは強く頭に焼き付いていた。


 町を出れば緑色が満ち溢れるような世界へ飛ばされることが多い僕にとってそれは、あまりにも珍しい存在だったからだ。

 東京というそれまで見たことも聞いたこともない世界で、僕は魔王と戦った。無論勝ったからこそ今があるわけだけど、何かと目立ってはいけないとか、子供は深夜に出歩いているのを『警察』という衛兵に見つかると追い回されるとか、そういった面倒な枷があったのを思い出す。


「東京? あなた、東京から来たの?」


 少女が目を丸くする。


「そうだね」


 どうやら彼女はその存在を知っているらしかった。

 ここは恐らく初めて来る世界だけど、全貌を知る何かしらの取っ掛かりがあるのは心強い。


「へぇ……。なら、なんでわざわざこんなところに?」

「なんでって?」

「だって、ここには何もないのに。ただ、海と山があるだけで、遊園地も動物園も、そういう楽しいものは何もない、退屈な場所なのに」

「動物園、遊園地……」


 口にすると、頭の中のボヤけた像が徐々にハッキリとした実像を持ち始めた。

 少しずつ思い出してくる。

 自分がいま着ている服は、Tシャツとジーンズというものだということ。

 この国には緩やかな季節の移ろいがあり、今は夏といって比較的に気温が高いこと。


 ふいに自分の周りを見渡したくなった。

 自分が座っている砂浜と境界線をなして、その先は真っ青な海がどこまでも広がっている。

 後ろを振り返ると、コンクリートで作られた堤防があり、その上方は木々で象られる巨大な山々がそびえ立っている。


 こんな風景を僕は今まで見たことがなかった。

 よく転生する先もここと同じように、山に緑が生い茂り、海は太陽の光を反射してキラキラと輝いている。

 なのに、ここの風景はそれらとはどこか違う印象を受けた。


 どうしてだろう。

 どこか、懐かしいような感じがしたんだ。


「ねぇってば!」

「えっ?」

「えっ、じゃなくて。どうしてここに来たのかって聞いてるのに」

「あ、ああ。えっと……」


 どうしても何も、休暇を取るためにここに来たというだけの説明だけでは、彼女は納得しないらしい。

 この世界は理不尽なくらいに、論理的なものを求めることを思い出した。なんとなくが通用しないのだ。


「旅を、している」

「…………はい?」


 若干長い沈黙の後、彼女は怪訝そうに言った。言い訳にしては悪くないと思っていたけど、そうでもないらしい。


「いろんなものを見て回っているんだ」

「その歳で? しかも一人で?」

「……変?」

「いやいや、普通じゃないよ。家族とかは?」

「家族は……、ちょっと遠いところにいる」


 僕に家族がいるのかという問いに対しては、いると言えば嘘になるし、いないと言ってもまた嘘になった。

 転生の度に僕を産み、育ててくれる血の繋がった親が生じる。もちろん恩は感じているが、血の繋がりがあるにも関わらず、本当の親のように感じられた記憶が、少なくともここ数回はない。それなら女神様の方がまだ家族と言えるかもしれない。


「へぇ……。その歳で一人旅かぁ。羨ましいな」

「そう?」

「うん、私もできるならしてみたいな」

「してみればいいよ」

「そうしたいのは山々なんだけどね……。ほら、世の中物騒だしね、親とかが許してくれないよ。お金もないし」

「おかね……」


 ぼんやりとそう呟く。ポケットの中に手を突っ込むが、今の自分は一文無しだ。

 適当にその辺りにいる魔物を狩って、その素材を換金してもらえば――、

 もらえば――?


「あ」

「どうしたの……?」


 やはり全くと言っていいほどに、この世界では魔力を感じない。つまりここには魔物は存在しない。ただ隠れているだけという可能性も、恐らくない。

 となると僕は野宿しなければならないのか。

 最初に女神様が言っていたバカンスの計画は、一体どこに行ってしまったのだろう。これじゃバカンスどころか、サバイバルに等しい。

 世界を救っている時と何ら変わらないし、得るものすらないのだからマイナスだとも言える。


「もしかして、お金ないの?」


 ド直球過ぎる少女の問いに、思わず言葉を詰まらせた。

 何て返そうかと脳内で試行錯誤を繰り返す内に、彼女は呆れ果てたようにため息をついた。

 けど当然の反応だから何も返せない。


「あなた、バカなの?」

「う……」


 ぐうの音も出ないとはこのことだ。

 しかし、僕をこの状況へと放り込んだのは他ならぬ女神様だ。されるがまま巻き込まれた僕に、何の罪があろうか。

 だが、そんな事情を説明しようにも、まず女神様のことから説明しなければならないし、恐らくは女神様の『め』の字を出した時点で、一笑に付されること間違いない。


「はぁ……」


 ため息を一つついて、立ち上がる。


「何をする気?」

「いろいろ」


 とりあえずお金がないことには、何もしようがない。太陽の位置から察するにまだ正午の前後だ。野宿の準備をするにはまだ早いと思った。


「う、うん?」

「ちょっと、仕事探してくる」

「えっ?」


 うろたえるばかりの少女に背を向けて、重い足を進める。


「ちょ、ちょっと、あなた、何言ってるの?」

「じゃあね」


 ここは小さな村のようだけど、人はそれなりにいるだろう。人がいるなら、仕事だってあるはずだ。少なくとも一日分の宿をとるのに必要な稼ぎになるくらいの。


――――


 それから数時間後。


 視界いっぱいに広がる海は、夕暮れの赤が混じった光を反射し、あたり一面を橙色に染めている。

 もうすぐ一日が終わる。

 労働を終えたあとの程よい疲労感は、何とも心地よい。


「……はぁ」


 ――なんてことにはならず、この全身を取り巻く疲れはむしろ徒労によるものだった。

 確かに人はそれなりにいた。仕事をしている人も、そこで手を必要としている人も少なからずいた。しかし、見た目が子どもの僕とマトモに取り合ってくれる人は、一人もいなかった。


「だと思った」


 ふいに背後から声がして、反射的にその場から飛び退いた。

 いつ魔物に命を取られるかわからないなか生きてきた自分の、悲しいまでの脊髄反射。


「そんな驚く、普通?」


 そこには、ついさっきここで出会った少女の姿があった。僕の行動が滑稽だったのか、笑いをこらえているようだった。


「何しに来たの?」

「ただ単に気になっただけだよ」

「ふぅん、暇なんだね」


 そう口にした後に皮肉っぽい言い方になってしまったと思ったが、彼女の表情は変わらず笑顔のままだ。


「うん、暇だね」


 そう、あっけらかんと肯定する。


「特にすることも、したいこともないから」


 気づけば彼女の視線は僕から外されて、水平線の方へと向けられていた。

 夕日が彼女の瞳に映って、ぼんやりと揺れている。

 ただ海を眺めているだけという光景に過ぎないのに、繊細な色彩の筆先で描かれた絵画のように見えた。


「で、仕事は見つかったの? プー太郎くん」

「これ、戦利品」


 ポケットの中から貴重な食糧を取り出し、少女に見せつける。


「何それ? ……アメ?」

「そう。見た目が子どもだから、真面目に取り合ってもらえなかった」

「それで……アメ」

「『えらいねー』って、頭を撫でられた」


 僕の言い方がツボにハマったらしく、少女は思い切り吹き出した。


「ぷっ……! それは……そうなるでしょ! ちなみになに味?」

「ぶどう」


 ぐぅー。


 そのとき突然、そんな間の抜けた音が二人の間を突き抜けた。

 思わずおなかを押さえる。空腹が最早限界を迎えそうだった。


「……お腹は空いたままだけど」


 彼女はついに堪えきれなくなったらしく、お腹を押さえて笑い転げた。


「ふふっ。……ふふふ、あははっ!」

「そんなにおかしい?」

「おかしいよ……。あーお腹痛い」


 随分と失礼な物言いだけど、あんまり嫌な気分ではなかった。

 これからどうしようか。

 そんなことに思いを馳せる。


 以前『東京』に転生した時は、魔法が一般的に認知されていなかった。おかげで魔物一匹を倒すのにも人目を気にする必要があったものだ。

 そんな中で世界を滅ぼそうとする魔王と戦うのがどれほど難易度の高い所業であったかは、想像に任せることにする。


 この世界でも魔法を使うことは異端視されるだろう。魔力が存在しないのだから当然それを行使する者もいない。

 そうなると今まで生活するのに必需だった飛行魔法や高速移動も使えないことになる。結構不便だな。


「ねぇ」


 などと割と真剣に今後のことに思案を巡らせていると、頭上から声が降ってくる。


「なに?」


 見上げると少女は両手を後ろに組んで、ニコニコと僕の顔を見ている。そして口を開き、こう提案をしてきた。


「あなた、私の家に来ない?」

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