カイ

@furato1225

1話

 十月下旬。

 秋が終わり、冬が近づいてくるこの時期。夜になると心地良い音色を奏でていた虫の声を冷たい風がさらい、あとには静寂のみが残される。

 動物が冬を迎える備えをし、カエデやイチョウが色づいた葉を枯れさせるのを、その施設の中で知っているのはほんの一部だけだ。他の者は、陽の光を浴びることすら許されていない。

 施設の名は『異種生体器官研究所』。

 地下に巨大な空間を有し、人体実験を行う政府所属の施設である。

 

 周囲一五メートルを高さ二〇メートルほどの巨大な壁で囲まれているその研究所の中のある棟の一室。机と椅子、そしてベッドしか置かれていない監獄を思わせる部屋。

「まだかなあ……」

 そこに一人の少女がいた。

 一六〇センチより少し高いだろう。女性にしては高めの身長だ。黒い髪をまっすぐにおろし、清潔な病衣を着ている少女は伸ばした足をパタパタと動かしている。黄色い瞳は何もない中空を見ていた。

 すると、静かに部屋の扉が開いた。少女の顔がぱっと明るくなる。

「お姉ちゃん、ただいまー」

「おかえりー。カイ君」

 扉の向こうには二人の人の姿があった。一人は幼い少年。もう一人は防護服に身を包み、ガスマスクをつけた研究員の一人だ。手にはアサルトライフルが握られている。

 カイ、と呼ばれた少年は少女に飛びつき、度重なる実験の影響ですっかり色が抜け落ちてしまった髪を撫でてもらう。それを見届けた研究員は無言で扉の向こうへと消えて行くと、二重の電子ロックが掛けられた。

 この施設で行われている実験の内容は、動物の生体器官を人間に移植し、定着させること。

 すでに複数の成功例が出ており、彼らは人の身でありながら魚類のごとく水中でえら呼吸を行ったり、骨が変形した角を保持していたりと、目まぐるしい進化を遂げていた。

 そして無事実験に成功した被検体たちは、――過酷な戦場へと送りだされた。


 現在、この国は隣国との戦争状態にある。

 最初は普通の戦争だった。人が銃を持ち、戦車に乗り、爆撃機を用いて敵を蹂躙しあう。戦況はお互いに一歩も退かぬ状態で、被害の状況も五分五分だった。

 しかしそれでは問題があった。

 この国は敵国に比べると圧倒的に資源が少ないのだ。現に戦争が始まってから四年が経過した今、同盟国から輸入しているにも関わらず、貯蔵庫の底が見え始めている。

 この均衡をいつまで保つことができるかは分からない。資源が尽きれば、敗北は確定する。

 戦争が始まって半年経ったあたりで一度交渉が行われたが、失敗という形に終わった。

 その報告を受けた国の行政機関は、そこから半年をかけてある研究所を設立、実験を開始した。

 その実験を行っている場所こそが『異種生体器官研究所』である。

 この国は資源こそ少なかったが、それを補うかのように卓越した科学技術があった。

 実験台には体が成長しきっていない子供に限定した。新しい器官を体に対応させるならば、年若い方が良いのではないかと考えられたためである。

 しかし、子供をそう簡単に実験台にするわけにもいかない。どこかの孤児院から拝借するにしても限度があるし、誘拐などに手を出してこの計画の情報が漏れ出てしまえば、この国は内側から崩壊してしまう。

 そこで国が目を付けたのが、スラムに住まう住民だった。

 戦争の影響で形成されたスラムの人間であれば、情報の改ざんは難儀なことではない。スラムに目を向ける人はごくわずかで、もしものときは戦争に巻き込まれたとでも言えば問題ない。

 そう考えた政府は早速スラムに足を踏み入る。

 結果は上々だった。

 現金(カネ)を見せれば簡単に自分の子供を実験台として提供する親は少なくなかった。説得が通じない親は射殺した。

 そうして実験台となる子供は次々に集められた。

 実験は着実に成果を出し、半年と経たないうちに異形の人間の製作に成功し、子供たちは戦場へと送り出されてゆく。


 箕輪(みのわ)カイがこの施設に足を踏み入れたのは一年前。

父親が戦争へと駆り出され、カイとその母親は戦争による被害から逃れるために避難して一ヶ月も経っていないある日。

 数名の人間がカイたちの住む地区へ乗り込んで来た。むろん、研究員の手の者たちである。

 カイの母親はスラムの住民にしては珍しく我が子が連れて行かれることを拒んだ。

 しかし、抵抗むなしくカイは研究員に車に乗せられ、母親と引きはがされることになった。

 これが八歳の誕生日の出来事。皮肉にもプレゼントとなったのは、『コード一〇三』という新しい名前だった。


 カイはあらゆる臓器との適性値が高かった。

 本来であれば一人に複数の器官を与えると、体が耐えられなくなり、自我も崩壊してしまう。そうなっては敵と味方の区別もつかないので、器官の移植は一人に一つだけだという規則(ルール)があった。

 しかしカイはすでに三つもの器官を移植しても、健康を損なうことなく自我を保っていた。

 現在は自我の崩壊寸前まで器官を埋め込むために詳しい研究が進められており、カイはバイタルチェックと採血のみを行っている状態だ。

「おねえちゃん。今日のけんさは終わったの?」

「うん、終わったよ。カイ君こそ、何もなかった?」

「バッチリ! ケンコータイだって!」

「そう。ならよかったね」

 年が二桁にもならない少年を愛おしむように抱く。

 そんな少年が姉のように慕う少女もまた、被検体のひとつだった。

 呼称コード〇七六。本名、新島咲。一七歳。

 カイと同じ部屋で生活している彼女は一五歳のころにスラムに移住し、この研究所に連行されて約二年の間実験を受け続けている。

 本来であれば入所して半年から一年ほどで戦争へと送り出されるところを、二年もいるのには理由があった。

 彼女もまた、カイほどではないが適性値が高かったため、他の被検体よりも難易度の高い実験が行われていた。

 まだ体が完全には適応できていないため戦線には投入されず、検査と調整が続けられている。もっとも、戦争が激化したときには躊躇なく送り出されるだろうが。

「じゃあ、カイ君も帰ってきたことだし、ご飯にしよっか」

「うん! 今日はなにかなー」

 研究員が部屋に持ってきていた夕食を移動させ、二人で向かい合う形にして座る。

「「いただきます」」

 手を合わせ、食べ始める。

「こーら。ピーマンをよそにやらないの」

「うう……」

「ちゃんと食べないと大きくなれないぞ。ほら、あーん」

 嫌がるカイの口にピーマンを運ぶ。

 刻限どおりに夕食を食べ終え、研究員が食器を回収したのを見計らって、咲は部屋の隅へと移動した。咲が発見した、監視カメラに映らない唯一の死角となり得る場所だ。

 咲はそこで一枚の紙を広げる。紙面上には幾何学的な図形が描かれていた。

「あ、おねえちゃん。何か新しいことが分かったの?」

 それに気づいたカイも同じようにカメラの死角に移動し、マイクに声を拾われないよう小声で話す。

「ううん。ただ地図を見ているだけ」

「そっかー。残念……」

 カイは地図に目を落とす。

 今二人の間にあるのは、咲が制作した研究所の地図だ。彼女がこの場所に来て最初に考えたのは脱出の方法だった。

 ――でも、脱走しようとすれば殺されるかもしれない。冷静に判断した咲は、ひとまず情報を集めることにした。

 どのくらい時間がかかるかは分からない。見つかれば当然処分の対象になる。

 それでも彼女は誰にも感付かれることなく、二年間、この施設に関する情報を集め続けてきた。

その結果がこの地図である。

 監視カメラやマイクもある中で彼女が六年間集めてきた情報はかなり正確なもので、いくつかの不備があるにしても、描かれている地図そのものに間違いは見られない。

 そして彼女――咲はこの自作の地図を使い、脱出するためのルートを発見していた。

「あとは、この道を使うタイミングだね。せめて、大きな事故でも起きてくれれば逃げやすいんだろうけど」

「大きな事故……ばくはつとか?」

「そうだね。まあ、どちらにせよ扉が開かないことには出られないけど」

 呟きながら、厳重に閉められた扉を見る。

 幅一〇センチほどの分厚い扉に加え、二重の電子ロックがかけられているため、容易に開くことはできない。

 そもそもカメラがある限り、不審な行動は取れない。

 つまり現状、この研究所から出る術はない。そのため、ここ最近は特に案を考えることもなく、ただ地図を眺めるだけだった。

 スピーカーから就寝時間が近いことを知らせるチャイムが流れる。

「今日はこれ以上考えてもしょうがないわね」

 寝ましょうかと布団を敷き始めた咲に従い、カイも部屋の隅に置いてある布団を移動させる。

 並べた布団に入って目を閉じたところで自動的に部屋の電気が落とされた。

「ねぇ、カイ君。この世界は好き?」

 それは咲が、眠る前に毎日カイにしている質問だ。

「きらい。おとうさんもおかあさんも取っちゃったから」

 そしてカイのお決まりの返答を最後にこの日の会話は終わり、あとには静かな寝息だけが聞こえてきた。




 朝のチャイムと同時に目を覚ました二人は布団を畳んで部屋の隅に移動させ、運ばれてきた朝食を三〇分もかからずに食べ終えた後、自分たちの検査の時間を待っていた。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん。おはなし聞かせて」

 床に膝を立てて座り、咲を見上げる。

 娯楽が与えられないこの施設でカイは、咲の口から語られる物語を聞くことを楽しみにしていた。

 咲はカイの前に正座する。

「いいよ。そうだねー。なんのお話にしようかな」

 少し考えた後、咲は語り始めた。

「むかしむかし、ある山にお酒が大好きな鬼がいました――」

 咲が話し始めたのは、酒が好きな鬼の話。

 ある武士に退治されても首だけのまま生き続け、酒を飲み続けた鬼は酒を飲んで気分が良くなると、頭をポンポンと叩いてほしいと言う。そして言われた通りにしてやると、ニカッと笑ったところで話は終わる。

「えー? それで終わり?」

 大したオチもない話に、カイが不満をあらわにする。

「でもねー、カイ君。この話に出てくる鬼は少し面白いんだよ」

「おもしろい?」

 首をかしげるカイを見て微笑んだ後、咲は口を開く。

「それはね――」

「一〇三番。〇七六番。時間だ」

 カイと咲のことを番号で呼ぶ声が聞こえる。

 静かに開いた扉から、顔をマスクで覆った二人の研究員が入ってきた。

「続きはまた後でね。カイ君」

「うん。バイバイ、おねえちゃん」

 小さく手を振るカイに咲も同じように返し、それぞれ別の方向に連れて行かれた。


 滞りなく検査を終え、部屋に戻って来たカイは、床の上に横になって咲を待っていた。

 大してすることもなく、寝転がったまま部屋を見回す。

 カイの目に映るのは小さな机と部屋の隅に片付けられた布団。あとは白塗りの床。壁。天井。地下にあるため窓はなく、外は見えない。

 空気までが清浄化された白い箱の中で、カイは目を閉じた。


 カイの夢に出てきたのは、軍服を着て列車に乗る父親の姿と、泣きながらそれを見送る母親の姿。手を握るカイに、その涙の理由は分からなかったが。


 次にカイが見たのは、引っ越し先で手に入れた新しい家。前に住んでいた家とは大きく異なり、寝るためのスペースしか用意されておらず、脆(もろ)い木材とトタンの屋根を釘で繋げただけの簡素な家だ。

 今日からここに住むと言われて不安を覚えはしたが、母親がいるということだけでカイは安心感を覚えた。


 その日スラムを訪れてきたのは痩せ型で長身の細淵(ほそぶち)の眼鏡をかけた男と、五人の軍人だった。男の髪はぼさぼさで、シャツの上から白衣を纏っていた。

 男がスラム内の子供をすべて回収するよう命令すると、軍人たちは抵抗する者を容赦なく持っていた銃で殺しながら、輸送車へ子供を連行した。

 カイの母親も抵抗したが、女性の身である上に戦争による食糧不足で常人の半分以下程度の筋力では、到底どうにかできるものではない。

 それでも母親は抗った。

 夫を戦場へ送り出し、もはや側(そば)にはカイ一人。一人の息子を護るために母親は抵抗した。スラムでの貧困生活で肉が落ちた折れそうな腕で軍人にしがみ付き、我が子の名前を呼んだ。カイも軍人に担がれながら母の名を叫んでいた。

 しかし、カイはそのまま輸送車に乗せられ、研究所へと連れて来られた。自分の生まれた日を祝われることもなく――。


「――イ君。カイ君」

 咲に体を揺さぶられ、カイが目を覚ます。頬には涙がつたっていた。

「どうしたの、カイ君。怖い夢でも見たの?」

 起き上がったカイは、ふるふると頭を横に振る。

「おかあさん……。おかあさんのゆめ……」

 咲が小さく息を呑む。

「おねえちゃん、おかあさんにはいつ会えるの? 早く、会いたいよ……」

 止まっていた涙が再び溢れだす。

 咲はそんなカイの頭を胸に抱き寄せる。いつもしてあげているように頭をなでても、カイの涙が止まることはない。

「ごめんね、カイ君。ごめんね……っ」

 何に対する謝罪なのかは咲本人にも分からない。誰かの代わりに謝っているつもりもない。ただ、そうすることしかできなった。

 いっそ、ここから出てしまおうか。

 カイと二人で研究所を出て、まずは近くの一番近いスラムにでも逃げ込む。そこなら人はたくさんいるから、少しの間なら身を隠せる。そうやっていくつものスラムを転々と移動すれば、もしかしたら逃げられるのではないか。

 咲はその考えをすぐに払拭した。

――今はまだダメ。わたしのバイタルが最近少し不安定だし、そもそも今抜け出したところで捕まるだけ。なにかチャンスでも来ない限り、逃げられない。

 咲は今日耳にした研究員たちの会話の内容を思いかえした。

 内容は、二週間前から始まった停戦のための会談が、思いのほか順調に進んでいるということ。

 ――もし会談が成立すれば、わたしたちは用無しになって処分される。

 それだけは、なんとしても阻止しなければいけなかった。最悪、カイだけでも逃げてもらおう。

 咲は心のなかでそう呟いた。




 カイが涙を見せてから三日が経過したある日のこと。研究所内の被検体全員に待機命令が出された。

「今日のけんさはおやすみなのかな?」

「どうだろうねー。おやすみだといいね」

 カイと咲は珍しい種類の命令を聞いて部屋で大人しくしていた。

 二人しかいない部屋に静謐(せいひつ)が生まれる。

「おねえちゃん、おはなししてー」

 暇を持て余したカイが咲にねだる。

「そういえばこの前の話が途中だったね。えーと、どこまで話したんだっけ」

 しばらく考えてから、パンと手を叩いた。

「そーだ。お酒が好きな鬼の話がどうしておもしろいか、だったね」

「うん」

 床に寝転がっていたカイが膝を抱えるようにして座り直す。真面目に話を聞こうとするカイの意志の表れだ。

「あのお話に出てくる鬼はね、もともとは人間の子供だったって言われてるの」

 人差し指を立てながら咲は説明する。

「ある村に男の子がいたんだけど、ある女の子の願いが叶わなかったっていう無念の思いを受け取って、鬼になったんだって」

「むねん?」

「悔しい気持ちってこと」

「くやしい気持ち……」

 カイは母のことを考えた。

 父親が戦場へ行くときも、カイが研究所へ連行されるときも、流れていた母の涙を止めることはできなかった。母を、泣かせてしまった。それがとても嫌で、これが咲の言うところの『くやしい気持ち』なんだろうか、とカイは考えた。

「おねえちゃんは『くやしい』ことってあるの?」

 少年らしいの丸い瞳で咲を見る。

 病衣の少女は、その視線を柔らかく受け止め微笑んだ。

「うん。たくさんあるよ」

「たくさん?」

 不思議そうに咲を見る。いつもの頼りになる姉のような佇(たたず)まいからは、悩みなどというものが感じられなかったからだ。

「例えば、お化粧とかしてもっとかわいくなりたかったなー、とか」

「おねえちゃんはかわいいよ」

「カイ君は女の人の気持ちが分かってるねー。ありがとう。おねえちゃんはうれしいよ」

 偉い弟分の頭を、咲が優しくなでる。

「でも、一番悔しいのは、この研究所に閉じ込められたこと」

 それは咲やカイだけではなく、被検体全員の気持ちを代弁したかのような言葉だった。

「あの時の私はこんな力もなかったし、小さかったから何の抵抗もできなかったのは仕方なかったのかもしれない。でも、それでも、私は悔しい。とても悔しいよ」

「ぼくも……」

 なでられていた小さな頭を咲の胸元に埋めながら、カイは言う。

「ぼくも……、くやしい……」

「カイ君……」

 カイをさらに抱き寄せる。カイも連れて来られた日のことを思い出しているのだろう。

 まるで互いを慰め合うように、二人は抱きしめ合っていた。

 やがて、カイの肩に手を置き少し距離をあけると、咲はカイの目を見て言った。二人の視線が交錯する。

「カイ君。絶対にここから生きて出ようね。おねえちゃんにまかせなさい。普通の人とは違う身体(からだ)になっちゃったけど、きっとカイ君をお母さんに会わせてあげる。おねえちゃんが勉強も教えてあげるし、新しいおともだちもカイ君なら作れる。だから、がんばって生きて、生き延びて、ここから出よう」

「うん! ぼく、おねえちゃんと一緒にここから出ていく。そして、おかあさんに会う!」

「偉いぞー、カイ君。それでこそ男の子だ」

 偉いと言われて少し誇らしげな弟分の頭をわしゃわしゃとなでる。くすぐったそうにする顔が愛らしくて、自然と咲の頬がほころんだ。

 人体実験所から脱出して、自由を得る。

 絶対に不可能のように思えるその計画は、しかしお互いに信頼しあっているからこそ見えている希望の光を――、

「させるわけねぇだろうが、んなこと」

 その声は、一瞬で、無慈悲に打ち砕いた。




「なにがここから出る、だ。モルモットの分際でいっちょまえに自由なんて望みやがってよ」

部屋に入って来たのは、痩せぎすの眼鏡をかけた男と、二人の研究員だった。男は白衣を纏(まと)っている。研究員は対照的に全身を黒いミリタリースーツで包み、ヘルメットを被っていた。

 咲はカイを後ろに庇い、目の前の男に問いかける。

「所長さんがなにをしに来たの? 検査の時間になったならいつもみたいに部下をよこせばいいのに――」

「おい」

 破裂音が部屋中に鳴り響く。

 カイの目に映っていたのは苦痛に顔をゆがめる咲の顔。そして、彼女の足から流れ出る真っ赤な、血。

 破裂音は白衣の男の手に握られていた拳銃からだった。

「実験材料ごときが偉そうに口きいてんじゃねえよ」

「おねえちゃん!」

 カイが咲の後ろから出てきて足に触れようと手を伸ばすが、触れれば余計に痛いのではないかと思い、ひっこめる。

「だい……じょうぶ……っ。このくらいなら……」

 みるみるうちに咲の足の傷が癒え、あとには流れた血液のみが残される。銃弾に穿たれた傷口は、跡形もなく消え去った。

 その結果をなんでもなさそうに見届けた男――異種生体器官研究所所長、笹倉(ささくら)俊光(としみつ)は部屋をぐるりと見回し、備え付けられている机の引き出しに手を伸ばした。

「なんだこりゃ?」

 笹倉は引き出しの中から一枚の紙を取り出す。

 それは咲が情報を集めて作った、施設の地図だった。

「こいつは……。ほう……」

 地図をしばらく眺めた笹倉は、感心したように頷き咲を見る。

「情報だけでここまでのものを作るとはな。実験材料のくせにやりやがる……。いいぜ。なんで俺がここに来たか、だったな。教えてやる」

 拳銃を白衣の内側にしまい、眼鏡を指で押し上げて話し始める。

「まず、ここがなんのためにあるのか知ってるか?」

「隣国との戦争における圧倒的な資源の不足。その対策として政府は秘密裏に生物兵器を作ることにした。それがこの施設。実験の内容は動物の生体器官の人間への移植。すでに実験は成功していて、実験体となった何人もの子供が戦場へ送られている」

「正解だ」

 満足そうに口角を上げる。

「そう、実験は成功した。モルモットはいくつも戦場に送りだし、戦線も押し上げ、状況は悪くなかった。なにより――」

 目を恍惚(こうこつ)と輝かせ、言葉を続ける。

「なにより、実験の苦痛に顔を歪めるガキどもの顔が、おもしろくってなぁー!」

「――ッ!」

 咲が息を飲むのが聞こえる。

「訳も分からないまま連れて来られて、身体弄くり回されて、その性能を試すために実験した時のガキども顔と言ったら。自分のものとは違う身体にされて『助けて! 助けて!』『違う! こんなんじゃない!』『僕の身体を返して!』って嘆いてる顔! 政府からの命令だからと控え目にしていたが、拒絶反応を起こしたときのガキなんか特に最高だったなあ! どんどん身体がおかしな形になってよぉ! 腕の肉を貫いて骨が外に出てきたり、口から内臓が出てきたり、四肢が膨張して爆散したやつもいた! いやあ、あれは絶景だった!」

 ――狂ってる。

 クックックッ、と喉を鳴らして笑う笹倉を、咲はそう評価した。

 いや、狂っているのはこの男だけではない。

 施設にいる研究員も、この計画を発案した政府も。この国は根っこから腐っている。

「いやあ、楽しかったぜ。楽しかったんだよ、実験するのはよ……。あれが、今まで生きてきた人生で一番楽しかったんだ……。だってのに……、政府の奴ら……ッ!」

 今までの満足そうな笑みから一転、心の底からの怒りをむき出しにする。

「なにが交渉だ! クソが! このまま実験続ければ勝ちは確実だったろうが! その上研究所を放棄だと⁉ 」

 部屋の机を蹴りつける。その大きな音にカイはビクッと体を震わせた。

「わざわざ汚えスラムに出向いて、親を殺してまで特別個体を二匹も手に入れたってのに! それすら処分しろだと⁉ ふざけるな!」

 息を切らせ肩を上下させている笹倉の前に、一人の少年が立つ。

 いつの間にか咲の後ろから出てきたカイだ。

「カイ君!」

 咲の制止も聞かず、カイは目の前の男に問いかける。

「ねえ……、殺したの……? おかあさん……、死んじゃったの……?」

「あ? 殺したに決まってんだろ。万が一でも情報が外に漏れたら、後始末が面倒だからな。スラムにいたガキども以外は全員殺したよ」

 表情に少しの変化も見せないまま淡々と答えた後、笹倉は手を叩いた。

「思い出した。お前、二十三区のスラムから連れて来たんだったな。珍しく俺が直接出向いたとこだったから覚えてるぜ。お前の母親、お前を車に乗せた後もずっと叫んでてうるさかったから、頭打ち抜かせた」

 懐かしい思い出話でもするかのように出てくる言葉の中身を、カイは半分ほどしか理解していなかった。それ以上は、受け入れたくなかった。

「カイ君!」

 膝から崩れ落ちたカイを抱きとめ、咲は笹倉に目を向ける。

「さっき、交渉が成立したとか言ってたわよね。四年続いた戦争が、たった二週間程度で、終わったってこと?」

「なんだ。交渉の件も知ってやがったのか。モルモットの分際でいろいろと嗅ぎ回るとはな。いや、モルモットだから、嗅ぎ回るのが得意なのか? まあ、どっちでもいいか」

 カイと咲の二人に向き直り、視線だけを向ける。

「さて、ここまで言えばだいたい伝わんだろ。〇七六番」

「実験施設の放棄。それが意味するところは、――被検体全員の処分」

 事実を自分自身に言い聞かせるように、咲は呟いた。

 それに対し笹倉は、無表情のまま頷いた。

「そういうこった。じゃ、二人仲良くおさらばだ。やれ」

 笹倉と一緒に部屋に入った二人の軍人に命令した瞬間、顔の見えない処刑人たちは無駄のない動きで銃の引き金を引いた。

「カイ君、伏せて!」

 咄嗟の命令にも関わらずすぐに頭を伏せたカイの上に咲が覆うようにして重なる。

 五秒ほど鳴り響いた銃声は、笹倉の手を上げる動作で搔(か)き消えた。

 三人の目の前にあるのは、背中がハチの巣のように穴だらけになった咲の姿。これなら、内側にいるカイも無事ではないだろう。

 二人の軍人は次の部屋に向かうために二つの肉塊に背を向けた。しかし、笹倉は部屋から出ようとせず、それらに向かって一歩踏み出した。その瞬間――、

「カイ君、走って!」

 すでに息絶えたはずの少女の声が部屋中に響く。

 それを合図に血まみれの咲の体が浮かび上がり、開きっぱなしだった部屋の扉に向かって移動する。

 否。飛んでいるのではない。

 咲が庇っていたおかげで弾が数発かすめただけの軽症で済んだカイが、咲を背負って走っているのだ。

 人体実験により手に入れた体は、その小ささからは考えられない速度で動き、軍人二人の銃撃を逃れ、そのまま廊下へと出て行った。

「特別個体二体が逃走した。最低限の人数だけを処分に当てて、他の奴らは応援に寄こせ。GPSのデータを送る」

 インカムを通して施設内の職員に指示を出し、携帯を見る。

 モニターには動き回る二つの光点が映し出されている。咲とカイの体の中に埋め込まれている発信機から送信されているデータを、研究所内の地図に示し合わせて表示したものだ。

 だが、そのようなものを使わずとも行き先の見当は大体付いていた。

 部屋に落ちている咲の作成した地図だ。この逃走ルートを使って脱走するつもりだろう。もしものときに備えて数パターンあるようだが、とにかく余計な手間をかける必要はなさそうだ。

「来い」

 地図のルートを全て暗記すると、部屋で待機していた二人を連れて笹倉は部屋を出た。

 

 

 

「そこを右に曲がって……。まっすぐ……、進んで三つ目……、の……まがり角を左……。その次もまた……左に……」

 途切れ途切れの声で咲が指示するより早く、カイは右に曲がり、左に曲がり、階段を駆け上がっていた。咲と一緒に地図を見ているうちに、逃走ルートを覚えたようだった。

 記憶を辿りながら咲の望む方向へ走っていく。それ以外に咲を救う方法が分からなかった。

 今この瞬間にも、咲の体からは血が流れている。命の灯火が消えかけている。

「カイ君……、そこの部屋に入って……」

 走っていた時のままの速度で扉が開いていた部屋に入った。

 部屋の中に家具のようなものは一切ない。ただの空き部屋らしい。

 カイは背負っていた咲を降ろし、その背を奥の壁にもたれかけさせた。

 咲の着ている病衣は先の銃撃により真っ赤に染まっており、真っ白だったタイルの床を紅く染め上げていく。

「おねえちゃん! 大丈夫⁉」

 目の端に涙を溜めながらカイは叫ぶ。

十歳にもならない少年の目から見ても、咲の容体が最悪なのは明らかだった。

――再生限界、か……。しょうがないな。

「カイ君。これからお姉ちゃんが言うことをよく聞いておくんだぞ」

 今にも泣きだしそうなカイを諭すように告げる。

「カイ君はこれから外に出て、カイ君が知らなかったものをいくつも知ることになると思う。まずは、助けてくれる人と出会いなさい。男の人でも、女の人でも、お年寄りでも、カイ君と同じくらいの歳の子供でもいいわ。とにかく優しい人と出会って、学校に通うかおうちでお勉強をして賢い子になってね。お友達もたくさん作って、楽しく遊んで、けんかもだめじゃないけどあまりしないようにね。そして、困ってる人がいたら助けてあげなさい」

「やだよ! おねえちゃんも一緒がいいよ! もうひとりぼっちはやだよ!」

 父を戦場へ送り、母を殺され、やさしい姉の咲さえいなくなれば、カイは再び孤独になる。

 なにより、大切な人と離れることがカイには耐え難い苦痛だった。

「カイ君」

 涙を流し始めたカイに咲が呼びかける。

 俯いていた顔を上げたカイの口に、突然何かが押し込まれた。反射的に口を閉じ、中のものを噛みつぶす。

 ぐにゃりとした弾力のある柔らかい質感。濃縮された鉄の匂い。知っているようで知らない味。

 カイの口に含まれているのは咲の体の肉片だ。

「吐き出しちゃだめ。噛み切って飲み込んで」

 苦しそうな顔をしながら懸命に姉の体の一部を飲みこもうとするカイの背中をさすっていると、ごくんと喉を鳴らす音がした。

「よしよし、えらいね。よく頑張った」

 咲は血で汚れていない方の手でカイの頭を撫でる。

「これで、カイ君はどこに行ってもおねえちゃんと一緒だよ。ひとりぼっちになることは絶対にない」

 カイの耳がピクリと動いて、物音を捉えた。ついに足音が聞こえる距離まで追手が来たのだ。咲もそれを察してカイの頬に手を伸ばす。この時にはもう、咲の心臓の鼓動は止まりかけていた。

「ねぇ、カイ君。この世界は好き?」

「きらい。おとうさんもおかあさんも、おねえちゃんも取っちゃったから」

 毎日眠りに就く前にしていた応答。この会話を最後に、その日の二人の会話が終わる。

 しかし、今日だけは会話が続いた。

「なら、カイ君。カイ君は外に出たら元気な子になりなさい。お勉強をして賢い子になってお友達をたくさん作って、そして――」

 血と涙で濡れた顔に笑みを浮かべ、弟に最後の言葉を伝える。

「このクソみたいな世界を、ぶっこわせ!」




 ――大丈夫。特別個体とはいえ相手は十歳にもなってない子供だ。なにも恐れることはない。

 笹倉に指示され先頭を走る研究員の男は、そう言って自身を鼓舞していた。

 これから処分するのは、戦争に投入されるはずだった生物兵器の特別体。そのうち一体は鼓動とリンクしている発信機の反応が途絶えているので、相手をするのは少年のほうだけだというのは笹倉に聞いている。

 無抵抗のものを殺したことはあっても、殺し合いなど全く経験のない者が恐怖するのは当然のことだった。

 この男だけではない。おそらく笹倉以外の全員が同じような感情を抱いているだろう。

 だが、この仕事が終われば、多額の報酬が手に入ることになっている。そのために、研究員は銃を持ってある一室を目指す。

「よし、止まれ」

 所長に指示され足を止める。

 すでにカイに気付かれているとも知らずに慎重に歩を進め、開いている扉の側で止まり、先頭の男の合図で五人ほどが一斉に部屋に突入した。

「撃てぇ!」

即座に正面にいるだろう標的に向けて引き金を引く。

「おじさんたちが……」

 その間際(まぎわ)に聞こえたのは、子供特有の高めの声。

「おじさんたちが……、おねえちゃんを殺したんだね」

 瞬間、少年の姿はかき消えた。否、あまりの速さに、そう錯覚しただけだ。

 カイは尋常ならざる速度で走り、飛び、壁を蹴り、狭い部屋を縦横無尽に駆け回る。

 アムールトラ。別名シベリアトラ。

カイの体を動かしている筋肉の、本来の持ち主だ。

 世界最大級のトラとして知られているそれは、ネコ科としての瞬発力だけでなく、一日で数十キロ歩きまわる体力。何より、ヒグマでさえ捕食するという凄まじい筋力を兼ね備えている。

 それに加え、カイの特異体質が本来の性能を向上させていた。

 研究員たちの目は、カイの動きを全く追いきれていなかった。

 ドスッ、とどこからか重い音がして、一人の男は周囲をきょろきょろと見回した後、自分の胸元に行きついた。

 見れば、白髪の少年の腕が、男の胸を貫いていた。

 周囲にいた研究員たちは驚愕のあまり一瞬動きが止まったものの、この隙を逃さなかった。

 鳴り響く短い連射音と、眩しく光るマズルフラッシュ。

 二人の人間の悲鳴が、複数の銃声にかき消される。

 後には、無残な姿になった二人の肉体が転がっていた。

 胴体の中身がこぼれ落ち、頭蓋骨から脳が流れ出る。流れ出た血液が紅色の蓮の花を形作る。

誰が見ても、二つの肉塊にしか見えない。

「やっと終わったか。面倒な手をかけさせやがって」

 そうぼやきながら笹倉が部屋に入って来たときだ。

 カイの指先がピクリと動いた。

そこから、時間が逆行したように全身の傷口が消えていき、四肢に続いて脳までもが再生したあと、ついには心臓が脈を打ち始めた。

起き上がったカイは、不思議そうに自分の手足を見る。ぼろぼろの服からのぞく腹の傷が癒えるのを見て、それが見覚えのある光景であることに気付く。

笹倉に撃たれた咲の足の傷が、またたく間に消えて無くなったときの状況とまったく同じだった。

 メキシコサラマンダー。咲の実験に使われた動物だ。

 ウーパールーパーの一種であるメキシコサラマンダ―は、尾や肢だけでなく、顎(あご)や眼球に脳、心臓に至るまで機能を再生させることができる。

 全身の八割ほどの細胞を交換する必要があるため、通常の人間では実験に体が耐えられない。適正値が平均を上回る咲でさえ、再生能力には限界があった。

 しかし、その咲をも上回る適正値を持つカイならば、再生能力を際限なく引き出せるのではないか。

 死ぬ間際にそう考えた咲は、自分の肉片をカイに与えたのだ。

 咲の予想通り、取り込まれた咲の体の一部は体内で消化、吸収され、カイの体を作り変えた。結果として致命傷からも復活することができたのだ。

 ――大丈夫。カイ君は一人じゃないよ。

「おねえちゃん……っ!」

 どこからか聞こえてきた姉の声に涙を流す。そして、気付いた。

 ――そうか。ぼくは鬼なんだ。おねえちゃんの話に出てきた、女の子の思いを受け継ぐ鬼なんだ。いや、角がないから鬼じゃないのかな。ぼくは――、

「この……、怪物め……っ!」

 誰かの口から出た言葉を聞いて、カイは納得した。

 ――ぼくは、怪物だ。

歯を食いしばり、立ち上がった。

獣の瞳で眼前の敵を見据える。

「おいっ! なにをもたもたしてやがる! さっさと殺せ!」

 笹倉の命令に残っていた研究員が銃口を向ける。

 カイが吠えた。寂しさと悔しさと、少しの安堵を含ませた声で。

 それに一瞬ひるんだ研究員たちは即座に銃を構え直し、引き金を引いた。


 咲を背中に抱えたまま歪な形となった腕の片方で鋼鉄の扉を開けると、初冬の冷えた空気が流れ込んでくる。そこには数人の研究員が銃を持って立っていた。所長が死んだことを察していながらなお立ちはだかるのは国に忠誠を誓っているからか。はたまた笹倉に恩義があり、仇討ちをするつもりなのか。

 研究員の存在を視認したカイはゆっくりと咲を降ろし、周囲の者たちを見据えた。

 全身を返り血で濡らしたカイの姿に慄(おのの)きながらも、研究員の一人は声を上げる。

「止まれ! それ以上動くな! 従わないのであれば今ここで――」

 カイは身をかがめ、踏みしめる大地を割らんばかりに地を蹴った。

 放たれた警告は言いきる前に途切れる。当然だ。喋る口が無くなったのだから。

 そして他の研究員たちもまた、同じように頭部が無くなっていた。

 胴体だけになった複数の死体が倒れるのを見向きもせず、カイは手に持っていた頭をその場に落とし、再び咲を背負う。

 一歩、二歩と足を動かし、カイは研究所を取り囲む壁のゲートに辿りついた。

 当然開いておらず壁の一部となっているゲートを見て、カイは両の足に力を込め、跳躍する。

 さしものカイも一度の跳躍だけでは中腹にも届かないが、二度三度壁を蹴って、壁の上まで上り詰めた。

 背中にいる咲を見る。

 再び目を覚ますことはなく、話しかけてくれることもない。物語を聞かせてくれることも、頭を撫でてくれることも。

 しかし、咲はカイの中にいた。カイの中にいて、今も孤独ではないことを教えてくれていた。

 願いを、託してくれた。

 ならばとカイは決意する。


 ぼくは、この世界を壊そう。

 父を、母を、家を、自由を、姉を奪ったこの世界を。

 

 ぼくはカイ。

 怪物のカイ。

 求めていた幸せを奪われ、求めていない力を与えられた、世界を壊す怪物だ。

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カイ @furato1225

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