第68話 山中棗は静かにキレる

「あ……み、三国先輩……!」


 掬星台の滞在時間、往復の移動時間を含めると夜十時を過ぎた頃に別荘へと戻ってきた俺達はリビングで立ったままでいる川西と出くわした。


「川西……良かった、大丈夫だったか?」

「は、はい、三国先輩も大丈夫でしたか……?」


「私が昌芳くんを悪いように扱うとでも?」

「誘拐紛いなことをしておきながらそれはどうかと」


「元より私達は3人で行動していたので誘拐ではありません」

「だとしても他にやりようはあった筈です」


 いつもは大人しい川西がやけにムッとした表情で黒芽先輩に食って掛かるので、火花でも飛び散りそうな雰囲気が漂い始める。


 まずい……ここはうまく話を逸して落ち着かせないと……。


「そ、そういえばお姉さんは今何処に?」

「姉はお風呂に入っています。もうすぐ上がってくるとは思いますが」


「ということは……現状は大丈夫そう……なのか」

「そうですね……解決と言えるかは分かりませんが――」


 そう言いかけて川西は若干渋い顔を見せるとそっと顔を伏せる。


 お姉さんがまだ別荘にいて、この家に俺達がいられる時点で、川西の頑張りが功を奏し最悪の事態は避けられていると思いたいが……。


 しかし川西は逸していた視線を俺の方へと戻すと、それとは全く別の話題を振ってくるのであった。


「そ、それより先輩、つぐ先輩が――」

「つぐ……? 山中がどうかしたのか?」


 言われてみれば、俺と川西が別々に誘拐されてから、俺から逐一連絡はしていたものの、山中からは一切返事が来ていなかった。


 まさか事故にでも……? と嫌の予感が駆け巡るが、川西は不安そうな顔を見せながら人差し指を天井へと突き指す。


「て……天国……」

「ち、違います! つぐ先輩が部屋から出てきてくれないんです……」


「じょ、冗談だ。部屋っていうのは山中が止まっている部屋か?」

「はい……何度かお声は掛けさせて頂いたのですが……『りんちゃんと話すことはない』と言われてしまいまして……あの、私どうしたら……」


 俺が知っている山中の性格を鑑みると、あまり穏やかではない雰囲気ではある……ましてや一番仲の良い筈の川西に対してその態度となると、当然残りのメンバーでは話にならないのは明白――


 川西に掛かっている負担を増やすのは可哀想だし……それにそうとなれば恐らく行かなければならないのは俺しかいまい。


「――分かった、ちょっと行ってくるから、ここで待っててくれるか?」

「わ、分かりました……先輩、宜しくお願いします……」


「黒芽先輩と服部さんも申し訳ないですが、一旦待機でお願いします」

「分かりました」

「問題ありません」


 もしかしたらまた良からぬ抵抗をされるんじゃと危惧していたけど、思いの外素直に二人とも了承をしてくれるのでほっと一息つく。


 まあ……この素直さが逆に不気味な所もあるんだが……と思いながらリビングを出ると俺は2階へと上がった。


 そして山中の部屋の前に辿り着くと一つ深呼吸をしてノック。


「山中?」

「……三国くん?」


 正直無視をされるのではないかと、少し心配していたのだが、いつもと変わらない山中の声が返ってきたのでそのまま話を続ける。


「その……さっきは機転を利かせてくれて助かったよ、ありがとう」

「――……今そこに三国くん以外誰かいる?」


 そう言われた俺は周囲を見渡してから念の為階段下と隣の部屋から物音がしないかの確認もする、うむ、問題はなさそうだ。


 まあ……隠密型の服部さんや川西姉がいたら流石に無理だけども。


「いや、誰もいない。大丈夫だ」

「……ちょっと待ってね」


 その言葉を聞くとパタパタと小さく足音が聞こえてガチャリと扉を解錠する音が聞こえ、ようやく山中との再会を果たす。


 少し疲れているようにも見えたが、露骨に怒っているという雰囲気はない。


「お疲れ様、入っていいよ」

「悪いな、お邪魔します」


 川西の別荘だというのにそう言うのは何だかおかしい気もするが、彼女も中々苦労を要したのだ、今は彼女の領域でもバチは当たるまい。


「おおう……?」


 だが。


 机の上に山盛りに置かれた屋台飯と、隅にパンパンに詰まったお菓子の入った袋が目に入り俺は如何ともし難い声を上げてしまう。


 あれ……? これはまさかとは思うが……。


「三国くんも大変だったね、まあ座って座って」

「お、おう……えっと……そのだな……」


「いやーあれだけバタバタしちゃったから、お腹空いたでしょ?」

「へっ?」


「え……? もしかして空いてないの……? まさか……ね?」

「そ、そりゃあ勿論……ぺ、ペコペコですけども」


 馬鹿な、ペコペコな筈があるまい、パンパン中のパンパンである。


 お姉さんの一件で、川西の怒りを鎮めるべく屋台飯を大量に食べているし、何なら実は掬星台の帰りにドライブルスルーを決めてしまっていたのだ。


 しかしそうなれば当然山中だけが何も食べていない。要するに彼女は待たされるだけ待たされた結果腹零分目、しかし俺はあれよあれよと立ち回った結果断りきれず腹に物を入れまくり、現在腹十二分目……。


「そりゃあ良かった、屋台ってついつい色々買っちゃうものだからねえ、お互いお腹も空いていることだし冷めない内に食べよっか?」

「い、いや……でもこれを買ったのは山中だろ? 結構お金もかかっているだろうし流石に貰うのは悪いって」


「そんな気にすることなんてないって~。まあちょっとは貰うかもだけど、そんな高い金額を請求するつもりはないから」

「き、気持ちは有り難いけども……」


「え? まさか食べた?」

「食べてないです」


 決して怒っている……のは表情を見る限り分からないが、少なくとも目の奥は笑っていないし、何なら妙な圧をさっきから感じまくっている。


 一刻も早く怒りを鎮める為にも、ここは素直に従う以外に道は存在しない……し、しかし腹が……何とか食べる量を最小限に抑えなければ……。


「いや~選り取り見取りだねえ、まずは何か食べよっか? ここは大定番とも言えるたこ焼きからかな?」

「わ、悪くないな……ではお先にどうぞ――」


「はい、どうぞ」

「え?」


 だがプスリと爪楊枝が刺されたたこ焼きを、山中はそのまま持ち上げると何故かずいっと俺の口元へと持ってくる……。


 そして一言。


「あ~ん」

「へっ? い、いや、そこは山中が食べ――」


「え、まさか屋台とドライブスルーで満腹――」

「いや~! 何も食べてないからマジで腹減りまくりだわー!」


「だよねー! じゃあはい! どうぞ!」

「わあい、もぐもぐ……お、オイ……シイデス……」


「うんうん、まだまだ沢山あるから一杯食べさせてあげるね」

「!?」


 ぐ……女の子の料理を食べさせて貰えるシチュエーションなど、本来は最高な筈だというのに、ま、まるで拷問を受けているような気分だ……。


 しかし山中に料理を差し出され続ける限りは何としても食べなければ……、く、くそ、こ、こうなったら……!


 正直小狡いというか、あまり気分の良いものではなかったが、文字通り背に腹は代えられない。形振り構っていられなかった俺は真っ先に目に入ったフランクフルトを手に取ると、それをぐいっと山中に突き出しこう言った。



「お、俺のも食べてくれよ……や、山中ァ……」

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