第31話 初々しい恋愛巧者

「三国くん着いたよ、おきてーおきてー」

「ひゅえ……ふぁい……?」


 山中と思しき声と、何やらぐにぐにと触られているような感覚に気づいた俺は間抜けな返事をしながら目を覚ました。


「はの……ほれは……」

「お、やっとを目を覚ましたね、これからデートが始まろうっていうのにお眠りしちゃうなんて感心しないなぁ」

「ほ、ほめん……」


 どうやら山中に頬をつねられてしまっていたようであり、いつの間にか俺の真正面に立って覗き込む彼女はいたずらっぽい笑みを見せていた。


 つうか俺寝落ちしたのか……まずい……これは完全にやってしまっている。


 一応いつもよりは寝た筈なんだけどな……まあ3時間くらいだけど。


「い、いやほんろにほうしわけなひ……」

「えー何言ってるか分かんないよぉ」


「は、はの――」

「うそうそ! 別に怒ってないから! 三国くんがお眠さんなのはいつものことなんだし、全然気にしなくていいよ」


 そう言って山中は俺の頬を離すと、すっと手を差し伸べてくれた。


「はい、早く起きて? もう電車を降りたらデートの始まりだからね?」

「いや……でもこれは申し訳ない……なんてお詫びしたらいいか……」


「そんなのいいって、それより映画始まっちゃうから、早く行こ?」

「映画?」


「そっ! やっぱりデートの定番と言えば映画だもんね~、丁度観たいのがあったからさ、あと30分で上映しちゃうから急いで急いで!」

「そ、そうか、それは悪い……」


 俺は既に人のいない車両から立ち上がり降車しようとしたのだが、その前に山中に腕をくっと掴まれると、そのまま引っ張られてしまった。


「お、おい……」

「へへへ、こういうのが大事だったりするよねー」

「えっ? ま、まあ、ど、どうだろうな……」


 うむ……いくら対人スキルが多少上がったとはいえ、やはり山中相手はどうにもやり辛い……やることなすことあまりにも自然なリア充過ぎる。


 黒芽先輩も川西も……まあちょっと個性的な面は否めないけども、それでも自然に話は出来ている気はするのだが、山中はそうもいかない。


 所作の1つ1つが自然に心を擽ってくるのだ、そりゃ男は堕ちて然るべきと言わざるを得ない。


 落ち着いて平静に……この行為に深い意味はないのだ……。


       ◯


「お、おおうふ……」


 観ることになった映画は、所謂とあるドラマの劇場版という奴であった。


 実際中々の高視聴率だったらしく、その人気はクラスでは話題の中心となる程であり、何なら蛍にさえ毎日熱弁されたお陰で大まかな内容を覚えてしまう程だった。


 確か記憶が正しければひとつ屋根の下で男女が偽装恋人的な、じれったくも甘く、笑える、そんな作品だったと思うが――今俺の目の前には妙な光景があった。


「何で濡れ場があるんだ……」


 制作陣が暴走したのかと言わんばかりの濃厚なラブシーン。


 しかもまあまあ長い、大人向けのビデオの如く自分の都合の良い所だけ飛ばしてみることも出来ず、加えて山中と観ていることもあって苦行でしかなかった。


 だが上映後の感想戦もある筈なので寝てたなんて言う訳にもいかず、俺は気を紛らわそうとドリンクホルダー手を掛けるが――肝心の飲み物が無い。


「あれ?」


 もしかして落したのかと慌てて周囲を見渡すと、ふと山中側のホルダーに紙コップがあるにも関わらず、彼女がジュースを飲んでいることに気づく。


 ……もしや、そういう事なのか……。


 しかしこれは仕方がない、ドリンクホルダーというのは両側に付いているもの、しかも映画を見ながらだと、どちらに置いたか忘れがちになるのだ。


 ましてやこのシーンにおいては山中も気を紛らわせたかったのだろう、同じ考えに至った彼女はうっかり俺のジュースを飲んでしまったと。


 ……ならば何も言わずにジュースは上げてしまおう、それが彼女の為というもの。


       ◯


「いやー……何か色々と凄かったね」

「そ、そうだな……」


 上映後、俺と山中は何とも言えない気持ちになっていた。


 ラブシーンは言うまでもないのだが、何というか、物語全般的にやけに派手な演出もプラスされていて、如何ともし難い仕上がりだったのである。


 俺はまだ作品に対して思い入れがないから良いにしても……リアルタイムで楽しんでいた山中は何とも渋い顔つきを見せる。


「……ま、まあでもね! 大事なのは内容がどうこうじゃなくて、二人の愛が変わらずそこにあったって事実が一番だと思うから!」

「成る程、良い事を言うな山中は」

「で、でしょ!」


 いやでも、あれは愛がどうこうで許されるものではない気が……、今頃ネット上が『どうしてこうなった』と阿鼻叫喚しているのが見なくても分かる。


 まあ当人が良ければそれでいいのだと、無理やり納得させていると山中がポンと手を叩いた。


「そういえばお昼も過ぎちゃってるし、気を取り直してランチにでもしよっか」

「気を取り直しちゃうのか」


「も~! 揚げ足を取らなくていいの!」

「悪い悪い――でも残念な気持ちなのも分からないでもないからさ」


「結構好きなドラマだったんだけどねー……でも今から行くお店はそんなの忘れるくらいオススメの所だから、今度は期待してもいいよ!」

「ほう、そりゃあ楽しみだ」


 とまあそんな訳で。


 居眠りといい、映画といい、中々幸先の悪いスタートではあったが、そこからは特にこれといって何も起こることはなかった。


 オススメの飲食店も小洒落た感じながら味も申し分なく、価格もリーズナブルで大変満足。


 その後は俺とはあまり縁のない店で服を見て回ったりしながら蛍のアドバイスを遺憾なく発揮させ、小腹が空けばタピオカミルクティーなるものを初めて飲んだりもした。


 正直な話山中の休日ともなれば、俺はついていけないのではと思っていたが、彼女の軽快なトーク術のお陰であまりグダグダとなるようなこともなく。


 一言でいうなれば、非常にリア充な体験をさせて貰った1日となった。


「ねえ三国くん、今日は楽しかった?」

「うん? ――そうだなぁ、時間を忘れるくらいには楽しかったよ」


「それは良かった――ただ本当はね、もっと色々考えてたんだけどさ、らしくないことをするのも駄目かと思っていつもの感じを意識したんだけど、ちょっと心配だったから」


「あー……全部任せっきりにして、そんな気持ちにさせたのは申し訳ないな」

「ううん、誘ったのは私だから。それにようやくちゃんとそれらしいことが出来たのは良かったなって――私も普通に楽しかったし」


 そう言って少しホッとした表情を見せた山中。


 俺も山中のペースに合わせるままだったので、彼女が楽しんでいなかったら申し訳ないと思っていただけに、そう言ってくれるのは助かるものがある。


 何にせよ……何事もなく終わったのは良かった。


「じゃあそろそろ帰るとするか、大分陽も落ちてきたし――」

「あ――ま、待って!」


 と、概ね及第点で終わりかけていた1日を、彼女の気恥ずかしそうな、もじもじとした表情がそれを寸前の所で引き留める。


 ――すると、彼女はこんなことを言い出すのだった。


「さ、最後にさ……あれ、乗ってみない……?」

「あれ?」


 彼女が指差した先にあったのは、大阪の北にあるファッションビルの屋上にあるものと言えばの代名詞である、観覧車だった。


「へっ? ふ、二人で……?」

「ほ、ほら! 一応これはデートだしさ! やっぱり締めとして乗っておくのも一興なんじゃないかと思ったんだけど――だ、駄目かな……?」


 いや駄目というか……そんな上目遣いで不安そうな顔をされてしまうとどう足掻いても断れる理由がない……。


 とはいえ相手は山中だ、普通にしていればそのまま一周して終わる筈……。


「そ、そうだな、仮にもデートなのに、乗らないのは……お、おかしいもんな」


「だ、だよね! 最後に都会のパノラマって奴を楽しんでやりましょうよ!」


 おー! と妙にハイテンションになった二人だったが。


 勢いでしてしまったこの判断が波乱を呼ぶことを、俺はまだ知る由もない。

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