第20話 言葉にして伝えるには

「面倒なことになった……と言ったほうがいいのでしょうか」


 最近昌芳くんとの距離が縮まったのは本当に嬉しいことで、このまま進めば一層昌芳くんに全てを捧げることが出来る――


 そう思っていたのですが、その度にいつも横やりが入ってきます。


 同級生面した女に図書室の女、あの二人は私が先んじて行動に出ても必ず何かしらの形で割って入ってくる。


 今日に関してもそう――本来ならあわよくば昌芳くんに身を捧げるつもりだったのに、結局この水着も台無しになってしまった。


「でも……昌芳くんが私のことを知りたいと言ってくれたのは嬉しかった……」


 無意識の内に胸に手を当て、目を瞑り心臓の高鳴りを確かめる。


 この鼓動は彼がいるからこそ私が存在している証明でもある、だって昌芳くんと一緒にいるだけで心臓が色んな音を奏でるのだから。


「はぁ……もっと昌芳くんと二人きりでお話がしたい……」


 私はそう独り言を呟くと、画面に表示された書きかけの文字の羅列を眺めながら、コップに注いだ無糖の珈琲に口をつけました。


「……それにしても妹さんですか」


 中々威勢の良いと言いますか、元気のある妹さんでした、勢いでぐいぐいと推し進めていく感じの――そこはあまり人のことを言えた義理ではありませんが。


「しかし、あそこで感情的になっても意味はありません」


 図書室の女やあの女への対応を一々気にする必要はない、いや寧ろ牽制をすべきとさえ思いますが、妹さんは昌芳くんと密接に繋がった家族です。


 彼の母親と良好な関係を築けている以上、妹さんの心象を悪くしてはいけない、重要なのは家族公認という枠組みを作ることです。


「別に昌芳くん以外はどうでもいいと言えばいいのですが、不用意な行動で付ける必要もない柵を増やされては困りますし」


 それに、勘違いに関しては謝罪をされましたし、私自身はさして気にしてはいなかったので印象としては上がっているとさえ言うべきでしょう。


「ただ……やはり面倒なことになってしまいました」


 正直妙ちくりんな勝負事はペリオの一件で終わりたかったのですが、どうやらまだもう少し相手をしなければいけない。


 勝負事、という程でもないのかもしれませんが……そんなことを頭の隅で考えながら私はカレンダーの日付を確認し溜息をつきます。


「仕方ないです。邪魔者を追い払う機会と捉えて、対策を練るしかないですね……――ん?」


 そんなことを思っていると、スマートフォンに着信が入りました。


 私のスマートフォンに登録されている人は基本的に数人しかいません、その中でも電話を掛けてくる人と言えば一人に限られます。


 私はスマートフォンを手に取ると、通話ボタンをタップしました。


「もしもし」

『上尾先生、いつもお世話になっています、服部(はっとり)です』

「お世話になっています、上尾です」


 電話の相手は私の書いた作品を本にして貰っている出版社の編集さん。


 因みにこの人は2代目の編集さんで、初代の方は私の処女作を発売したと同時に蒸発してしまいました。大変な業界という噂もありますが、それが原因かは分かりません。


『上尾先生、今お時間は大丈夫でしょうか?』

「はい、丁度休憩をしていた所なので、問題ありません」

『ありがとうございます。では2点ご報告がございまして、まずは上尾先生の最新作の方ですね、3度目の重版をかけることが決まりましたので発行部数は10万部を超えることになりそうです』

「そうですか、ありがとうございます」


 本来なら喜ぶべきタイミングなのでしょうが、私は淡々とした口調で返します。


 とはいえ処女作も、前作も同様にそれなりの売れ行きにはなりましたが、それに対して何も思うことはなかったので、これはいつもと同じ対応なのです。


 ただ、強いて言えばお金があればその分昌芳くんに色々としてあげることが出来る、その喜びを感じられたのは以前とは違う所。


 服部さんも私がそういう対応をするのは分かっているので、特に不思議がることなく簡単に報告を済ませると次の話へと入りました。


『それで2つ目になりますが――上尾先生の原稿ですね、読ませて頂きました』

「あ、そういえば送っていましたね」

『いや、私も驚いたのですけどね……何の前触れもなく新作が出来たと連絡があり、しかも本一冊分の原稿が送られて来たのですから』

「すいません、急にアイデア湧き上がってしまいまして」


 因みにその作品は約3日で書き終わったもの、まるでランナーズハイみたいな、そんな感覚で書けてしまったものなので、正直自分でも少し驚いています。


 本当は真っ先に昌芳くんに読んで貰いたかったけど……強く固辞されてしまったので結局編集さんに送ることに、残念です……。


『それで、読ませて頂いた感想ですが非常に良かったです、上尾先生の作品で何度泣かされたか分かりませんが、今回も不覚にも泣いてしまいました』

「勢いで書いてしまった部分もあったので多少心配はありましたが、そう感じて頂けたようでしたら良かったです」


 私の書く理想の世界を良い、と言って貰えるのは別に悪い気はしないので素直にそう言葉を口にする、だからと言って何も揺らぐ事はないのですが。


 しかし、その後に服部さんが口にした言葉は、少し意外なものでした。


『ただ……上尾先生、少し作風を変えられましたか?』

「え? ……いえ特に意図的に変えたといったことはないですが、何か良くなかった部分があったでしょうか?」

『ああいえいえ! 悪いとか良くないとか、そういう話では無いんです、寧ろお話自体は少し修正をするだけで全く問題ないのですが……』


 服部さんは少し困惑した声を上げたものの、最終的にこう言うのでした。


『以前はもっとこう、言葉にしなくても通じ合える、そんな男女の世界観だったのですが、今回は言葉の節々を大事にして、話すことで通じ合おうとする、そういうお話に感じたんです』


「言葉の――」


 そう服部さんに言われて、私ははっとしました。


 今書いている、雑誌に寄稿予定の短編も、私はいつになく迷っていました。


 どう言葉にするのが一番良いのか、何と言えば相手の心に響くのか、そんなことを日に日に考えてしまうようになっており、筆が進んでいなかったのです。


 どうしてそんなことを考えるようになったのか……多分それはきっと、理想の世界の住人に、私がもっと近づきたいと思っているから――


『好みが別れる場合も考えられますが、私は上尾先生の、そういう表現の仕方もとても好きです、誰かを理解するのに、やはり言葉は重要なファクターですから――因みに、お伺いしていませんでしたがこちらも書籍という方向で考えても宜しいでしょうか?』

「はい……それは勿論、こちらこそ宜しくお願い致します」

『ありがとうございます。ではまた指摘点等に関してはメールにてお送りさせて頂きます、夜分遅くに申し訳ありませんでした、失礼致します』


 そこで服部さんとの通話は終わりとなった。


「…………」


 静かになった部屋で、私は一人画面に映った文字を見つめる。


 ……もしかしたら彼に全てを捧げたいのであれば、このままではいけないのかもしれない。


 彼の側にいたいのであれば、多分行動だけじゃなく、もっと色んな言葉にしないと。


 そして――それをずっと、一生続けられる人間で、私はいないといけない。


 そう思いながら、スマートフォンに視線をずらした私は、ふとこう呟いているのでした。


「そういえば……昌芳くんの電話番号、私知らない……」

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