第9話 先輩は私が守ります

「最近……三国みくに先輩来ませんね……」


 と言ってもまだ一週間も経っていません、土日も挟んでいますし、それを考えれば先輩が来ていないのはそれ程おかしな話ではないのですが。


 私以外誰もいない図書室に、本のページをめくる音だけが静かに響きます。


「もっと、私から積極的にお話しにいった方がいいのでしょうか……」


 人と喋るのが苦手な私でも先輩とならお話が出来る、私から話し掛けたことだってありますし、それに先輩は嫌な顔もせず応えてくれます。


「……ですが、どういう話をすればいいのでしょう」


 一番効果的なのはやはり本の話をすること、先輩の知らない面白い本を紹介すれば先輩は絶対に読んでくれますし、内容についてもお話が出来ます。


 ただ……それは勿論とても楽しい時間なので続けていきたいですが、それだけで終わってしまうのは何だか嫌な気持ちがして……。


「日常であったありふれたお話とか……? でも私のお話なんて三国先輩は興味を持ってくれるでしょうか……」


 勉強だけは苦手ではありませんが、それ以外は全く得意ではありません。


「私の失敗談なんて、話しても面白くないでしょうし……」


 趣味と言っても殆どの時間を読書に費やすしかないので、堂々巡りと言いますか、結局自分にあるのは本だけなのだと思い、大きく溜息をついてしまいます。


「私って……全然魅力がないんですね……」


 己の情けなさが口から溢れてしまっていると、図書室の扉がガラリと開く。


 すると――――三国先輩が姿を現してくれたのでした。


「あ――三国先輩、お久しぶりです! って……先輩……?」

「お、おうす……か、川西……わ、悪いな最近来れなくて……」

「おうす……それはいいんですけど、先輩大丈夫ですか……?」


 以前お会いした時もあまり顔色は良くなかったのですが、今日は一段と体調が良くないように見えます、何だか少しやつれているようにも……。


「川西、本当に申し訳ないんだけど、少しだけ眠らせて貰ってもいいか……?」

「それは構わないですけど……それでしたら保健室に行かれた方が――」

「ほ、保健室は駄目だ……俺にはもうここしか……すー……」

「え? せ、先輩寝ちゃったんですか……?」


 フリースペースのいつもの位置に先輩は座り込むと、今までの中で一番とも言える速度で眠りについてしまいました。


「よっぽど疲れていたのでしょうか……」


 本当は上尾藍うえおあい先生のサイン入り本を下さった御礼に、オススメの本と、ちょっとしたお菓子を渡したかったのですが……。


 ですが目の下のクマがくっきりと浮き上がるまでに困憊している先輩を起こしてまで渡す訳にはいかないと思い、私は手に持っていた紙袋を床に置き直すと、代わりに冬場に使っている足掛けの毛布をカウンター下から引っ張り出す。


「綺麗に洗ってますし……ちょっと暑いかもしれませんが、無いよりは――」


 そう自分に言い聞かせると私は先輩の側に歩み寄り、少しでも視界が暗くなるよう、そっと背中から頭にかけて毛布をかけました。


「時間は……40分くらいは寝れるでしょうか、少しでも休まって頂けたらいいのですが――」


「失礼します」


 そう先輩の付近だけ電気を消した方がいいかなと考えていると。


 また図書室の扉が音を立てて開き、珍しく先輩以外の方がご丁寧に挨拶をして入ってきました。


 私は先輩の近くから離れると、その声の主の元へと駆け寄ります。


「はい、どうかなさいましたか?」


 来客者は、とても綺麗な方でした。


 切り揃えられた艷やかな髪色に凛とした雰囲気を纏う女性。


 ……しかし何処か儚げで、危うさも感じるその表情は、私の中で緊張を走らせ、気をつけろと警鐘を鳴らされた気がしました。


「…………」

「……?」


 おっかなびっくりながらも応対はしたつもりなのですが……何故かその方は私の方を見向きもせず、ただじっと図書室を見渡します。


 本を探しているにしては流石に遠過ぎる気が……と思いながら見ていると、その場から動かず周囲を見渡した彼女はこう呟きました。


「匂いは残っているんですが……」

「に、匂い……?」

「すいません、少しいいですか」

「は、はい! な、何でしょうか……?」


 私のことは見えていないのかと思っていただけに、突如その顔を私に向けて話し掛けて来た彼女に私はビックリしつつ反応します。


「このお昼休みの間に図書室には私を除いて何人の方が来ましたか?」

「えっ、ええと……ひ、一人ですが……」

「成る程、因みにまさよ――その方はもう帰られましたか?」

「――……?」


 どうしてこの人はそんな質問をするのだろう……? そんな疑問が先に浮かび上がっていた私はふとさっきの三国先輩の姿を思い出しました。


 まるで何かから逃げるように図書室にやって来て、明らかに体調が悪そうなのに『保健室は駄目』というあの言葉……。


 もしかしてこの方が関係しているのでしょうか……。


 私は返答をする前にほんの一瞬、目線だけを先輩の方に向けます。


 この位置からですと本棚に隠れて殆ど先輩は見えない、仮に見えたとしても頭まで毛布をかけているので恐らくすぐには分からない筈……です。


「? どうしたんですか?」

「ひっ! あ、あの――その方ならつい先程本を返却されて帰られました。ですが、それがどうか致しましたか?」

「そう…………いえ、それなら問題はないの、ごめんなさい、本を借りに来た訳でもないのに押しかけてしまって」

「そんな、私は全然……」

「お邪魔してしまったわね、失礼するわ」


 一方的に会話を進めていた彼女は、これまた一方的に会話を打ち切られてしまうと、綺麗な髪を靡かせ颯爽と図書室を後にするのでした。


「…………ふう」


 ……暫く沈黙の時間が流れ、廊下から足音が無くなった所で私は大きく息を吐きます。


「危機一髪……だったのでしょうか、何だか凄い雰囲気の人でした……」


 まるで小説の一部分を切り取ったかのような展開に、いつの間にか心臓の鼓動が早まっていた私は深呼吸をして気持ちを落ち着けます。


「それにしても先輩……あんな美人な方とお知り合いだったんですね……」


 最初こそ先輩を守りきった自分に少し誇らしさを覚えていたのですが、時間が経つにつれてふつふつと、モヤモヤとした感情が湧き上がってきました。


 先輩は悪い人ではない……それは間違いのないことです、しかし――


「図書室に来ない間、先輩は他の女性と――」


 そんな言葉がすすっと、寝ている座席の近くまで引き寄せてしまうと、先輩にかけた毛布の頭部分だけをめくってしまいます。


 現れた先輩の寝顔を見ると気持ちは更にモヤモヤと、けれど落ち着く感情も生まれてしまい、それらがみるみる内に混在し始め、ぐるぐると冷静な感情ではいられなくなり始めました。


「…………先輩の、匂い……」


 ――多分、それが原因で冷静な判断が出来なくなっていたのだと思います。


 私は後ろからそっと先輩の肩に触れると――首筋の匂いを嗅いでいました。


 そして――私は更に顔を近づけ――


「うわわっ!? な、何だ!? あ、雨!?」

「きゃあっ!!!?」

「ぬおおおっ!? ――って、か、川西か……? び、ビックリした……わ、悪い、も、もう時間か……?」

「あっ、い、いえ……そ、その……」


 自分でもどうしてそんな行動に走ったのか分からないまま、私は口元を手で抑えると必死で赤くなりそうな顔を隠します。


 ですが何とか言葉を絞り出そうと、私は先輩から少しだけ目を逸らすと。


「あ、あの……! せ、先輩の安眠は、私が守って見せますから!」


「は……ありがとう……ございます……?」


 舌に仄かに塩分を感じながら、精一杯そう誤魔化したのでした。

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