第7話 夢じゃありません

「これは……夢だ」


 俺は朝目が覚めると、開口一番にそう呟いた。


「でなければ最近の事象に説明がつかない、あまりにも深い眠りにつき過ぎていて、俺は夢の中で寝ては更にその夢の中で寝ているんだ」


 寝るということは俺にとって自分のやりたい事に当てるのと双璧を成す程に重要な時間に位置づけているのは紛れもない事実ではある。


 だがここまで寝たいとは思っていない、そろそろ起きていいんだぞ俺よ。


「それともあれか、俺は夢と現実の間にいるのか」


 俗に明晰夢と呼ばれる類とでも言うべきか、何でもその状態に陥ると全知全能の神の如く脳内世界で無双出来るようになると聞いたことはある。


 いずれにせよ、この二択以外に俺の現状を説明する手段は皆無だろう。


「何もしてねえのに女の子が寄ってくる訳があるまいし」


 大体モテ期ですら何らかの行動を起こすことによってようやくイベントが発生するのだ、だがそれに対して俺はマジで何もしていない。


 というか声を大にして言ってもいい、俺は寝ているだけだと。


「ふっ……しかし俺もヤキが回ったもんだな、クラスで人気の女の子にデートに誘われ、本が好きな後輩に時間になったら起こして貰い、果ては小説家の先輩を抱くときたか」


 どうやら潜在意識に相当モテたい願望があるらしい、ギャルゲーを嗜む身ではあるが、夢の中でその願望を叶えようとするとは終末はすぐそこなのか。


「ま……夢なら考えても仕方がないな、まだ覚醒する気配もないし、大人しくさっさと着替えて学校に向かうとしよう」


 夢の中まで登校時間に間に合うギリギリまで寝ているなんて笑えてくるが、俺はそれでもハンガーに掛かっている制服を手に取るとサクっと着替えを済ます。


「それにしても、デートとはな……」


 いや、正確に言えばデートとは言われていないのだが、女の子と二人で放課後遊びにいけばそれはもう必然的にデートである。


 まあ、相手は山中なので上手く話せる自信は皆無に等しいが――


「……ま、夢だし何とかなるだろ」


 断る理由がないというか、断りようのない雰囲気ではあった為、半ば押される形で了承してしまったのは否めないとはいえ。


 気の重いイベントではあっただけに夢だと思えば存外軽い気持ちで挑めそうであった。


「いってきまーす」


 家族は基本皆朝が早いので家には既に誰もいないが、俺は習慣的なものとしてそう挨拶をすると、鞄を背負い玄関の扉を開けた――


「おはようございます、昌芳まさよしくん」


 瞬間、玄関前に黒芽くろめ先輩が立っていた。


 ……エンカウントが早くないですかね……。


 そんなに無理してハードモードにしなくていいんだぞ、もっと夢の中くらいイージーモードにしたらどうだと俺は俺に注文を付けるが、目の前にいる黒芽先輩が消えて下さる様子はまるでなし。


 何なら目を逸らすという概念がないまでにしっかりと俺を見据えてくれると、朝から曇り空を吹き飛ばしてしまいそうな燦々とした笑みを全力投球してくれた。


「お、おはようございます……黒芽先輩……」

「あの、ごめんなさい昌芳くん……急に家に押しかけるなんて真似、失礼なのは分かっていたんですが……どうしても我慢出来なくて……」


 それ以前に何故俺の家を知っているのかという方が重要な気がするが、全て夢のせいだということにして無理やり納得する。それか匂いでバレたか。


「私、日に日に気持ちが抑えられなくなっているんです……どうしようもないくらい昌芳くんへの想いが止まらなくて……なので2時間前からずっと――」

「それは嬉しいですけど……え? 2時間?」

「はい、待っていました」


 平然と言ってるけど下手するとまだ太陽すら昇っていませんよね……?


 それはヤバいって……もうホラーの域にまで入っちゃってるから……。


「えっと、く、黒芽先輩……?」

「? 何でしょうか昌芳くん」

「その……そうしてくれるのは有り難いんですけど……2時間前はまだ俺も寝てますし……それに暗い内から女の子が一人で出歩くのは危ないと言いますか……」

「ま、昌芳くん……!」


 何なら下手すると補導されかねないので、やんわり遠回しに伝えたつもりだったのだが、何故か彼女は両手で口を抑えると頬を赤く染め始める。


「優しい……私のことそんなに気遣ってくれるなんて……」

「いや……それくらい普通というか、いやそうじゃなくて――」

「やっぱり昌芳くんになら全てを捧げても……いえ、私の全てを捧げさせて下さい!」

「だから色々と飛躍し過ぎですって! 落ち着いて下さい!」


 家族が誰もいないから良かったものの、こんな所目撃されようものなら家族会議イベントが無条件で用意される羽目になってしまう。


 しかし、どうやら自分で行き過ぎたと気づいたのか、彼女ははっとした顔になると、ようやく少し申し訳なさそうな表情を見せた。


「あ――ご、ごめんなさい……そうですよね……ちゃんと日が昇ってからにしますね……」


 そこでシュンとされてしまうと妙な罪悪感を覚えてしまうのだが、こればっかりは……いや、家には来るのかという話ではあるけども。


 やはり、山中とは違う意味で会話のし辛い相手である――いや狂気を感じない分もしかしたら山中の方がやりやすい気さえするが。


 いずれにせよ、彼女に対しては言葉を慎重に選ばなければならない、油断すると即座に加速装置を使ってくるし……。


 その内、部屋どころかベッドにまで侵入されるんじゃなかろうか。


「と、兎に角、俺がこんなことをいうのおかしいですが、落ち着いて進めていきませんか? 急いだって良いことは何もありませんから」

「わ、分かりました――じゃ、じゃあまずはその……一緒に登校しても……いいですか……?」


 おずおずと言った感じでそう言ってくる彼女。


 まあ……登校くらいで何かハプニングが起こることはないだろうし、それなら多分大丈夫だろう。それに何より、ここまで来て彼女を追い返すような真似は流石に俺もしたくはない。


「こちらこそ家まで来て下さっているのに、それを断る理由はないですよ」

「……! ありがとう昌芳くん……!」


 なので俺はそう答えると、黒芽先輩はぱあっと明るい表情に戻ってくれた。


「では行きましょうか昌芳くん」

「そうですね――って黒芽先輩、ち、近――」


 ほぼゼロ距離まで寄って来た彼女は、俺の横ぴたりと並ぶと学校に向かって歩き始める。


 ううむ……嬉しい状況ではあるけど……絶対に目立つよなこれ……。


 でもああ言った以上無理に引き離す訳にもいかないし……取り敢えず生徒からの視線は我慢しながら歩くしかないのか……。


 そう思うとまだ学校に着いていないというのに、既にとんでもない疲労感に襲われてしまう。


「そういえば私、また新作を一本書き上げたんです」

「え? 新刊とは別に……ですか?」

「はい、昌芳くんに私の作品で幸せにして欲しいって言われたので――気づけば一切筆が止まることなく書き上げることが出来ました」


 確かにそうは言ったけど……新作ってまだ発売して数日しか経ってない……よな?


 小説を書くってのがどれだけ時間のかかることなのか俺には分からないが、しかしあれだけの文量を数日で書き上げるって出来るのか……?


「まだ編集さんにも見せていない原稿なのですが、今までで一番上手く書けた気がするので――あの……最初は昌芳くんに読んで欲しくって――」

「え! そ、そんな悪いですよ。あくまで俺は一読者として楽しませて貰っているんですから、本になるまで待ちますから」

「いえ! 私は絶対に最初は昌芳くんに読んで欲しいんです! だってこの作品は貴方を想って書いたものなんですから……」


 そんな壮大な恋文みたいな……。


 そりゃ俺だって上尾藍先生の新作というのであれば真っ先に読んでみたい気持ちはある、というより彼女のファンなら誰だって読みたいだろう。


 だからこそ、その権利を誰よりも先に得てしまうのは狡い気がするのだ。


 困ったな、どう返事をしたらいいんだ……と迷っていると――


 背後から、何の前触れもなく破滅へ序曲が流れたのであった。


「あれ? 三国くんじゃん! おは…………よ……?」

「や、やまな……か……?」

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