第4話 無慈悲



「じゃあ、行ってくる!」


「行ってらっしゃい」

 

 少年の元気な声が家に響き渡る。あれから五年の月日が流れ、彼は十歳になっている。

 いつも通りの会話、いつもと変わらない風景。だが、母親と父親は不安な顔を浮かべていた。少年は気づかないが。


「ちょっと待って」


「なに?」


 少年が母親の方を向くと、母親は子供を強く抱きしめた。


「行ってらっしゃい」


「い、行ってきます」


 少年は少し、驚きながら応える。

 父親も、頭を撫でて、


「行ってこい」


 と、一言だけ発したのだった。

 少し困惑しながら、玄関を出ていつも通り、元気よく森へと走って行ってしまった。


「……」


 少年が家から出た後、二人は沈黙を貫いたのだった。

 今日の空は濃い青色に染められていた。







「ただいま!」


 空の色が橙色に染まる頃に、少年は森から出てきた。いつも通りの時間。だが、少し陽が落ちるのが早い。

 何故だろうと少年は考えるが、分からなかった。空は既に黒色に染まりかけている。

 日常の不思議に少年は、好奇心を抱いた。


「後でお父さんに教えてもらうとするか」


 家の前に到着すると真っ先に、衣服の汚れがないかを確認する。前に母親にとても心配されてから気にかけるようになったのだ。


「背中も汚れてない。よし!」


 玄関を開けようとするが、一つやり忘れた事を思い出す。


「花に水やりしないといけなかった!」


 彼の毎日の日課だった。

 母親と一緒に植えた、二輪の青色の花。名前を忘れてしまっているようだが春頃に花をつけると母親に教わった。

 桶に水を入れて、それを柄杓で掬い乾いた土にしっかりとかける。土を触るとしっかりと湿っており、完璧だ。

 水やりを終え、玄関を開けると母親が夜ご飯を作っているのが見える……いつもならそうだった。


 母親の姿は見当たらない。


「どこか出かけたんだよな、多分」


 出かけているなら父親がいるはずだ、と思い父親の部屋に向かう。

 仕事机に、趣味の本が置かれている本棚が絡んでいる部屋だが、そこには静寂が流れている。

 

 父親もいないのだ。


「すぐ帰ってくると思うし、ペンダントに効果を付与する練習するか!」


 自分の部屋に行き、透き通った魔鉱石を持って魔力を魔鉱石に流す。


「自動回復は付与したし、幸運でもつけておくか」


 数十秒間、魔力を流し込むと少年は、ペンダントを眺める。白く輝き始めた。


「よし、成功だ!」


 自分の部屋で一人で喜んでいると、玄関の扉をコンコンと叩く音が聞こえる。


「あ、帰ってきた!」


 そう思い、玄関へ急いで向かって、扉を開ける。父親と母親がいるはずであった。

 だが、扉の前にいるのは白いマントを羽織った男だけであった。


「誰…ですか?」


「突然訪ねてすまない。急用があってだな」


「急用、ですか」


「私は君の両親の友人だ」


「そうなんですね」


「その……大変言いにくいのだが」


 少年は何故そんな悲しい顔をするのか、分からず困惑していた。

 男は少し低い声でこう言った。


「君のお父さんとお母さんが、馬車の事故に巻き込まれて、亡くなってしまったんだ」


 と。


「え……?」


 少年は男が何を言っているのか分からなかった。父親と母親の家はここにある。少年とともにここにあるのだ。


「ほんとう……なんですか……?」


「……」


 男は目を閉じて、黙っていた。その沈黙は肯定を表しているのだと、少年は理解した。 身体に力が入らない。

 その場に崩れ落ちた少年の頬を伝って、涙が一滴、二滴と零れ落ちる。

 もうこの世には、父親と母親は居なくなってしまった。もう二度と会えなくなったのだ。

 水をやった二輪の青い花が風に吹かれ、揺れている。

 大声を出して泣きたい。感情は爆発していた。だが、声は出ない。それほど、大きな衝撃を受けてしまったのだ。

 少年は真っ暗な闇の中へと、投げ込まれていた。何が悪いのか、自分が悪いのか、何もかもがわからなかった。

 自分を責め続け、何が変わるというのか。

 彼は無知のままで、ただの子供だった。力を  持たないただの子供。弱者の一部なのだ。

 いつか人は死ぬ。だが、不本意な死に方をした者が多くいるこの世界では、いつも通りと言っても過言ではない。

 小さな子供に受け止めきれる事ではない。その小さな器は亀裂が入り破裂しそうだった。

 涙は今もずっと零れ落ちていた。


 ──今日の夜は、長く抜け出せない様な気がした。


 ──もうこんな世界……。


 その眼をそっと閉じる。彼の意識はこの世界から消える様にゆっくりと、無くなっていった。


「可哀想な子だ」


 そう言った男は、少年を抱き抱えて彼の部屋の中に入り、ベッドの上にそっと乗せた。


 ──机の上に乗ったペンダントは、白く輝きを放っていた。






「どうした?」


 初めて父親の読書している姿を見た時だった。仕事机に座って読んでいる父親。


「本を読むのって楽しい?」


 本を読むのをやめ、今まで読んでいたページに紙を挟んで、本を閉じた。


「ああ、楽しいぞ」


 手に持っている本はなんだろうか。『勇者と奴隷少女』と言う題名だった。

 少年は少し、父親が変だと思ってしまった。


「それ、本当に楽しい? 変な事考えたりしてない?」


 少し、警戒するように少年は言った。


「何を言っているんだ。これは面白いぞ」


 少年が何を考えているか、父親は分からなかったが自分の評判が下がるのは困るらしく、真正面から否定してきた。

 もっとも、少年が勘違いをしているかしれないが。


「どんな物語なの?」


「魔王を倒すために、現れた勇者は旅の途中で貴族が使役していた少女を取り上げて、一緒に旅をするって言う話だ」


 難しそうにも思えない物語。だが、どんな風に物語が進行していくのか、見てみたい。

 そう思った少年は、父親にお願いをした。


「読んでみたい!」


「じゃあ、読み終わったら貸してやろう」


 無邪気に笑う少年。


「やった!」


 どんな物語なのか、想像しながら少年はその一日を過ごし、父親は少年に本を渡した。

 この日初めて、本を読んだ。


 ──本当に大好きな物語の本。


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