第2話 お礼?

 朝起きてから、俺はまだ布団の中にいる。二度寝をしている訳では無く、ただ出られないだけだった。


 その原因は、枕元にいる彼女だ。二十歳ぐらいの長い髪をした綺麗な女性が、薄絹一枚だけを纏って正座している状況で、どうすべきか悩むのはしょうもない事だ。


 このまま、布団に入って頂いて寝屋を共にするなら、それはそれで有りかもしれないが、憑依とか怖いことを言っていたので、ご遠慮しておきたい。


 とは言っても、ずっとこのままでいる訳にも

いかないので、物事を進めなくてはいけない。


「あの、ラルカさんは一族の末裔の蝉を助けた俺にお礼をしに来た、で合っています?」


「はい、わらわは殿に恩を返したくて参上致しました。何なりとお申し付け下さいませ」


「それでしたら、俺は気にしませんので、戻って頂いて構いませんよ」


 丁寧にお断りしておけば問題ないだろう。食い下がって来るかと思ったら、


「そうですか、無理強いしてしまう気はないので、気が向いたらお声掛けください。あの娘が成虫でいる間は、あなた様の側に居られますので」


と言うと、姿が見えなくなってしまった。書き消す、と言うと言葉が頭に浮かぶ光景だった。


 これで、一段落、いや、何かあったら声をかけろ、と言っていた。つまり、まだ、憑依されている、と言うわけだ。まあ実害が無ければ良いだろう、少し遅くなってしまったが起床となる。


 朝からバタついたが、会社には行かなければならない。仕度をして部屋を出る。外は快晴で、既にかなり暑くなっている。この鳴いている蝉の中に昨日の晩に助けた蝉が居るのかもしれないが、ここだけでも何匹鳴いているか想像もつかない。


 駅までの道筋を、蝉の大合唱に送られている様な気がする。


 いつもの時間、いつもの列車、そしていつもの車輌、そして定番の位置に付く。


 そう、そこは俺の特等席。次の駅から乗って来る彼女がよく見える場所。名前も知らないが、良い感じたなっと思って、出勤時間を同じにし、束の間の、そして一方通行の会瀬を楽しんでいる。


 長い髪に、少し高めの背をしているけれど、真っ直ぐな立ち姿が美しい。そう、それを見ているだけ、が俺のポジションだった。


『殿はあのおなごに気があるのか?』


 突然、頭の中に声が響くなどという、普通あり得ない事が起これば、周りを見回すのは自然な反応だが、何処にもそれらしき姿はなかった。


『もしかして、ラルカ?』


『はい、殿のご希望がなくても、何かお助けは出来ると思い』


 声に出さずに会話をしているが、なんかぶつぶつ言ってしまう。


『殿、想いを告げてまぐわえばよろしいのでは?』


 朝から何を言っているんだ、この蝉は。そんなこと考えたら、意識しちゃうじゃないか。


『そんなのじゃなくて』


と頭のなかで返したら、電車の君がビクッとしていた。


『あれ、何か…』


『誰なの、私の頭のなかで喋っているのは』


 頭のなかで彼女の声が聞こえた。まだ聞いたことは無いけれど、絶対にそうだ。


『あ、あのー聞こえていますか、何故か突然繋がってしまった様なのですが』


『「え!」』


 彼女は、声に出してしまって、慌てて口を押さえている。そして、扉の方に顔を向けて、


『あなたは誰なの』


『俺は…、そう振り向いてくれれば、右手を振るから』


 彼女は言われてから、恐る恐ると振り向いた。その目の先には、右手を振っている間抜けな俺が見えた事だろう。


『あなた、この接続か通信か判らないもの切りなさいよ』


『出来れば、俺もそうしたいんだけど、突然繋がってしまって訳が解らないんだ』


『もう、なんて…』


と言ったきり、扉側を向いてしまった。話し掛けづらい、これは拒絶の姿勢だ。途方にくれたいのはこっちもなんだが、


『ラルカ、蝉の恩返しは良いから、元に戻して』


 この事は、彼女にも届いただろうが、状況改善のためだ、構わず続けようとしたら、


『あなたも、蝉に関係があるの?』


 思わぬ問が彼女から帰って来た。

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