氷室のブルース
星染
氷室のブルース
「わたしのことも、誰かのことも、まったく平等に傷つけることができるような人間でした。ガードレールに凭れ掛かって、猫が空を飛ぶ夢を見ていました。亀が車に轢かれていくのを、ずっと眺めていました。素敵な夜、でした」
病室の窓の外側を、氷がずるずる滑っていく。冷気だけが伝わってくるようで、わたしは起こしていた体を布団にうずめた。毛布の中で、右手で左腕を、左手で右腕を掻き抱く。雪が降っている。冷蔵庫みたいな病室、何回目かわからない冬。ずっと、冬は夏の終わりだと思っていた。夏と夏の間の季節、だから世界には夏しかないんだ。馬鹿げたお伽噺を、ひとつひとつ作っていく。お菓子をラッピングするみたいに、飾り付けていく。明日か明後日か、よく分からないけど、夏になったら楓くんに聴かせてあげるための話。
泣きそうな時、死にたい時、わたしは楓くんにあげるお伽噺を考える。くだらない、独り言みたいな痴呆めいた話を楓くんは傍らで黙って聴いてくれる。続きは、と訊いてくれる。絵が描けなくても、わたしには言葉がある。なによりの虚構を、わたしは私の周りに溢れ返らせていく。もうそれが生きているようなもので、生命活動のようなもので、わたしの全てだった。
寝た姿勢のまま、わたしはノートを開いて、意味の無い言葉を書くためにまた鉛筆を手に取った。散文ともとれない、からっぽの羅列。苦しいのを誤魔化すためだけの、私のためだけの話。病室の温度は下がっていく。空調がきいていても、わたしにそんなことは関係がなかった。傍にいるべき人、傍にいて欲しい人が居るか居ないかのそれだけが、わたしの生死をきっと、左右している。
楽しくなかった。楓くんの背中に突き立てた指も、嘘も、ぜんぶ、綺麗な思い出になってしまうのが許せない。
無力すぎて死んでしまいたかった。ピアノの音がする。君が泣いている。
エキストラみたいな格好をしていつまで生きていればいい? ねぇ、いなくてもいいならいなくなってもいい? 世界ってそういうもんでしょ? 冷蔵庫みたいなものなんでしょ?
返事をしてよ。楓くん! 私には君しかいない。夏の死にそうな湿度にも、融けそうな林檎にも、知らないあいだに君がいるよ。私、もうすぐ、居なくなるかもしれない。
夏が大嫌いだった。私を窓ごとじりじり焼くような、悪意のある温度をいつも持っていた。冷えればいいのに。夏に雪が降るところに生まれたかったよ、本当に。って、ずっと思っていた。
けど、楓くんは夏だけにあらわれた。ファンタジーな抽象的なものではなくて、単純に、夏にしか来てくれなかった。私の苦し紛れの、泣きそうなのを紛らわすためだけのくだらない話を聞いてくれるのは楓くんだけだった。だから、私はどれほど死にそうでも夏を生きなくちゃならなかった。楓くんに、そうしないと会えなかったから。
死にそうだよ。助けて楓くん。私の絵を、描いてよ。敬具。
氷室のブルース 星染 @v__veronic
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