5
山之内部長に呼ばれた。私は山之内部長のデスクまで席を立ち、近づく。どうやら私の業務が一息ついたのを見計らって呼ばれたようだ。
「なんでしょうか」
「これをお願いできるか」
「わかりました」
一冊のファイルを手渡された。ファイルの表題はなく、書類のデータベースをまとめるだけの仕事かと思い、ファイルの中身を確認しようと開こうとした。すると、山之内部長がファイルにそっと手を添えた。
「できれば、“今日中に”頼む」
“ここで開いて見るな”と言われたような気がした。開こうとしたファイルを閉じた。山之内部長の視線が少しだけ黒田主任と滝沢さんに向いた。
「わかりました」
ファイルを持ち、デスクに座る。ファイルはその場で開かず、別の書類を上にして隠すようにした。
就業時間三十分前となり、黒田主任と滝沢さんは「待ってました」と言わんばかりに早々と席を立ち、更衣室に一緒に向かっていった。公言はしていないものの、二人が恋仲であることは誰もが知っていた。だが、部署内だけに限らず、会社でも悪評高い二人に誰も聞くことはなく、誰も深くかかわろうとはしない。
その隙を見て、私はファイルを目の前に置き、ゆっくりと開いた。一枚目のページは白紙。そこから一枚めくると、ある人の個人情報が書かれていた。
まだ、デスクに残っている山之内部長を見た。部長は、私が見たことを確認したようで、首を縦にうなずく。
始めは驚いた。しかし、この情報を持っていけば、頼まれていた佐藤さんの力になるかもしれない。
私がチャンスを狙っていたのを感づいていたのか、佐藤さんの協力者であることも、ばれていたのかと焦る。
でも、なぜ部長が…。
「こいつを、助けてやってくれ。あと、俺は“何もかかわっていない”ことにしてくれ」
肩を軽く叩かれ、部長はそのままデスクを後にした。
部署内には私しかいない。山之内部長が居なくなったところでファイルの資料を一枚ずつコピーした。
私がしていることは情報漏洩そのもの。ましてや各種資料には赤丸で“秘”と書かれているものばかり。
個人情報以外にも、信じがたい情報が書かれているものもあった。私は咄嗟の判断でコピーを優先する行動をとった。周りには数人しか従業員がいない。共用のコピー機で大量に印刷していることを怪しまれないように、周囲に気を配りながら行動に移した。
全部で三十部ほど。コピーした用紙をクリップにとじ、クリアファイルに入れて鞄にそっと入れた。ファイルは、山之内部長がファイル内に入れてくれた、部長のデスクの鍵を使い、鍵を開けてしまって再度引き出しの鍵をかけた。そのカギを、私は自分のデスクの空いた引き出しに入れ、スマートフォンのメールで山之内部長にメッセージを送り、自分のデスクで鍵を預かっていることを伝えた。
そして、平静を装い退社する準備をするためにデスクの周りを片付け始めた。
「風間ちゃーん!」
「わわわわわわわわわあ」
「えっ?!そんな驚いた?」
山田の野郎。
タイミングが悪いんだよ。
「…とりあえず帰っぞ」
「あら、お誘いかしら?」
「いいから!」
自分の鞄を持ち、山田の腕をがっちりとつかんで早々に部署を後にした。今すぐにここを離れたい。なんとなくだけど、そんな気がして。
「俺…今日いい夢見れそう」
「くっだんねえこと言ってねえでさっさと歩け!」
何故使えない山田を連れて行こうとしたのかはわからないが、とりあえず一人でいてはいけない気がした。不安だったのかもしれない。自分が会社にとって“いいこと”をしているのか、それとも“悪いこと”をしているのかさえ、わからなくなっていた。
更衣室の前に着き、山田に早く荷物を取りに行くように言った。山田は「了解した~」とのんきに返事をして更衣室に入っていく。私も、女子更衣室に向かう。
扉を開ける。すると、そこには定時で帰ったはずの滝沢さんがいた。
「あんた、なんか隠してるでしょ」
「なっ…」
腕を組み、いかにも悪いことを考えているかのような顔つきをしている。
「何も…隠し事なんて」
「さっき部長に渡されてたの、あれ何?」
「あの…マニュアルです」
咄嗟に出たのはマニュアルという言葉。
「マニュアル?」
「…はい。というか、今日急いでいるので…失礼します」
「ちょっと!」
自分の荷物をロッカーから出し、早歩きで出て行った。そしてドアを開けると、不運にもそこで待っているのは山田ではなく、黒田主任だった。
「おお!俺の誘いを無視して今日は何の隠し事をしに行くのかな~?」
いたずらっぽく笑う黒田主任。だが、目が笑っていない。
左肩にかけている、あの資料が入った手提げ鞄だけは、渡してはいけない。
考えろ風間。落ち着け佑月。しっかりしろ自分…。
黒田主任が目の前から離れてくれない。圧力をひしひしと感じる。後ろで滝沢さんが退路を防ぐようにして立っている。
耐えろ、耐えて、耐えきって。
紅谷さん…。
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