鉄の扉を開け...

金田もす

第1話

「鉄の扉を開け...なんかダサいな」石田は面倒くさそうにコメントした。「お前が誘ったんだろ」傍らの飯島。20代も半ばになった、今では立派なサラリーマンの2人は、海外進出したメタルバンドの日本語歌詞について、アレコレいいあっている。夏の名残がのこる山の手の端。上野山では蜩が鳴いているだろうか。

いまさら高校の軽音楽部の同窓会なんて、といったところだが、そこそこの大学を出てそれなりの大会社に就職した石田にとって、なんとなく手馴れてきた社会人生活にも飽きてきたころだった。これまでに何度かあった誘いだが、今回は受けることにした。

問題はその同窓会、なにせ軽音楽部のイベントだけあって、参加者は必ず、ステージに立たなければならない。そして石田は件のカバー曲をプレイすることにし、飯島を誘った。


石田はボーカル、飯島はドラム。年頃の男子はおおむね、女子にもてたいという理由でさまざまな活動に精を出す。そのよこしまさをさわやかな汗汁でぬぐい、母校の誇りを胸にスポーツ活動に、また、たんに、かけっこを早く走る程度の意味しかない試験勉強に身を賭す。

2人の場合は、同年代のだれよりもストレートでわかりやすく、バンドという、効率のよい手段を選んだ。とはいえ、ともに、楽器なんてピアニカとリコーダーくらいしかやったことがなく、楽器屋に貼られたメンバー募集のフライヤーの番号に電話する度胸もなく、軽音楽部に入部した。そして石田は、楽器を買わなくてよく、いちばんもてそうなボーカルを選び、なにかと人に流されがちな飯島はメタリカ好きの先輩からドラムに任命された。

以降、どちらかといえばポップな音楽が好きな飯島は日々ツインペダルをふまさせられ、石田はメタリカ好きの先輩の彼女である同級生のバンドで男なのに木村カエラを歌わされることになった。

そもそも2人は高校時代一緒に演奏した経験はない。学年が同じで20人にも満たないこじんまりとした部活だったため、顔は知っていたのだが、話すことすらまれな間柄だった。2人が2年生になったばかりの進入部員歓迎コンパの際、常磐線の窓ガラスを蹴り割って飯島が部活をやめて以来、学校であっても口をきくこともなかった。


「つうかなんで俺なの?」

「他にいないだろ、メタルっぽいのやれるの」

結局、電車のガラスを割らなかった石田は18歳の冬に開催された軽音楽部恒例、卒業記念ライブまで一貫して、ガールズポップを歌い上げた。やりたくもないジャンルの音楽をやらされる辛さは飯島にもわかる。

「だったら英詞歌えよ、スピードラーニングとかやって」

「英語がしゃべれないわけじゃない、うちは外資系中堅広告代理店だぜ」

けれど音楽は自分の言葉で奏でたいらしい。


上野公園入り口のマクドナルド。飯島は他校の生徒と組んだバンド練習の反省会で屯し、石田は裏手にある成年映画館の常連だった。3階の窓際席からはあのころとかわらず、信号が変わるたび、人いきれが通りを渡るのがみてとれる。

「この通りはその昔、西郷どんがアームストロング砲を撃ちまくって江戸幕府の落ち武者を皆殺しにしたところだ」飯島は国立大学の史学科を卒業後、百科事典の訪問販売をやっている。

「西郷どんの足元のビルが、ずいぶん小奇麗になったくらいで、あんまりかわらねえな、このあたり」

「たしかあのビルにはエロビデオ屋とかあったな、あと聞いたことがないような店舗名の百均が入っていた、そこで買ったマジックハンド...グリップがついていて握ると先っぽの手のひらが結んで開いて、するやつ...でライブ中、客のおっぱい揉んで、スドウにぶん殴られた、ライブ中なのに」

スドウとは石田バンドの女子ギターリストの彼氏、つまり飯島にメタルを仕込んだ先輩。

「あいつも来るんだろ」

「らしいな、なんにも演奏はしないらしいが」

「ミヨコは?」

スドウの元彼女、つまり石田バンドのギターだった女子。

「知らん、興味ない」

「たしか美容師さんになったんだよな、スドウと別れて」

「だから興味ないって」

ずいぶんわかりやすいテンションだなあと思ったが、結局のところ会いたいのか会いたくないのか、わからないので詰問すると、しどろもどろになる石田。

「そんなんでステージで歌えんのか、やっぱり英語にしたほうが...」

なんとなくごまかしがきくだろうし、外資系ならさぞかし英語もうまく、どや顔できるだろう、と助言したが石田は頑なに拒絶した。どうしても「鉄の扉...」と歌いたいらしい。


その後、ガード下の「宇奈とと」で鰻丼を食い、マルイの楽器屋でスコアを探したが見つからず、その日は解散した。

後日、飯島がebayで落札、テルアビブから送られてきたスコアのコピーを石田に送った。石田はサポートに入る、ベース、ギターの後輩へ転送。同窓会まで3週間と迫った8月の終わり、ぎりぎり東京都なスタジオに集まりリハーサルをおこなうことにした。


当日、石田は大量のたこ焼きをぶら下げてあらわれた。駅前の込み入った場所に昭和的にお値打ちなたこ焼きやがあるらしい。

「そこのおかみさんがセイコに似てんだよ」

「沢口?」

「それはヤスコだろ、マツダだよ」

「ああ、せいこちゃんね」

結局現れなかった後輩たちがいれば話題についてこれず引かれていただろう。いや来ないからそんな話題になるのか。

「本番は来るんだろうな」

「たぶん、スドウさんにも念押ししてもらうよ」

しかたなく、その日は2人で練習することにした。


はたらきかた改革であてがわれた長い帰宅時間を割き、会社近くのウタヒロ新宿2丁目店で1日2時間は歌ったという石田はさすがにうまかった。歌いながら、大量のたこ焼きをやっつけもしたのだが、パチンコ店に出入りする常連さんを虜にするコクと酸味のあるソースをまとったノドを鳴らし、歌えば歌うほど、渋みをましていった。

一方の飯島。大学入学以来、スティックを握ったこともないだけあり、ずいぶんひどい。ウマイ・ヘタ以前に1曲通して叩きつづける体力がなかった。

「とりあえず、楽な叩きかたして、1曲もたせるようにしてみろよ」

「すまん、でも、これ以上、単調になると、間延びしてリズムがキープできないんだ」

おおよそ人がおのおののリズムを保つために、ある程度の負荷は必要なのだという。この場におよんで人の一般性をひっぱってくる必要があるのだろうか。


予約を入れていた2時間が終了する最後の通し練習でなんとか、エンディングまで叩ききることができた。しかし、ほとんどリズムを刻んでいるだけで、また、youtubeで見る限り、実際の演奏よりもずいぶんスローペース。

本番まであと2週間。今回予定しているのは、あと2曲あるのだが、その2曲についてはキャンセルしてもらい、この1曲のみの演奏としてもらうことにした。

その旨、伝えるため、石田は今回同窓会の世話人であるスドウに電話する。コール中、ちらちらと飯島に目配せをし、つながった後には、右手に持ったスマートフォンに左手を添え、やたら頭を上下している。

みていられなくなった飯島はスタジオを出たところにある喫煙所でロスマンズを燻らせ、初秋の趣をたたえた葛飾の空を見上げる。残り2曲を免除してもらったところで、1曲仕上げるだけでも大変。とにかく息が続かないので、禁煙でもしようかと思い立った矢先、石田が出てきてタバコを所望した。


「やっぱだめらしい、スドウキレてたよ、だいたい途中退部した、お前が来ること自体が気に食わないらしい」いまさらながらだが顔をしかめる飯島。

「でもまあ、音楽なんてやっちまえば勝ちなんだから、すっとぼけて、やんなきゃいいだろ、やんないことをやっちまう、って了見さ」そもそも、部活の呪縛から解き放たれている飯島は気楽なのだ。

いちおう、練習はするものの、最悪ジャパニーズヘビメタバンドの日本詞楽曲だけ、で腹を据えた。とはいえスドウにばれると面倒で敵をだますには味方から...というわけではないが2人のサポート後輩にはそのことは伝えないことにした。それにしても彼らは当日ちゃんとやってくるのだろうか。


本番まであと6日となった月曜日、石田はいつものように仕事先である外資系中堅広告代理店本社ビルへと出勤する。自宅マンションがある大森海岸から京浜東北線にのりこみ事務所のある新橋までおよそ20分。結婚して子供でもできれば通勤するには最悪で、生活・子育てするには、いいのか悪いのかよくわからない、ちゅうとはんぱな郊外で暮らすことを考えると夢のような生活。

おそらく神奈川県の、下手すれば相模川の向こう岸から、やってきているかもしれない年配サラリーマンたちの表情は週末ですら暗いのに、月曜日になると、死んだ魚ですら彼らより活き活きした目をしているようだ。


電通通りにある古めかしくこじんまりとした自社ビル。間口が狭すぎるため玄関から入り、いつものように受付嬢に挨拶する。今日の早番は入社2年目の早坂みのり。ダークブルーのシンプルで小またが切れ上がった自前スーツを着こなし、デスクに目を落としている。

スケジュールを確認しているのだろうか、声をかけても、顔すらあげない。

「最近やけに愛想がなくなってきた」

入社3年目である石田にしては後輩になり、入社したての早坂みのりを知っているが、1年目はだれにでも明るく微笑みかける、古きよき時代のTHE受付嬢という感じだった。


「そりゃあ女子はかわるもんさ、でなきゃやっていけないだろうし、そんな雰囲気にしてしまったのは野郎の責任だろうから、しかたないことなんだろ」

1つ上の先輩社員はいったが、石田がみるかぎり、彼女はごく少数の人々に対しては変わらず素敵に微笑んでいる。愛想よく、というより以前以上に微笑みかけているようにみえた。

「そりゃあそうだよ、おれたちみたいに、へんぺんたる平社員にいちいち裂く余分な好意の持ち合わせはないのさ、その価値が有限であり、やがて枯れ行くものだというのをわかっているし、だからこそ、意識的に無意識に、効率よく微笑むのさ」

「でもなんかせつないですね」

「彼女たちの特定の人々に発せられた微笑がまわりまわって俺たちにオコボレをもたらしているかも知れん」

「そんなもんですかね」

「すくなくともおかげで世界はすこしずつよくなっている」と先輩はいったが、だからなんだというんだ。石田が夢中なのは石田の世界であって、世界平和とか平和な世界、なんてのはどうでもいい。


「そんなに気になるのなら誘ってみればいいじゃないか」

飯島はいった。都内のライブハウスを借りた同窓会はチケットを売り出す会費制で、当人の家族や恋人など呼ぶことができた。

そういう飯島も百科事典販売会社の女子を誘った。本命は、製作部、つまり百科事典を作っている部署の地味だが、おとなしく、涼しい季節がやってきてもうすいブルーのカーディガンが似合うほっそりとした女子だった。

しかし、実際話に乗ってきたのは、営業補助といわれる部署で戸別訪問のアポイント電話を入れまくる女子たち。彼女たちは、なぜかそろってふくよかで、表情があかるく、かつ職業がらなのか、声だけは魅力的で、皆喫煙者だった。

飯島はその部署の女性数人から来場の確約をとり、製作部のほっそり女子にも声をかけた。


早坂みのりに声ががけができない石田ではあったが、同窓会が3日前にせまったある日、事情を話した先輩より昼飯に誘われ、W餃子定食をオーダーした直後に、早坂みのりにチケットを渡したことを告げられた。

「当日都合悪くなっちまってな」

そういえば、先輩は彼女と一緒に行くからと、石田からチケットを2枚買っていた。


同窓会は上野二丁目、ちょっと上手く、もしくはルックスがよく、学校以外で活動をやる部員がつかっていたライブハウスで開催された。

商店街を路地入ったパチンコ屋とソープランドが立ち並ぶ雑居ビルの地下。階段の両脇には今後、催されるさまざまなアーティストのフライヤーが貼られている。

和製メタルバンドから沖縄三線のアンプラウドライブまで、また自主制作映画の上映や、素人劇団や前衛舞踏の公演などもやっている。


「これってもしかして」

石田の声に振り返ると傍らの壁には本日カバーをやる「鉄の扉....」の曲を歌っていたボーカルの顔アップのフライヤーが貼られている。

「来週やるらしいぜ」

「えっ?やつら解散したんじゃないっけ」

「ボーカルだけ歌いにくるらしい、バックバンドは.....」

「なにも書いてないな、もしかしてカラオケ?」

「んなわけねえだろ」

「それにしても、高校の軽音楽部が同窓会やるような場所で、あの方がパフォーマンスをされるとは」


曲を選んだ石田はもちろん彼のファンだった。中学生になって最初の夏休み、奥秩父のさらに山奥にある父親の実家にいった際、今は海外で暮らす叔父の部屋でその曲のレコードを見つけた。

夏の終わりの夕暮れ、セミ時雨すら遠ざける、圧倒的に薄暗い部屋で生まれてはじめて、アナログプレーヤーの振るえを聴いた。

地を這うようなドラムに気狂いした女性の叫び声のようなギターそしてなにより、照りあるふくらみを含み、宇宙が透けて見えそうなハイトーンのボーカル。

石田世代の感覚がらすると、彼らの演奏スタイルは、ややオーソドックス過ぎるが、そこがかえって斬新だった。


「鉄の扉....もやるかな?」

「やっていただけるだろ、代表曲だし、まあ著作権の問題とかあるから....」

「たしか作曲はギターリストだったな、が、ギターはギターであの方が作った歌詞を歌ってるらしいからね」

「あのギターリストが?」

「お前も歌ってみるか?デイブ・グロールみたいに」

「やつはドラムやめて、からのボーカルだろ」

「じゃ、なんとかコリンズとか髪の毛がピンクの...なんだっけ」

「BCG」

「それ注射だろ」

「DDP」

「それ印刷会社だろ」

会場入りすると、すでに歴々の先輩たちは到着し、現役生が誰ひとり、やってきていないことに腹をたてていた。その中にもちろんスドウもいた。


「お前らあの曲やるんだってな」

そういえば、学生時代、メタルバンドを組んでいたスドウはあの曲をカバーしていた。

「すみません、ぼくら部活ではPOPでしたけどスドウさんに憧れてて、本当は自分もやってみたかったんです」

高校卒業後、大学に進学し、いまだに大学生であるスドウ。大学5年の頃、アメリカへ行くといい休学し、けっきょく渡米せず、水道橋のESPでギターのクラフトを習っていた。親は中堅証券会社の役員で、ずいぶんと生活に余裕がある。

こめかみにサンスクリットの呪文をあしらったスキンヘッド、いまどき珍しい鋲つきのライダースを羽織っている。

「お前らにメタルは100年早いよ、といいたいところだが、がんばれよな、おれはやるだけでなく聴くのも好きなんだ」

学生のころは喉のためといって年中ロリーポップを加えていたスドウ。そのせいだろうか、この若さで歯茎がずいぶんと弱って、異臭もする。


「ああ、覚えてないでしょうけど、飯島です、2年の時辞めた」

覚えていないわけはない、しかし、態度がハナにつくのか飯島のことをちらちらとうかがっている。部活を辞めた身で、OBとしてではなく、石田の助っ人としてきている飯島にとって、スドウに義理立てする必要ない。

「うーす」

特徴があり近づきがたい外見のスドウに関してはさまざまなうわさがあった。自宅に学習用標本の頭蓋骨セットがある、といった、たわいのないものが多かったが、たわいもあるものの、ひとつが中学時代の話。都内屈指の荒れた中学で少林寺拳法部の主将をやっていたという。

「すみません、こいつちょっと、ブラックな会社に入っちゃって、情緒不安定らしんです、たいして腹もすわらないうちに社会人になっちゃったもんで」

飯島にしては、こんな部活を辞めてよかったと思うとともに、エリートサラリーマンではあるが、石田は石田で大変なのだろうと同情した。同情に関してはスドウも同じで、飯島をにらみながらも、ほか先輩連中の雑談の渦へと消えていった。


「いい度胸だなお前」

「あんなしゃもじみたいな落第生が怖くて人前でよく歌えるな」

「面倒はごめんだ、音楽は楽しくやんなきゃ、それに...」

ボーカルは顔が命、殴られてはたまらん...らしい。


軽音楽部出身でプロになった、先輩ギターリストが現バンドメンバーを連れてオオトリをやることになっていた。そのためか、同じステージでやろうというOBは少なく、石田飯島バンドと現役生バンドを含み、プロバンドをあわせ出演は全5組。うち、OBバンドのひとつがメンバーの急な海外出張のため、また現役生バンドもボーカルが夏風邪をひいたとのことで、計3バンドの出演。どうやら、参加者はかならずステージに立たなければならない、というのはスドウの、でまかせだったらしい。


リハーサルの開始が午後2時。開場時間が午後6時でプロバンドは別所でリハーサルをやる。よって会場までの4時間を2バンドで共有することになる。

もう一組のバンドのドラムは食品商社の営業マンらしい。出張先からの飛行機が悪天候で遅延。会場到着が早くても4時過ぎになるという。

「それまでガッツリ、プラクティスできるなあ」

再び近寄ってきたスドウは気持悪いくらいの好意を満面にたたえている。

20人はいるであろうOB達の前で練習するのも心苦しいと苦笑いする石田をよそに、飯島はさっさとドラムのセッティングをはじめる。

1年後輩のベーシストとギターが揃って到着するのと入れ替えに、OB達は幹事であるスドウに引き連れられ出て行った。会場で酒盛りをするのもなんなので、場所をかえて歓談するそうだ。


ベース・ギターのセッティングが終わると、1曲、通しでやってみる。石田は「悪くない」といい後輩2人も同調。しかし飯島は納得のいかない表情。各パートのバランスがよくないという。

ドラムスが他パートを確認するためのモニターからの音を聴いているからそう思うのではないかと石田。しかしPAの調子をみていた店長に録音してもらうと、なるほどバランスがよくない。

どのパートが小さいとか大きいとか、テンポがあうあわない、とかではなくバランスが悪い。細身のジーンズにエンジ色チェック柄のシャツ、土屋アンナ、ワールドツアーのスタッフキャップを被った店長も同様評価を口にする。

結論として石田の声質がヘビーメタルにあっていないということになった。


「そんなこと今さらいわれても」

「そりゃ声帯が出来上がる大事な時期にガールズポップばかりうたってりゃそうなるわな」

店長いわく、やたらカラオケで歌っていたこともマイナスだったという、発声の問題なので、昨日今日で歌い方をかえたところでどうしようもなく、なんとかマスキングしてみると店長はいった。

まずはマイクをダイナミックマイクにかえ、ケーブルもXRL形式なるマイクケーブルに。さらにEQで中音域を抑え硬さをとりのぞくと石田の声も深みと立体感が増した。

店長によると石田のような声質をリカバーするエフェクトとしては音を太く圧縮する方法と音の存在感自体を強調する方法があるらしい。とはいえエフェクトのしすぎは違和感を感じさせてしまうし、使い過ぎると音粒自体が崩壊してしまう。

いまの世の中、身体的なブレなどテクノロジーでなんとでもなるのだが、ブレを無くすことが正解とはいえない。

「正解ってなんなんですかね」

「ききやすい?心地良い?」

「でもクラシックではなくメタルだからな」

「人の心に刺さるとか」

「刺さるってなんだよ、泣かせばいいのか?」

「そもそも、音楽の趣向に個人差あるからな、感動の琴線もおのおのだし」

とにかく、バランスが悪いにせよ、それが石田の声なのだろうからEQなどによるエフェクトは最小限にして、煮詰まった時の常套句である「俺達らしく」やら「楽しもう」というところに着地した。


マイクとケーブルだけをかえ、エフェクトは多少高音域を丸める感じに抑え、何度かあわせてみた。録音し聴いてみたが、あいかわらずしっくりこない印象は受けるものの、繰り返すうち、演奏がこなれてきたのか、聞き慣れてきたのか、これはこれでよいと皆、納得するようになった。

1時間を過ぎたころ、右人差し指の第二関節くらいにマメができそうだと飯島が訴え、休憩を入れる。

ステージと反対側にあるバーカウンターに腰掛けると、マスターがカナダドライジンジャーエールをふるまってくれた。

「お前らあの曲やんのか?」

8等分にしたレモンをそえ、わりと古風なスタイルでコロナをやっているマスター。

「あの曲てどの曲ですか」

と石田。どの曲もなにも1曲しかやっていないのだが、やはりあの曲のことだった。

「ありゃあXXが歌った曲だろ、バンドは解散しちまったが」

「知ってるんですね、さすがに、そういえば今度XXさん、ここでやるらしいですねライブ」

「さすがもなにも、若いころも、ここでやってたんだよ、いまでもたまに歌いたくなるらしい、こっちとしても、客入りがよくて助かってる」

石田と飯島はお互い見つめあい、うなずいている。なるほど、そんな経緯があり学生同窓会に貸し出すようなライブハウスでやるわけだ。

「そういや、やつ、今日くるかもしれねえぜ」

再び見つめあう石田と飯島。

「今日やる先輩の...セミプロのなんとかってやつ、あいつはxxと知り合いらしい」

しばし溜めたのち、マスターは、白い歯を見せてほくそ笑み、それが冗談だとわかるのに多少の時間を要した。がセミプロのなんとかという先輩がXXと知り合いであるということは本当だった。

「まあ、やつに会いたければやつの歌をききにこい」

そういうとマスターはすっかり氷が溶解してしまったジンジャーエールを下げ、おかわりを作ってくれた。


6:30に開場。じわじわとお客が入ってくる。セミプロ先輩のファンや部活の現役生やその知り合い、しばらくしてスドウひ率いられた、重鎮たちも入場してきた。

石田や飯島が誘った人々もちらほら見られた。そのなかで石田を驚愕させたのは、受付嬢という扇情的で、ある意味うわついた職業が喚起させるイメージとはかかけ離れた、薄いグリーンのワンピースをシックに着こなした早坂みのり....ではなく、その傍らにいる早坂みのりにチケットを譲ったという先輩。彼女に譲ったはずなのに一緒にきている。それだけでなく、彼らはカウンター横にある丸テーブルを挟み小指と人差し指を絡めあっている。


できればそのまま楽屋に引っ込みたい石田だった。しかし、せっかく来てくれた早坂みのりに挨拶するため近寄っていく。石田が彼女たちとの間をつめるより早く、2人は見つめあい、そこそこの客の入りだといのにもかかわらず、キスをした。

長い睦みあいの終わりを待ち、石田は声をかける。御礼をいい、唐突に突きつけられた二人の関係について、申しひらきをまっていると、先輩が察して口を開く。2人は付き合っている...そうだ。

「都合が悪くなったので早坂さんにあげたっていってましたよね」

彼女と行くために購入したチケットだったが、寸前にその彼女と別れた。それが都合が悪くなったという意味。そんな事情で、チケット、つまり元彼女に渡すはずだったチケットを早坂みのりにあげることになった。そして、それがきっかけで2人は話すようになり、やがて付き合うようになった。

「もうやっちゃったんだよ」

早坂みのりは白っちいほほを赤くさせ、首をすくめ、舌先をちろっとだした。

マジでやっているよ...こいつら、と確信し、石田は2人に対し簡潔にお礼を述べたあと、とっとと楽屋に引っ込んだ。


飯島はがやがやとやってきた百科事典会社のテレフォンアポインター女子たちのアテンドで忙しい。彼女たちが働くフロアのほぼ全員ではないかという数。15人はいた。

私服勤務であるがゆえにオフィスでもずいぶん派手なイメージの彼女たちだが、それでも職場では抑えているのだろう。それをあらためて、強烈に突きつけてくる本日のいでたち。原色のスーツに高さのあるヒール。毛羽立った折りたたみ団扇やらバッグやらを携えている。

その様子は飯島の高校時代、現代社会の時間にならった日本史上二つの不覚と敗戦、太平洋戦争と土地・株バブル。後者の様子として教科書に掲載されていた写真を飯島に思いおこさせた。


PAピッドに入ったマスターにかわりカウンターを占拠した彼女たちにアルコールを振舞う飯島。スタジオ代を稼ぐため、高校時代から三ノ輪のショットバーでバイトをしていただけあり客さばきはお手のもの。

せめて石田にもシェアしてほしいのだが、楽屋にいったっきり帰ってこない。ライブハウス側面、少し距離を置いた場所からスドウと重鎮たちがこちらをチラチラうかがっている。紹介してほしいのだろう。彼女たちへの、おもてなしについて、猫の手でも借りたい。好都合だが、会社の同量と学生時代の先輩がいい仲になるというのも、面倒なことになりそうだ。

そんな濃いキャラクターの連中たちの対応にさいなまれながら、しかもこれから、ドラムも叩かねばならい。

ギターとベースの後輩たはうまい具合にオーディエンスに紛れ目を合わせないようにしている。やがてスドウに呼ばれ伝言を伝えにくる。

「スドウサンガショウカイシロッテイッテマス」


思えば、高校に入学しドラムという楽器を選んでからずっとこんな具合だった。大学に入りドラムをやめてからもそう。ドラムをやったからそうなったのか、そうだからドラムになったのか。なにしろこの個性の強い連中ばかりがひきつけられる磁場のど真ん中で、彼らが心地よく酔っ払えるテンポをきざまねばならない。

せめて、あの、駄目もとでチケットを渡した、製作部の地味だがブリリアントな奥ゆかしさをたたえた彼女さえきてくれれば...。

一座の大将格であり、ひときわケバケバしい推定アラウンドフィフティス女性にたずねる。

「とうとうとうぅ」

ちょうどマイクチェックが始まり、質問を聞き返すフィフティス女性。腹から声し復唱すると伝わったようだが、とたん表情を曇らせる「なにいってるのあんた?」という具合に。

彼女の隣で、さらに輪をかけたケバケバ女子がなにか叫んでいるようだが、かまっている暇はない。フィフティス女性にさらに詰め寄ると、人差し指を立て、その先を自らの額にかざし、さらにそれを傍らのケバケバ女子に向けた。


「まさか...」

そのケバケバ女子。よく見ると製作部の彼女。

お客さんの「考えておきます」と物書きのいうことは信じてはならない。営業研修のとき営業部長が口にした台詞を久しぶりに思い出した。

「テメエがチケットよこすから来てやったんだろうが」と小ぢんまりとした唇を押しひらき彼女はすごんだ。

なにがあったのだろう。というか自分はこんなところでなにをしているのだろう。

彼女らがそんな格好をすることで、どこへ向かおうとし、スドウはそんな彼女とどこへ行きたくて、自分たちは、そんな彼らの前でなにをしようとしているのか。すべてが謎。

彼女のメイクやファッションセンスが一過性のものでなければ、先輩たちに寄せていったわけではないことは、確からしい。

「なんだよ、うれしかねんのかよ、うるうるしながらチケットくれるから来てやったんだ、びびってんのか?なんならいまからトイレで一発キメとくか?」

トイレでキメる...が、どの手のものなのか?反問する気力すら飯島にはなかった。


楽屋に引っ込んだ石田は、それでも歌だけは納得いくように発声練習を繰り返した。

と、ノックする音がし、懐かしい声が聞こえた。

「石田君いるんでしょ」

忘れもしない、ガールズポップを歌い上げた3年間、常に傍らにいた彼女。つまりスドウの元彼女、ミヨコ。

「懐かしいわね元気だった?」

返事をしていないのにもかかわらず入室するミヨコ。相変わらずだ。

「元気もなにも、いいのかこんなとこ来て、スドウ来てるぞ?」

「知ってるわ、あなたもしってるでしょ、私たち別れたこと」

「スドウがいってたな」

「でもスドウ別れたくないみたい、いまだに、キモい画像とか文章とか送ってくるし、本人はバレてないと思ってるだろうけど、私の職場近くにも出没しているの」

「警察いったほうがいいんぢゃねえ?」

「いやだめよ、つきあった経験からいうと、そういうの大好物なの、スドウ、それはそれで悔しいわ」

そこまで一気にまくしたてた後、照れと懐かしさが入り混じる間延びした沈黙が横たわる。

高校生時代一貫してファッションに関してはユニセックスだった彼女。今日は白いシックなワンピースにストローハットから首筋を経て肩にかかるやわらかいソバージュ。


「だから逃げようと思って」

「向かってきてるじゃん、スドウいるし」

「だからあなたと逃げようと思って」

「おれと?」

「そうあなたと」

「どうしておれなの?」

「しってるわ、というかしってたわ、あなた私のこと好きでしょ、というか好きだったでしょ」

「......」

「そして2人ともスドウが嫌い」

なにをいっているんだ、この女子は、と石田はおもわない。

鼻頭がひりひりするように、涙腺がうずく。

「おまえはどうなんだよ」

「どうってなによ?」

苦し紛れに搾り出した石田。その先がつづかない。

「わたしが好きかどうかってこと?あんたを」

ふたりの表情が微妙になる

「わからない」

「わーからーなーい?」

「でもこれだけはいえる」

わからないで、うつむき、ふたたび顔をあげ、ものすごい目ぢからで石田を見据えた。

「ス・ド・ウ・は・き・ら・い」


自分のことが好きかどうかなんて問題ではない。

そもそも好きってなんだんだ。

この際「スドウがきらい」ということだけで、2人はすべてうまくいくと石田は確信した。

「そう、いまこそ鉄の扉をあけて自由へ放たれるのよ、よくわからない学生の頃の先輩後輩とか、昔とった杵柄をひけらかす連中が幅をきかすショッパイ職場とかから、歴史を語らない人々に未来はないというけど、歴史しか語れない連中にも明日はないわ」

仕事もやめる前提になっているのだろうか。

「わかった、いこう、でも鉄の扉...ってのは大げさじゃないか」

「われわれにとって重い扉よ、いままで押しとおることができなかった、それに、楽屋の搬出口ってリアルに鉄の扉なのよ、XXの歌にもあるでしょ」

「その歌ってココのことだったの?」

ミヨコはしっかりと石田を見て、自信に満ちた目配せをせした。

「たぶんね」


見つめあう2人が落としどころを得るまで飯島は耐えた。

「なにいってんだお前、ライブはどうすんだよ」

とはいえ、彼らが自由へと逃亡する際、捨て去っていくというすべてのもののなかに、今日のステージが入っている。飯島にしてはだまっておれない。

「すまん飯島、お前ならわかってくれるよな、いつもお前はわかってくれたじゃないか、今回のドラムだって快く引き受けてくれたじゃないか」

「おいおい、なに言ってんだよ、いいだしっぺなんだから逃げんぢゃねえよ、おれだって、高校卒業以来、ドラムなんか触ってもいないし、本当はやりたくなかったんだぜ」

「だったら....」お前も逃げればいい、といいかけてやめた。

「すまない、本当にすまない」

「演奏が終わったあと..って訳にはいかないのか」

「なにいってんの、ライブはいつでもできるでしょ、でも私たちがここから出て行くのはいましかないのよ」

彼女を好きでもなんでもない飯島にとって、その表情にみなぎる自信はどこからひねり出されているのかが、ひたすら気にかかるところだった。


「そうだ、お前が歌えばいい」

「なにいってんだ?」

「デイブ・グロールになるんだよ、それがいまのお前の...」

「ドラムはどうするんだよ」

「ドラム.....ドラムなんて必要なのか?お前はドラムをやっててバンドにドラムは必要だた思っていたのか?」

「あたり前だろ、リズムがシェアできないし、ドラムが鳴ってなければ、曲の構成上、今この瞬間、どの位置にいるのかがわからなくなる」

とはいえ、すでに出来上がってしまった2人は、どうしようもなく出来上がっていて、なにをいっても聞く耳をもたない。


「わかった、いけよ」

高校の3年間、そして大学、社会人と、ミヨコのことをどれだけ愛していたかを石田は熱弁し、あげく息のあがったところで、飯島はいった。

「そんなにミヨコが、お前のなかのミヨコへの想いが、かけがえのないものなら行けばいい、どうせただの音楽だ、ボーカルいなきゃ、最悪アカペラだ、知ってるか?ボーカルなくても音楽は成立するもんなんだぜ」

友人が是認した愛への逃亡、石田の全身を駆け抜ける衝動よりはやくミヨコは歓喜し、飯島に抱きつき、かなり濃厚に唇をからめた。

1分近い抱擁の後、気まずく放心している石田の手を引き、ミヨコは鉄の扉を押し開け去っていた。


ベース・ギター2人の後輩に事情を話し、なんとか歌ってもらえないか打診したが無理だった。そもそもそんな事情なら、弾きたくないし、ステージをやめるべきだと主張する。

そうこうしているうち、出番が近づき、さらに、演奏開始時間を過ぎた。

客席ではスドウをはじめとする重鎮たちが野次を飛ばす。

こうなったら、叩きながら歌うしかないか。覚悟を決めステージへと進む飯島。久しぶりに浴びるスポットライト。眼下にうごめく人々の雑音を直線的な光が沈黙にかえる。

椅子の高さを調整したのち、シンバルやタムの位置を決めていると、スドウたちが野次をとばす「ボーカルはどうしたよ」

無視してセッティングを続け、すでに調整が終わった後輩2人と目を合わせ、スティックでカウントを刻もうとしたそのとき、石田が立つべきだったステージ中央、痛いほど力強いライトを受けた影のかたまりが客席、ステージの床から立ち上がり、飯島へと近づいてくる。


「ボーカルいねえんじゃ、いいだろ、歌っちゃって」

XXだった。


飯島がカウントを刻むと、伸びのある日本ヘビーメタル界屈指のハイトーンボイスが会場を劈く。これがメタルのステージ。この景色をみずして石田はどこへいってしまったのだろう。

XXは英詞を歌う。ベース・ギターはいつもより締まった演奏をし、そんな世界でリズムを刻めることは途方もなく気持ちよいものだった。


Just when I thought my love was rising

The doughter left me here to die...

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鉄の扉を開け... 金田もす @kanedamosu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る