CREPUSCORO

佐倉真由

前編

その屋敷は聖都への道の途中、深い深い霧に包まれた高原にあるという。

茨に囲まれた屋敷の壁には蔦が這い、屋敷の奥までも霧は入り込んでいて、中の様子はわからない。

どんな人間がそこに住んでいたのか知る者はいない。地元の者ですら、首をかしげるばかり。


そんな中でもたったひとつだけ、村人たちは口をそろえて旅人たちに警告する。

一度そこへ迷い込んだら最後、その屋敷から生きて戻った者は、未だかつて存在しない、と。




  ~CHAPTER 13-4 "He is ROBER..."~




少年は剣を捧げる。

少女は真紅のドレスを身にまとい、優雅に微笑む。


霧がかかったように淡く美しい、薔薇の園。

靄の奥から夕日が照らす。白いテラスは緋色に染まる。


それはまるで幸福を絵に描いたような……――





「……こちらをお使いください」


旅人にそう告げた男は、古びた剣を腰に佩び、生真面目な礼をした。

男の剣に負けぬほど古い部屋ではあったけれど、あの濃い霧の中行き倒れることに比べればこんな場所とて楽園のようなものだと旅人は思う。


部屋にあるのはかび臭い小物入れと、くもの巣がかかった箪笥。

元は女性の部屋であったろう、優美なたたずまい。


「ご立派なお屋敷ですね」

「……」

「あの戦火の中、幸運にもこの屋敷は難を逃れたというわけか……奇跡か、神のご加護があったとしか思えませんな」


男の顔に薄い笑みが浮かんだ。ぞっとするほど、それは美しく見えた。

霧の奥から夕日が差す。男の顔を夕日が照らす。金の髪が真っ赤に融けた。


「我が主は黄昏の神に護られておられます」


はて、この男は果たして初めから青年であったろうか?

奇妙な疑問が旅人の胸に浮かぶ。胸の奥が不気味にざわめく。


「何かございましたら、何なりとお申し付け下さい」


恐ろしげな悲鳴を上げて、重厚な扉は閉じられた。




それにしても……と、旅人は嫌に古めかしい寝台に腰を下ろし、首をひねった。


部屋の中はどこもかしこも埃だらけ、少し指で触れるだけでぶわりと粉雪のように埃が舞い散る様子は、いっそ美しくすら見える。

突然押しかけてきた身とはいえ貸し与えられた部屋がこの有様では、さすがに文句の一つでも言いたくなるのが人情というもの。

物音一つしない空間でただ埃を眺めていること数十分、旅人はとうとうそれに飽きてしまった。


部屋を貸したあの男は、部屋の中のものを探るなとは言わなかったな。


旅人は一人頷くと立ち上がり、手始めにくもの巣まみれの黒い箪笥に手を伸ばした。

洒落た取っ手は、黒ずんでしまっているが壊れてはいない。かなりの年代物のようだが物は悪くないらしい。

媚び過ぎず上品な装飾を施された古箪笥は、くもの巣さえ取ってしまえばなかなか風情のあるものだった。

旅人は骨董には詳しくないが、この箪笥を骨董商に見せればかなりの高値で買い取ってくれるだろうということはすぐにわかる。


取っ手を引くと……なるほど埃も積もるわけだ……ずいぶん長い間触れられていなかったのだろう、軋んだ音を立てながら扉はぎこちなく開いた。

黒箪笥の中にあったのは、一着の赤いドレス。暗い部屋の中、突然現れた真紅に一瞬驚いて旅人は思わず後ずさる。


恐る恐る手にとって埃を払えば、目が覚めるほど真っ赤なドレスは虫に食われても傷んでもいなかった。

触れると手のひらになじむさらさらとした布の感触。型は古いが、やはりかなり上質な布を用いているに違いない。


(古いとはいえ、屋敷も何もかも相当のものだが……それほどの富豪がこの場所に館など構えていただろうか?)


表の道からずいぶん外れた霧深い高原になど、屋敷を置いたところで何の役に立つだろうか。

少なくとも旅人が知る中に、そんなことをするほど偏屈な金持ちはいなかったように思われる。


(……まあ何にせよ、いくら考えたところで金持ちの考えることなんかわからないな)


丁寧に赤いドレスをたたみ直して元の場所へ戻すと、旅人は小物入れに視線を移した。

手のひらに収まってしまうほどの大きさだが、質量は意外とある。華奢な銀細工はやはり美しいが、嫌みがない。

これがこの部屋の女主人の趣味なのか、それとも他の人間が用意したものなのかはわからないが、素直に好感を持てると旅人は思った。


蓋を開くと中には銀のリングが一つ。


「……変わった色の石だな」


リングに散りばめられているのは、炎を閉じ込めたような色の宝石だった。

素直に美しいと思うと同時に、どこか言い知れぬ物悲しさや寂しさを感じるのは何故だろうか。


指でつまんでみると、リングは蝋燭の灯りを映してきらきらと輝いた。

ああ、そうか。寂しくもなるはずだ。旅人は一人苦笑し、呟く。


「まるで夕暮れの色だ」


リングの中で輝く小さな夕日は、眺めるほどに色を変える。

面白くなってしばらくそれをいろんな方向から見つめていた旅人は、ふとリングの裏に刻まれた文字に気づいた。

目を細め、灯りに照らす。文字の数は意外と少ない。どうやら名前のようだ。一体誰の?


「"RO"……"BER"……」


かつん、かつん、という足音が耳に届く。旅人はハッとして顔を上げた。

まずい。借りた部屋を勝手に物色していたと思われたら追い出されかねない。

あの霧の中を再びさまようなんて死んでもごめんだ。


慌てて旅人が部屋を片付け扉に向かうのと、ノックの音はほぼ同時だった。

どうぞ、という旅人の声に続いて現れたのは先の男。手に持った盆の上には湯気の立つスープとパンが乗せられている。


「粗食で申し訳ありませんが」


一言そう言って男はテーブルに盆を置くと、一礼して踵を返した。

感謝の言葉を伝えようと旅人は立ち上がるが、ふと気づく。そう言えば自分はこの男の名を知らないと。


「いえ、そんな。食事まで用意していただいて本当にありがとうございました、あの……お名前は?」

「ああ……すみません。申し遅れました。私のことはペルロ・キュスコとお呼び下さい、旅の方」


ペルロ。ペルロ・キュスコ。それが彼の名か。男が出て行った後、旅人は再び首をかしげた。

果てしなく中性的なあの男の美貌に、明らかな男性名が単に似合わないと感じたのも一つ。

しかし旅人は直前に見ていたあのリングの裏、そこに刻まれた文字……"ROBER..."が気に掛かって仕方ないのだ。

綴りの最後はわからなかった。今もう一度あの小箱を開いてリングを取り出せば読めるかもしれない。


だが、知ったところでどうなると言うのだろう。


温かいスープとパンを口に運びながら、旅人はぼんやりと宙を仰ぐ。

実のところ、あのリングの名前こそが、『ペルロ』の名前なんじゃないかと思ったりもしていたのだけれど。

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