(2) 死んでしまうとは情けない

 玉座で磔にされたむくろを囲みながら、ヒロシィたちは顔を見合わせた。


「状況を整理しよう」


 ヒロシィは頭を抑えながら言った。一応、まだ剣は手放していない。左手で握ってはいるものの、王家の宝物殿から勝手に持ってきたこの宝剣を振るう機会はなくなってしまったかもしれない。


「こいつは魔王だ。風体が目撃証言と完全に一致するし、実際に何回か幻影で俺たちの前に現れた姿とも同じだ。間違いないと思う」


 こいつ呼ばわりされた上、剥き出しになった山羊の頭蓋骨のような頭をぺちぺちと叩かれても魔王はぴくりともしない。


 あれは確か四天王・堕天使のゾーラが第一の刺客として送り込まれてくる前夜のこと。ヒロシィの夢に、魔王の幻影が現れたことがある。詳細は省くが「ククク……」だとか「終焉を迎えるであろう」だとか、それっぽい喋り方をしてきたから、プライドはかなり高いはずだ。こんな扱いをされて黙りこくっているわけがない。


「そうね、私も魔王だと思う。いえ、魔王だった、かしら」


 ウェルウェラが言った。生れ落ちてすぐに両親と生き別れ、ハーフエルフである己を受け入れてくれた故郷の村を焼かれて、唯一の家族だった腹違いのエルフの姉も魔王討伐の旅で失踪して、魔王への復讐を誓った一人の少女は、王国に比類なき偉大な魔法使いへと成長した。その双眸そうぼうは今、複雑な感情をたたえて一体の骸を見下ろしている。


「やはり、この右胸の剣が致命傷だったようなのですよ。他にも全身に切り傷があるのです」

「魔法痕はないのか?」


 手際よく検死作業を始めているテルモアにラカンが尋ねた。


「ないのですよ。攻撃魔法は元より、麻痺や毒などの魔法痕もないのです。全て剣撃による傷なのです」 

「ふむ、しかし魔王を剣のみで屠るとは、相当の腕だな」


 相当どころではない。ヒロシィは心の中で戦慄していた。ヒロシィは転生する直前、女神から一通りの歴史と流れストーリーを聞いている。この世界の並居る達人が王国へ招集され、魔王討伐へ向けて本格的に動き出してから今日に至るまで、誰一人帰っては来なかったのだ。


 魔王をも超える人材がいたのであれば、既に世界は救われている。また、世界のパワーバランスが崩れそうになったからこそ、事態の収拾に超常の存在たる女神が動いたのだ。そんな危機的状況でもなければ、運転手が突如として心臓麻痺で逝ってしまい暴走したトラックに撥ね飛ばされたニートの長谷川ヒロシも、転生者として選ばれることはなかっただろう。


「まぁ、細かいことはおいおいで考えるとして、とりあえずは超人Aとでも呼ぼうか。超人Aは魔王城に侵入し、魔王の心臓を貫いて玉座に突き刺し、トドメを刺した。ここまではいいか?」

「そのようだな」

「信じられないけど、そう考えるしかないみたい」

「そうなのですよ。凄いのです」


 ヒロシィの確認に仲間たちが頷き合う。


「ここでもう一つ疑問が出てくる。超人Aは最高位の封印魔法がかけられた最後の間に


 一瞬、空気が冷えたような感覚がヒロシィを襲った。石柱の陰に魔王を物ともしない絶対的戦闘力を持つ生物が隠れているかもしれない。そんな疑念が、本能的恐怖となってヒロシィの背筋を通り抜けていった。


 最期の間は魔王城地下3階の最奥部に位置し、窓はない。出入口はヒロシィたちが入ってきた扉一つ。玉座や絨毯こそ荘厳であるものの、基本的には4本の石柱と暗褐色の壁に囲まれたシンプルな空間だ。天井は高く、奥行きがあるが、誰かが隠れられるようなスペースはない。


「その封印魔法というのは、入るのは簡単で、出るのが難しい。あるいは逆に入れないが、脱出は容易というものか? 前に『迷いの森』で似たような目に合ったろう。あれは――出られない方だったな」


 ラカンが思い出したように言った。迷宮のような森林の道をひらすらに歩き回って死にそうになっていたヒロシィとラカンは、そこで同じく魔王討伐のために旅に出ていたウェルウェラと出会い、なんやかんやあって脱出に成功したのだ。具体的にはウェルウェラが魔法で森ごと焼き払った。


「あれはフィールド効果みたいなものだったからね、少し違うの」


 同じように出会った日の事を思い出していたのだろう。ウェルウェラの声色は少しだけ優しかった。


「それに迷いの森は魔法としてもせいぜい中位レベル。この最後の間にかかっていた封印魔法ア・カーンは最高位よ。出るのも入るのも無理。鍵で解放するか、術者本人か中にいる魔王が解くか、同じく最高位の解除魔法でこじ開けるかの三択しかありえない」

「では、超人Aに凄腕の魔法使いの仲間がいて、解除魔法を使って出ていったのではないのですか?」


 テルモアが言った。超人Aが自ら解除魔法を使ったと考えなかったのは、一つの職を極める困難を、大聖女たる彼女が重々自覚しているからだろう。ヒロシィのように女神の加護チートがあれば短い時間で済むが、普通は習熟に何十年とかかるのだ。天才として大聖女に上り詰めたテルモアですら僧侶を極めるのに幼少期から数えて12年の歳月を要している。


「私たちが来た時には封印魔法がかかっていたのよ? 出た後でもう一回封印魔法をかけたわけ?」


 何のために、とウェルウェラが問い返すと、テルモアは首をひねった。


「そう言われると、確かにそうなのです……」

「ちょっと待て、そもそも俺たちが封印魔法を解除できたのは、魔神官が持っていた鍵があったからだろう。仮に超人Aに仲間がいて、そいつが封印魔法と解除魔法の使い手だったとしても、俺たちが辿り着いた時点で扉にかけられていたのは魔神官による封印魔法だったはずだ」ラカンが続ける。「鍵は魔神官の懐から見つかったんだからな。あの時点で最後の間は封印されていたことになる」

 

 封印と鍵は一対一の関係になる。その点を踏まえると、ヒロシィたちが魔王城で戦っている最中に最後の間へ侵入し、気付かれないように去っていくのは不可能のように思える。ラカンの指摘に、ヒロシィも賛同した。


「そうすると、考えられる可能性は……」


 ヒロシィは思考を巡らせた。

 勇者となって旅を始めてから、ヒロシィの力や俊敏さは向上したが、どうやらステータスの上昇は地頭に影響しないらしい。ただただ愚直に考えるしかない。


 考えられる可能性。それは――


「超人Aは、魔王たちが封印魔法をかける前に最後の間に忍び込んで、魔王を殺害し、出ていった。その後、魔神官が封印魔法をかけた」

「それは……ありえないんじゃない? その説だと魔神官は魔王が殺されているのを確認せずに封印魔法をかけたことになるけど、流石に自分の創造主を閉じ込める前には一言声ぐらいかけるでしょうし」

「自分の主の心臓に剣がぶっ刺さっていたら、流石に気付くだろう」

「なら無視して封印をかけたんじゃないか」


 ウェルウェラとラカンがあっさりと否定してくるので、ヒロシィは食い下がった。魔神官は魔王が死んでいたのを知っていたが、それを悟られまいと隠すために封印したとも考えられる。咄嗟に出た反論だったが、良い感じではないかとヒロシィは自画自賛した。


あいつ魔神官、死に際に『貴様ら如き魔王様の敵ではないわ。お手を煩わせて申し訳ございません、魔王様ァア!』とか何とか言いながら浄化されていったのですよ。あれが演技だとは到底思えないのです」

「うぅ……ダメか」


 今度はテルモアがダメ出しをしてくる。第一の説は早々に諦め、ヒロシィは腕組みをして新しい説を考える。


「それなら、二つ目。超人Aは、魔王たちが封印魔法をかける最後の間に忍び込んで、魔王を殺害し、この最後の間に潜んでいる」

「そんなまさか」

「隠れる場所なんてないわよ」


 ラカンとウェルウェラが動揺した様子で言った。否定はするが、しかし説明はついてしまう。


「こういう時は確かめるしかないのですよ」


 テルモアが一歩、前に出た。玉座から階段を降り、謁見するためのスペースに陣取る。目を瞑り、賢者の石が嵌め込まれた伝説の聖杖を天高くかざした。


「『イ・ルーカ』!」


 刹那の閃光が最後の間に走る。突然の事に驚いて目を閉じたヒロシィは、光が収まったのを確認して周囲を見回してから、テルモアに訊いた。


「今の魔法は一体……?」

「これは索敵呪文なのです。使う機会はなかったので、ヒロシィたちには初めて見せましたね」

「敵がいるかいないか分かるのか」


 ラカンが驚いたような声をあげる。


「そうなのですよ。祭事の途中で野犬など避けたりするので僧侶は皆これが使えるのです。術者に敵意のある存在があれば、たちまち隠れている場所が光って教えてくれるのです」


 えっへん、とテルモアが平らな胸を張った。


「どこも光ってないみたいだけど……」

「やはり最後の間にいるのは私たちパーティだけのようなのです」


 テルモアがどこか安堵したような顔で言った。

 これで振り出しか。ヒロシィは小さく溜息をつく。つい先程まで己の命を懸けた最後の決戦に臨もうとしていたというのに、まさか相手が事切れているとは。立ち尽くしながら、ヒロシィは高い天井を見上げた。


 おお魔王よ、死んでしまうとは情けない。極限まで高められた決意は行き場を失くして、ヒロシィの内側で燻ぶっていた。


「このまま王国に帰るわけにはいかない。王様になんて説明すればいいんだ」


 色々頑張ってぇ、魔王城に乗り込んだんすけどぉ、なんか魔王死んでてぇ、いやマジビビりましたよぉ、あ、あと王家の秘宝、勝手に持ち出してすんませんした。 


 何故かガムを噛みながら王様に報告する自分たちのイメージが浮かんでくる。儀礼を重視するか否かは別として、報告の内容は結局どうやってもこれと同じだ。誰も納得しないだろう。逃げたのでは、偽物なのでは、嘘をついているのでは。様々な憶測と疑念が渦巻き、人々の不安が解消されることはない。


 ヒロシィの提案に、ウェルウェラとラカンはしばらく考える素振りをしていたが、やがて同じ結論に達したらしく同意を返した。テルモアも「納得できないのですよ!」と首を振った。


「犯人を、超人Aを探し出す。誰が、何故、どうやって魔王を殺したのか。明らかにしなければ、俺たちの冒険は終わらない」


 ヒロシィの宣言によって、勇者一行は、勇者探偵団一行となった。 

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