(3) 勇者は探偵ではない

 勇者は称号で、探偵は職業だ。


 生粋の社会不適合者だった長谷川ヒロシは誇り高きニートであり、働いた経験はない。しかし、物語などで一通り探偵がどういうものかを知っていた。幸い、今回の事件は浮気や素行の調査といった現実的な探偵稼業ではない。いかにも物語的な探偵の出番だろう。なにしろ、密室殺人、いや、密室殺魔王事件なのだから。


「さっきのヒロシィの推理の延長だが、柱の後ろに隠れていて、俺たちと入れ替わりで出ていったというのはどうだ?」


 ラカンが思いついたという顔で指を立てた。なるほど、それならイ・ル―カの呪文で引っかからなかったのも頷ける。扉の外に出たら、全力で地上へ駆け上がればいい。すでに脱出済みだったというわけだ。


 しかし、ウェルウェラが即座にその説を否定した。


「遠距離魔法に備えて広範囲バリアを張っていたけど、何にも触れなかったわよ。柱の裏に誰かいたら流石に気付くわ」

「じゃあ壁や天井に張り付いて、ギリギリでバリアの外だったんじゃないか?」

「そうしたら今度は視界に入ってバレるのですよ。どこから臣下の魔物が襲ってくるか分からなかったので、周囲への警戒は怠らなかったのです」

「大体ラカン、貴方だって、戦士としての気配を研ぎ澄ませていたでしょうに」


 ウェルウェラとテルモアに反論され、ううむとラカンが呻る。ヒロシィとしても良い推理だと思っただけに、残念な結果だった。


「あのさ、思いつきなんだけど」


 ヒロシィは小さく手を挙げて、ウェルウェラを見た。ウェルウェラも緊張が解けて気が緩んだのか、「はい、ヒロシィ」と教師のような仕草で掌をヒロシィに向け発言を促した。


「透明化とか気配を消す呪文とか、そういうのはないの?」

「ないに決まってるでしょ。常識的に考えてよ」

「あ、そうなんだ。ごめん」


 怒られてしまった。このキツい返しは、どこか初めて迷いの森で会った時のウェルウェラを髣髴ほうふつとさせる。あの頃はまだ冒険を初めて間もなかったので、この世界における魔法の一般常識がよく分からず、同じような質問をしては怒鳴られていた。


 だが、杖から炎や雷を出し、空を自由に飛べる魔法はあるのに、透明化や気配を消す呪文は「ないに決まってるでしょ」という常識の線引きが、ヒロシィには未だに理解できない。


「ここまま考えても埒があかないな。どうする? ここで一晩明かすか?」


 ラカンが首を回しながら、ヒロシィに尋ねた。地下のため正確な時刻は分からないが、魔王城に突入したのは明け方だった。そこから激闘を繰り返し、小休止を挟みながら最奥まで一気に踏み込んでいる。感覚的にはそろそろ日暮れだろう。


「盛大に祝福されて出発した手前、あの集落にのこのこ戻れないしなぁ……」


 ヒロシィが呟く。

 魔王城付近に残された集落を発つ最後の日、集落の人間たちが危険を顧みず総出で勇者一行を見送ってくれた。大人たちは二度と戻れないかもしれないヒロシィたちに希望を託して貴重な回復アイテムを贈ってくれたし、仲良くなった子供たちは涙を流して「絶対帰って来てね!」と笑顔で手を振った。


「すっごい感動の別れだったものね……」

「『次戻る時は、魔王を倒した時なのですよ!』って、皆と握手しちゃったのですよ……」

「俺も、子供たちからお守りの木人形を貰ったぞ……、無事に魔王を倒せますようにって願いを込めたらしい。まぁ、無事ではあるな。一応」 


 確実に、遠目でヒロシィたちの姿が見えた時点で魔王討伐に成功したと勘違いされるだろう。「戻ってきた!」と叫ぶ子供の姿が想像できる。集落に足を踏み入れる頃には集落の人間が感涙にむせびながら全員集まっているに違いない。全員が万歳三唱し喜びに打ち震える中で「いや、違うんです。違わないけど、違うんです」という第一声を発する勇気は、ヒロシィにはなかった。


「ここで一泊しようか。ほら、現場の保存にもなるし」


 ぎこちない提案だったが、思いは一致したようで全員が静かに頷いた。気まずさよりも、死体と一緒に眠る方がマシという英雄的判断だ。四人は玉座への階段を下りた謁見スペースに戻り、粛々と武器をしまった。代わりに各自が愛用している外泊用の器具を出していく。テルモアはクッション、ウェルウェラは魔力回復用の器具を出し、ラカンは酒樽を取り出してウェルウェラに睨まれていた。


 ヒロシィは腰に提げていた魔法の袋という、物体を縮小して収納できる便利アイテムを取り出し準備を開始した。


「この魔法の袋みたいに、小さくなったり次元を移動したりは……無理だよな。睨むなよ分かってるから」


 ヒロシィの呟きをウェルウェラが表情だけで封殺する。魔法の袋は質量保存の法則などヒロシィがいた世界の物理法則を色々と無視したアイテムだが、無生物しか入れられない。正確には生物を入れると確実に死んでしまうのだ。これは一度、ネズミで実験した事があるのでヒロシィも素直に引き下がった。この類の魔法を人間にかけても、同じ結果になるのだろう。


 全くよく分からない世界だ。

 そんな何とも言えない気持ちが溜め息となってヒロシィの肺から漏れ出た瞬間、ヒロシィの脳に雷魔法のような閃きが走った。


「そうだ、女神様に報告しないと!」


 こちらの世界にヒロシィを送り込んだ張本人、女神マガリナ。

 生態系のバランスを元に戻すという名目でヒロシィの魂を地球の女神から借り受けたと言っていたあの超常の存在ならば、今の状況を説明してくれるかもしれない。


「おお、確かにマガリナ様なら!」

「あの御方なら、何かご存じかもしれないわね!」

「是非! 絶対に私も同席させてほしいのです!」


 どうしてこんなに簡単なことをもっと早く思いつかなかったのだろう。勇者は探偵ではないのだ。あれこれ悩む前に、女神に答えを教えてもらえばいい。


「じゃあ、早速降臨していただきましょう!」


 ウェルウェラが割ろうとしていたドラゴンの卵を空中で止めながら言った。


「そうか、皆の前では初めてか。降臨いただくには女神像がある場所にいかないとダメなんだ。ここから一番近い女神像はどこだっけ?」

「城塞都市クマモンにあったぞ。一番近いという意味なら、魔王城の庭園にも一応ありはしたが」


 ヒロシィの疑問にラカンが答えた。庭園の像ならヒロシィも覚えている。だが、あえて外したのだ。一応と付けた以上、ラカンも認識しているのだろう。その上で事の重大さを踏まえて答えたはずだ。ヒロシィにもそれは伝わった。


「クマモンまでは全速力で飛行しても一時間かかるわ。往復で二時間」

「緊急事態なのですよ。マガリナ様もお許しになる……と思うのですよ、多分」


 ヒロシィたちは互いを納得させ合いながら、魔王城の庭園にある女神像を目指すことにした。


「ここはどうする? 空けておくと魔物の残党が入り込むかもしれない」

「私が外側からア・カーンをかけて最後の間を封印するわ。魔神官も倒したし、解除できるぐらい高位の魔法使いは、もう魔物側にはいないと思う」

「そうだな、とりあえずそれでいこう。あれ、ラカン。着替えるのか?」

「一応、魔王城の外だからな。まだ今後どうなるかも分からんのに、城の外でウロウロしているのを偶然やってきた他の勇者一行に見られたら面倒になるかもしれん。ないとは思うが、お前たちも変装ぐらいしておけ」


 魔法の袋からわざわざ全身鎧を取り出して着込み始めたラカンの言葉に、なるほどと納得し、ヒロシィたちも装備を変更した。ヒロシィはフルフェイスの兜でラカンと同じように顔を隠し、ウェルウェラは地底湖の精霊から貰ったもののサイズがぶかぶかで着られなかった水の衣、テルモアはパジャマ兼寝袋として愛用しているキラーベアの着ぐるみを着用した。


 一度だけ玉座を振り返ったが、魔王の死体は座ったままだった。宿敵とはいえ、こんな形で別れることになろうとは。少しだけヒロシィの胸に憐憫れんびんの情が湧いた。


 ヒロシィたちは最後の間を出て、ウェルウェラが最高位封印魔法ア・カーンをかけることで現場を保存した。もっとも、地下3階最奥部にある最後の間に至る道は一本道のため、魔物とすれ違えば分かる。各部屋も貴重な宝はないかと調べまわった上、そもそも途中でエンカウントした魔物は全て倒している。魔物側としても、少しでも勇者一行の体力を削ろうと最後の精鋭たちが一丸となって襲いかかったのだ。文字通り最後の砦となるこの地に、逃げ隠れるような忠誠心の低い魔物はいない。


 やはりというべきか魔王城の庭園に辿り着く間、一匹の魔物とも遭遇することはなかった。城内は静まり返っていた。本当に全滅している可能性が高い。毒の噴水の中心に設置された女神像の前に立ち、四人は横一列に並んだ。


「さて、来る途中で見かけはしたが、あらためてこれは酷いな」


 ラカンがしげしげと女神像を見上げる。ヒロシィも同意見だった。女性陣二人は完全に引いている。

 この世界の創造主、女神マガリナは教会の信仰を受け、その女神像は各地に設置されている。どれもポーズは決まっていて、両手を腰のあたりで広げ、対峙する世界の全てを受け入れるような慈愛に満ちた姿勢で直立している。マガリナ聖教会に伝わる聖書に由来するのだと一度テルモアが説明してくれたが、ヒロシィは詳細を覚えていなかった。


 そのマガリナの女神像が今、目の前にある。

 天の羽衣は器用に砕かれて、一見して全裸。また、全身を金色の塗料で染められ、夕陽を反射して無駄に輝いていた。どこから手に入れたのか、国営カジノでコインと交換して入手できる布地の小さい水着を装備させられている。まるで荒れた高校の校長像のような惨状だが、何よりの極めつけとして、女神像の頬には現地の言葉で「メスブタ」と落書きされていた。手先の器用な魔物がいるものだな、とヒロシィは感心した。


「じゃあ、お呼びするか」


 夜になれば魔王城の外から新しい魔物たちが集まってくるかもしれない。戸惑いはしたものの、掃除している時間はなかった。


「マガリナ様……ああ、マガリナ様」


 テルモアが小さな体躯を折り曲げ、一心不乱に女神像に祈りを捧げていた。キラーベアの着ぐるみさえなければ、敬虔な少女のように見えたことだろう。異世界からやってきたヒロシィや、あからさまに信仰心の薄いラカン、ハーフエルフとして大自然の精霊に重きを置くウェルウェラと違い、テルモアはマガリナ教の大聖女なのだ。マガリナの女神は本尊そのもの、崇拝すべき至上の存在だけに、テルモアの興奮度合いは凄まじかった。


「それじゃ、えーと、女神様ー! いらっしゃいますか!? 降臨願います! 女神様ー! かしこみかしこみー! 南無マガリナ! 女神様ー!」


 ヒロシィは大きな声で女神を呼び、二回柏手を打ち、一礼した。

 色々な宗教がごっちゃになっているが、女神を呼ぶ正式な作法というものをヒロシィは知らない。マガリナ教にも直接女神を降臨させる手順など存在しない。これはあくまで、女神によって転生を許されたヒロシィだからこそ可能なコンタクト方法である。


 テルモアたちはヒロシィが唱えた不思議な祈りを目の当たりにして、困惑した表情を浮かべたが、とりあえずはリーダーに倣って後に続き、ヒロシィの同様に柏手を打って一礼した。


「あれ、お留守かな。みんな、もう一度だ!」


 ヒロシィの号令に合わせて、仲間たちも息を合わせる。


「かしこみかしこみー! 南無マガリナ!」


 パンパンと二拍手一礼。


「声が小さい! もう一度!」

「かしこみかしこみー!! 南無マガリナ!!」


 この世界には存在しない不思議な祈りが魔王城の庭園に響き渡る。やがて、おごそかな調べと共に天から一筋の光が差し込み、女神像の瞳が輝き始めた。

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