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鹿島さくら

ワルプルギスの二次会

 魔界と人界じんかいの境目に立つバーのマスターは己の死線が近づいているのを感じていた。

 今年のワルプルギスの夜は5月1日木曜日。翌日5月2日から、現代日本の人の暦はゴールデンウイークに突入する。ゴールデンウイーク前夜はただでさえ忙しいのに、そこに酔っ払った魔女や悪魔、精霊たちが来るのである。

 カレンダーを眺め、マスターとバーテンダーはわなわなと震えてつぶやく。

「来るぞ、バーテンダーがカクテルを作る機械になる日が……!」


 当日5月1日、時間は夜11時。座席の8割が人間に占められている。残り2割は予約済みの札を置いていて、これから来るワルプルギスの夜帰りの客を迎え入れるためにとってある。そう広い店内でないのが救いだ。これがもっと大きな店なら今頃気絶していただろうな、などと不吉なことを考える。と、魔界側の扉が大きく開いて、燃える炎とハーブの香りが春の夜風と共に店内に入りこんだ。にぎやかな声も一緒だ。

「5人、入れるかしら? それから、あと3グループは来るみたいよ」

 来た……! 立ち姿も妖艶な女が5人。大きなとんがり帽子に帽子と同色のドレス、胸や耳には輝く星のようなアクセサリー。いつもよりひときわ美しく着飾った今日の魔女たちは今夜の主だ。彼女らを案内してからオーダーを取る。

貴腐きふワイン、あとチョコレートを」

「あいかわらず甘党ねぇ! 私はハーブを使ったロングカクテルを」

「辛口のモスコミュールで」

「ブルームーンをおねがい」

「ザクロを使った真っ赤なカクテルを頂戴」

 魔女たちはどこまでも機嫌が良いらしく、笑顔が絶えない。

 こういう忙しい時にはいかに素早く、しかし丁寧に作るかが勝負になってくる。ある意味で一番バーテンダーとして試されるタイミングだ。

 魔女たちにカクテルを出すと、その後にまた人でない角や羽の生えたお客がやってきて、案内しつつ人間のお代を受け取ると、人でない者と人間が入れ替わる形になる。それで、ようやく忙しさのピークが過ぎたころには日付がすっかり変わっていた。魔女たちはゆっくりと酒を飲みながらずいぶんと大人しく話している。別の魔界グループもワルプルギスの夜の興奮が落ち着いたようだ。

「今年も遠方の友人に会えてよかった。フースーヤの奴は泊っていくって言ってたな」

「マレッカとアイガロンが結婚とはね。マレッカは見た通りの悪女だから苦労するぜ」

「魔王陛下の冴えも相変わらずで何よりね」

「私、来年は辺境防衛魔女部隊よ。あの辺りは実家だから懐かしいけど何もないド田舎なのよね」

「陛下はここ最近よく人界に遊びにいらっしているようだけれど、だれかい人でもいるのかしら?」 

 ワルプルギスの夜は、魔界の者たちにとっては大規模な同窓会といった風情だ。友人たちの顔を見て、交友を温める。ついでに、魔界の秩序を司る魔王の顔も拝んでおく。そういう会らしい。

 お客が全て魔界の者になったタイミングで、魔界側の扉が開いてお一人様のお客が入って来た。角度や光の加減で色の変わる瞳や頬に残る大きな傷、浅黒い肌にうねりのかかった髪の毛、立派な体躯。ここ2年ほど頻繁にやってくる悪魔族のお客だ。何よりも特徴的なのは渦巻く乳白色の角で、金や宝石を使った見事な飾りが付いている。今日はなぜか、向こうが透けて見える程度の布をかぶっている。人間に奇異な目で見られないようにとの配慮だろうか、と思ったが普段はそのような事を気にする風はないのだ。そもそもほとんどの人間がここで出会った魔界の住人については忘れるというのに。

「こんばんは。今日もで?」

「あ、はい」

 とりあえずそのような疑問は封じ込めて、お決まりになってしまった挨拶をする。

 悪魔族というのは往々にして享楽的で陽気で社交的で物怖じしない性格だといわれるが、この青年はむしろ非常に穏やかで享楽的という感じはしない。話し方や仕草など、むしろ「控えめ」という表現がよく似合う。ウイスキーを出すと柔和な笑みと共に謝辞が返された。忙しさにかまけて洗えていなかったグラスを片していると、客の視線がこの悪魔族の彼に注がれていることに気が付いた。嫌がっているとかではなく、恐る恐る伺っているようだ。怖いもの知らずで、気になった人間に対しては老若男女問わず誘いをかける魔女たちまでそのように慎重なのが意外である。

 ハテどうしたのか、と思っていると慇懃な態度でどこまでも慎重に魔女の一人が話しかけた。

「あのう、よろしくて? こんな事を申し上げてもしも別人ならあなたにも陛下に申し訳ないし、ご本人であればこのようなご無礼もありませんけれど……」

 赤いスリットドレスに、長く伸ばした見事な赤毛、緑色の瞳が輝いている。開かれた胸に透明に光る宝石が彩を添えている。片手にはカクテル、ジャックローズの入ったグラス。話しかけられた青年はビクリと大げさに肩を揺らした。緑色の目から逃げるようにしてかぶっている布を引き寄せて恥ずかしそうにしている。これはちょっと止めるべきだろうか、とマスターが思っているととんでもない単語が飛び込んできた。

「もしかしてあなた様は我らが魔王陛下ではいらっしゃらなくって?」

 途端、他のお客たちが「よく言ってくれた!」「スッキリ!」という顔をした。なおも黙っているのは本人からの答えを聞くためだろう。

 青年はおずおずと布を外して消え入りそうな声で「はい……」と答えた。これだけ見ていると彼が叱られているみたいだ。黒い髪の毛をかき分けて、大きな角と飾りが華やかに光を上げる。

「陛下、魔王城で二次会をやっていたのでは?」

 一度心の席が決壊すると、あとはなし崩しだ。魔界の住人達は己が王にフランクに話しかける。

「一応最初は参加するのだけれど、私がいると気持ちよく楽しめないだろうと思って、最近は途中で席を外すようにしているんだ。にはいつも迷惑ばかりかけているから」

「スライム宰相閣下はどうにも運が悪いところがおありだ。魔王城で起こったトラブルの現場にどうにも居合わせてしまう体質らしいですからね」

「そうなんだよ……」

 純人間のマスターは「宰相ってスライムなんだ……」を筆頭に思うことも色々あるあり、唖然としてしまう。しかし、悪魔族というのも本当に色々だ。

「それにしても陛下もここの常連だとは」

 羽の生えたハーピーの男が爽やかな声色で言うと、温和な魔王はにこりと笑った。

「うん、半分は彼に会いに来ているようなものだよ。人間と話をするのも新鮮だしね」

 金や赤、紫などとりどりに輝く目が自身に向いたので、マスターは「恐れ入ります」と言ってただただ頭を下げるばかりだった。

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