仙台時代3 2018年11月06日(火)

 仙台に来てから、ここ数年の自分を振り返ってみたいと思う。


 まず、ウィングを辞めた後(あと)からだった。


 その後、競合他社のベガスベガスと言うパチンコ屋で清掃のアルバイトを一年やった。


 辞めた理由は一度だけ、同僚に怒鳴(どな)られたからだ。


 にしても私は一本余計にタバコを吸って休憩を誤魔化(ごまか)してずっと仕事してたんだ。


 休みたい、言えば休ませてくれる。仕事キツイ、言えば変えてくれる。


 あんなに特別優しくしてくれた企業はなかった。


 保険もかけて貰えた。辞めるって言わなきゃ辞めなくて良かった。


 でも、どうしても辞表を書いてしまった。


 それから、manabyに通った。4ヶ月だけかな。


 ここでは〇〇さんに初日に会ったとき、名刺にLINEのIDを書いて渡した。


 あとあと、ナンパだって言われて嫌われた。


 激昂(げっこう)して、manabyのホームページに何通もメールを送った。


 障害者支援の苦情センターにも問い合わせた。


 それが原因で干された。


 一方的に出入り禁止にして処罰したmanabyの対応は如何(いかが)なものかと思うが、原因は自分で作ったんだ。


 〇〇さん、死ねとか街中で叫んでしまってごめんなさい。



 そして、コンビニで働いた。ギックリ腰をして三日休んだ。でもシフト換算すると一週間かそれ以上休んだのかもしれない。それでも首にはされなかった。


 そこでもオーナーに怒られた。覚える仕事は多かった。


 半年過ぎて、このままじゃダメなんだと思い辞めた。


 これは俺のスタイルだから変えられないと言われた。なんか別の形で出会ってたらなと。助かりました。と言って貰(もら)えた。


 で、今のことは書かないとして、懺悔したい事は〇〇さんの事もだけど他にもある。


 国分町で朝方、屯(たむろ)してる外国人に喧嘩(けんか)売った事だ。


 でInstagramで録画したりした。外人め、日本人舐めんじゃねぇぞ。


 日本に居たら、お前らの事食ってかかる日本人だって居んだからな。そんな気分だった。


 難癖(なんくせ)つけただけだ。拙(つたな)い英語で。本当に外国人が「fuck」って言ってんの初めて聞いた。


 それを懺悔(ざんげ)したい。申し訳なかった。日本の事嫌いにならないで欲しいとその外国人に言い残したい。本当に、ごめんなさい。


 何もかも上手く行ってない時だった。その後、車を蹴(け)って警察に拘留(こうりゅう)された。


 それは国分町ではなくて地元長町でのことだ。子供を守るために視界に入った車にクラックション鳴らされて、怒って蹴(け)ったんだ。器物損壊罪(きぶつそんかいざい)として罪に問われたのは私の方だった。父が示談金を振り込んでくれて釈放されたが、警察にお世話になってみんのも良いもんだ。


 家畜みたいに拘留(こうりゅう)されて、私は随分(ずいぶん)、丸くなった。


 母が側(そば)に住むようになって、食事を世話してもらってる。おかげで太ったが今は平穏に暮らせてる方だと思う。


 その後かな、コンビニで働いたのは。


 話が前後したが、ここ数年はそれくらいかな。


 天皇陛下は明治に出来た、朝鮮からの海賊の末裔(まつえい)らしい。


 私の愛国心とやらも、どこに彷徨(さまよ)っていいのかわからなくなった。


 今夜はお酒でも飲んで寝ようと思う。


 これからはわからない。


 まだ自立の途上(とじょう)だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る