34才〜33才の自分へ 2018-12-15

 この一年、母が居たお陰(かげ)で平穏に暮らした。


 何かにつけて怒っていた32、33才とは違い、随分(ずいぶん)と丸くなった。


 でも、生き甲斐(がい)とか、その為に頑張るだとか、そう言うことはしなくなった。


 前は資格を取りたいって言ってた。


 Tシャツの三部作も作る予定だった。


 海外に行って泊まってみたいホテルもあった。


 ホテルで飲む冷えたシャンパンの味に憧れていた。


 ビールは飲まないし、最後に余った小銭で飲むビールの味も一生わからないだろう。


 山本耀司さんを尊敬してた。ファッションに対するパッションはいつもそこから生まれていたように思う。


 けど、全部引っ込めて、コンビニ店員として一生貧乏(いっしょうびんぼう)でも暮らす。


 自立することに照準(しょうじゅん)を合わせた。


 イラストレーターでTシャツを作る為に買ったパソコンなのに


 ネットサーフィンにしか使えてない。


 新しく挑戦する、勉強する、やり遂げる。全て放棄した。


 放棄したくなったのはなぜだろう。


 自分でもうまく説明できない。


 とにかく、安易(あんい)だが、普通の人として生きる腹積(はらずも)りができたって事だ。


 そして、仕事はコンビニにした。実家に帰ってもコンビニはあるからだ。


 今、4万5千円の家賃と月6万の生活費に、年金月6万5千円、そしてコンビニの収入がある。コンビニの収入は月3万5千円くらいだから、ほとんど10万強は親に面倒かけて暮らしてるって事だ。


 実家に帰れば、家賃が浮く、生活費はコンビニで自分で稼ぐ、年金もある。


 セレクトショップやデパートや映画館は無いけれど、年に数回しか行かないんだし、ほとんど、気晴らしにコンビニに散歩してコンビニでなんか買って、家で不貞寝(ふてね)してる生活。


 実家で暮らしても、仙台で暮らしても大差(たいさ)無い。


 ならば支出を減らす為に、実家に帰る事はとても利口な選択だ。親にかける迷惑が半分以下になる。


 資格を取るだとか、Tシャツ作りだとか、もうしないんなら実家に帰った方が良い。


 別に実家に帰ってもそれができないわけじゃないし、それ以前にする気がなくなったんだから。


 去年は今年の私に向けて手紙を書かなかった。


 こうして私は34才を迎えるにあたり、この一年を振り返ると女性の誘惑に勝てなくて、風俗遊びも直らなかった。


 母には内緒にしているが、月一回か二回は母が居ない時に女性を家に呼んだり、テレクラで擦(す)ったり、キャバクラに行ったりもした。月に2、3万は浮き金で遊んだ。


 でも、そんなお遊びしたって何も楽しくはなかった。


 罪悪感(ざいあくかん)と後ろめたさと、少しでも貯金しないとって遊ぶ分、節約に努めた事はあった。


 浮き金を浪費(ろうひ)するたびに、まとまったお金が入ったら、これからこのくらいは貯金しないとって、自分を毎月戒(いまし)めて、遊ぶ金が少なくなるように貯金してた。


 30万くらい貯まった。でも、フランスのマルタン・マルジェラが改装した五つ星ホテルに泊まろうなんてもう思わない。


 親と言うバックが居なくなった時の為にコツコツと貯金するだけだ。


 貯金は親が居なくなった後の生活費に回る事だろう。


 まぁ、情けないが、背中に背負(せお)ってた目標を放棄(ほうき)して楽になったと言う割に冴(さ)えない毎日を過ごしてる。


 母が作る食事を食べて、マスターベーションが寝る前のご褒美(ほうび)、コンビニに散歩に行くだけで、殆(ほとん)ど寝てる。現実逃避した日常だ。


 これから誰かと出会うとか、昔の仲間に会えるとか、そう言う事も無いだろう。


 つまらない人生を、つまらないと嘆(なげ)かずに、これが普通だと、何も楽しみにしないで生きて行く。


 私がし残してる事は親を看取る事だけだ。


 気仙沼に帰ったら、病院だけが変わるのか変えないのか、そこだけが心配だがもう、何にも期待していない。季節が巡っても、もう春はやって来ないだろう。


 それも甘(あま)んじて受け止めるんだ。自立できて無いんだから、経済的に依存(いぞん)して生きてんだから、胸張って女性とも遊べやしないさ。


 幻聴はもう、ノイズのような形で聞こえなくなった。


 私が幻聴体験の中で記した新元号は耕す、結うで耕結(コウユウ)だった。


 でも、今は功勇に変更した。功労の功に勇気の勇だ。とにかくコウユウだった。


 震災の時出会った少年達が眩しく見えて、こうたろう君とゆうたろう君だったから其処(そこ)からとったんだ。耕結だと(コウケツ)と読むかもしれない。そんな事には幻聴当時、思いも至(いた)らなかった。


 来年には新元号が発表される。


 きっと違う元号になるだろう。


 そして、私の幻聴体験はやはり幻だったのだと終わるのだ。


 万が一、当ててしまったら、一時的にこのブログが脚光(きゃっこう)を浴びるかもしれない。


 私の遺書としてるプロフィールも大勢の方の目に触れる事になると思う。


 だとしても、幻聴体験は、素晴らしい事だけじゃなく、人が何人も犠牲になったし、いよいよ、大震災を起こしたのは自分だと言うことが明白になる。


 その後少し有名人になった私は、一体どう言う人生を辿(たど)るのか、想像に絶するし、彼女との悲しい痛みも現実にあった事になってしまう。


 彼女とは今生(こんじょう)の別れを済ましたんだ。またいつか会いたいだなんて、元号が当たって彼女の全てが詳(つまび)らかになって、一緒に暮らせないだろうかなんて甘い妄想(もうそう)も抱(いだ)く事はある。


 けど、もう会えないんだろう、本当は。


 元号が当たるなんてあり得ないと思う。


 私は低賃金でも、出勤日数を増やして、月10万稼いで、年金と足して


 月16万前後で、実家暮らしをのんびりする事に将来を設定した。


 後(あと)はどうでも良いんだ。恋も結婚も、できるならしたいけど、もうできないと思っている。


 来年の今頃はどうしているだろう。1日で良い。出勤を増やせていたら良いな。


 実家に帰ってからでも良いか?まぁそんな所だ。

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