気仙沼時代22 2014年10月09日(木)

 そうこうしてるうちに私は28才になる。この年が一番複雑な年になった。


 私は奪い取ったお金でTシャツを作ろうとは思わなかった。自分から富を得るなら自分で膨(ふくら)らましたお金を使いたかったのかも知れない。勉強は、まだ2年後を目処(めど)にしていたから焦りもせず、スケボーをダイエットがてらにやりながら、プー太郎の毎日だった。



 でもそんな静寂(せいじゃく)はある夜に破られた。私の実家は自動車学校の跡地が目の前にあるのだがそこでどう考えても殺人事件が起きたからなのだった。


 霧雨(きりさめ)が辺りを覆(おお)い、夜の帳(とばり)も明けかけた薄暗い夜明けに、絶命を伝える断末魔(だんまつま)の叫びが谺(こだま)した。


 叫んだのは男か女か、子供か大人かも判別がつかなかった。ただ、死の恐怖に耐え、怯(おび)え、もうその死を受け入れるしかない降伏(こうふく)した最期(さいご)の叫びだった。悲しく悲しく絶叫(ぜっきょう)が響いた後(のち)、もの凄い轟音(ごうおん)でピストルが撃ち抜かれた爆音(ばくおん)が響いた。


 私は何が起きているのかさっぱりで、庭に見に行こうとしたが母が止めた。私の方でも怖くて止めて欲しかったのだ。ただ、母の腕(うで)に抱(いだ)かれて、母が何でも無い、何でも無いと宥(なだ)めてくれるのをそばで聞いていた。


 明くる朝、庭に出てみると、見覚えがない車が一台停まっていた。


 私は電車に乗って面接を受けに行く所だったからその朝現場を通ったのを克明(こくめい)に覚えている。


 自動車学校には保険会社が入って借りの営業所になっていた。


 そして、自動車学校はその保険会社の人たちの駐車場にもなっていたのだ。



 私は誰が死んだのかがはっきりしないことに恐怖を覚えていた。まさかではないが彼女が連れられて来て、私の一件に対して腹いせでヤクザが報復(ほうふく)してきたのではないかと不安が不安を呼んで、耐えられなかったんだ。


 私は防災と書いてある、首都圏の電話番号にかけて、庭でどうやら人が死んだようだ。


 保険会社が入って来てから怪しかったとか、アダルトサイト内の援助交際斡旋所(えんじょこうさいあっせんじょ)で想い人がケーキを齧(かじ)ってたところを見たとか、いったい、彼女はどうしているんだろうかと殺されてはいないか調べて欲しいと、自分の住所と名前を言い、彼女の住んでる海辺の街と名前を伝えてしまった。


 訳(わけ)の分からない支離滅裂(しりめつれつ)なSOSにしかならなかったが明くる日に電話が大音量(だいおんりょう)で鳴(な)った。もしかして電話の答えが返って来たと思い、受話器(じゅわき)に手が伸びるが、そこで父が「どぉれぇー(貸せ)。」と威圧的(いあつてき)にいつものように柄悪(がらわる)く振る舞ったのだ。


 私はそれで慌(あわ)てて、話すのボタンではなく、切るのボタンを押してしまったのだ。



 この間違いは後(あと)から悔やんでもどうしても取り返せなかった。それだけに間の悪い父が憎くて憎くて仕方がなかった。もう一度電話は来る事はなく、私は心配したまま、悪戯(いたずら)に毎日を消費することになる。

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