第94話 総力戦

 状況はほぼほぼ動いていなかった。吹き飛ばされていたレナートがどうにか体を起こしており、リエーフさんは窓辺にいたけど、フェオドラさんは動けないようだ。怪我が酷いのかもしれない。


 ミハイルさんが窓辺に降り立つ頃には、皇帝は全員と距離を取った場所にいた。向こうに魔法というアドバンテージがあることを考えると距離がある方がいいのだろう。


「さて……ごたくはもういいな。俺も、もう手段は選ばん。全力で行くぞ」

「指輪を使ったのか」


 皇帝が手を掲げ、そこを中心に光が収束していく。


「……無駄なことを。自傷技だけでまだ勝てると思っているのか」

「手段を選ばんと言っただろう。生憎、魔法ならば俺も使える」


 ――そんなはずはない。ミハイルさんが魔法を使ってるのなんて見たことないし、使えると聞いたこともない。

 皇帝の手に集まった光が炎に変わって燃え盛る。その火炎を見ても、チリチリと肌に伝わる熱量を感じても、ミハイルさんは怯むことなく、淡々と言葉を紡ぐ。


「貴様の因縁の相手は俺だけじゃない。来い――」


 巻き起こった火炎が皇帝の手を離れてこちらに向かう。その熱から庇うように片手で私を抱き寄せながら、だが避けることはせず。代わりに右手を掲げて、彼は叫んだ。



「――レオニート!」



 その名が喚ばれると同時に、輝く金色の盾が私たちの前に広がった。それに触れると同時に、たちまち炎が掻き消える。


 驚愕に見開かれた皇帝の目に、白い影が揺らめいた。


「遅いよ、伯爵」


 不敵にそう口にして、故ロセリア国王――レオニートが姿を現す。


「できれば貴様の手は借りたくなかった」

だっただろう。ま……喚んだことには感謝しよう。さて……ミロン・プリヴィデーニ。私は賢者本人ではないが、その記憶を持つ者として過ちは清算しておきたい」

「く……死人が邪魔をするな!」

「君に言われる筋合いではないね!」


 初めて皇帝の顔から余裕が消えた。

 皇帝の両手から再び炎が生まれてレオニート国王を包み込むが、彼が手を一振りすると嵐が巻き起こり、その炎を飲み込んだ。同時に皇帝の頬が浅く裂けて血が飛び散る。


 でも――皇帝の武器は魔法だけじゃない。忌々しそうに顔をゆがめる彼の周りに無数の死霊が姿を現し、私はとっさに左手を握り締めた。


「よせ、ミオ」

「止めないで下さい」

「もう止めはしない。だが今は待て」


 皇帝と国王が交戦し合っている隙を見て、ミハイルさんが私を床に降ろす。そしてボロボロになったタイを片手で緩めながら、駆け寄ってきたリエーフさんに視線を投げる。


「リエーフ」

「はい。ミオ様はこの命に代えても守ります」

「命に代えずに守れ。当主命令だ」


 それ以上やり取りの暇はなかった。死霊達が一斉にこちらに襲い掛かる。

 私たちの前に立ち、ミハイルさんが左手を掲げて血を操り、死霊たちを散らす。その傍ら、右手を掲げて叫んだ。


『来い――レイラ、エドアルト、アラム!』


 声に答えて、呼ばれた三人がその場に姿を現す。

 私に分けた命を少し返したとはいえ、傷が治っているわけじゃない。自傷の必要がないほど出血し、それで死霊を蹴散らしながら、三人同時に呼びつけるなんて無茶なんじゃないだろうか。

 だけど彼の表情に苦痛は見えず、いつも通りの不機嫌な顔で、いつも通り三人の前に立つ。


「たった三人ごときでどうする気だ? こちらにはいくらでもいる!」


 国王を牽制しながらも、皇帝がこちらを見て哄笑する。それには目もくれず、ミハイルさんはレイラ達に順に視線を走らせた。


「……すまないがその魂、俺に預けてくれないか」

「律儀だね。聞かなくとも、ぼくらは元々当主のものなのに」

「私に従え! 私とてプリヴィデーニ家当主だ!」


 肩を竦めたアラムさんに、皇帝が尚も言葉を挟む。それを冷ややかに見ながら、アラムさんは遮られた言葉を継いだ。


「『だった』だろう。エドアルトから事情は聞いた。色々言いたいことはあるが、一つだけ訂正しておくよ。ぼくらはね――」

「当主のものではなく、僕らの魂は僕らのものだ」

「だけどあたしたちは、あたしたちの意志で力を貸すのよ。当主ではなくミハイルにね」


 そう言い切ったレイラたちを見て、皇帝が信じられない、という表情をする。


「馬鹿な! 死人に意志などない!」


 皇帝がそう叫んだ途端、無数の光の矢が降り注ぎ、叫び声は苦悶のそれへと変わった。


「よそ見してるからそうなる」


 腕を死霊に食われながらも、金色の目を不敵に光らせ国王が笑う。だが傷を負った皇帝がその血を刃へと変えるのを見ると、笑みを消して再び身構えた。


「……さぁ、日和るなよ、坊」

「僕らの気持ちは決まってるから大丈夫」

「ミハイル、アンタは歴代当主の中で唯一、あたしたちを生者と同様に扱った。統べるべき霊に対してアンタのその優しさは間違いだったわ。だけどだからこそ……あたしたちは、貴方の力になりたいと思うのよ」


 レイラが微笑む。いつか見た、とてもきれいな笑み。

 その笑顔を見て、ミハイルさんの表情に見えていた僅かな迷いが完全に消えた。


「礼を言う!」


 吹っ切れたように叫ぶ、彼の漆黒の瞳が赤く染まる。


『我が元に下れ、傀儡よ!!』


 その体中から伸びた血が、糸のようにレイラたちの体を縛り上げる。その途端にレイラたちの姿も変わっていく。目が血走り、口が裂け、咆哮を上げて襲い来る死霊たちに食らいつく。

 だけど、皇帝の操る死霊は数が多い。レイラ達をやり過ごしてミハイルさんに食らいついていく死霊を見て、いつでも力を使えるように左手を上げる。


「まだだ!!!」


 ナイフを抜いたミハイルさんが、それを迷わず自らの首にあてがう。吹き出す血が皇帝の操る死霊を絡めとっていく。今まで私たちに襲い掛かろうとしていた死霊たちが苦悶の声を上げ、血の糸に操られて皇帝へと襲い掛かる。


「な……んだと!!」


 一斉に食らいついてくる死霊を見て、皇帝が叫ぶ。その一瞬の隙をついて、国王が手を振り下ろした。その軌跡が光の刃となり、皇帝の体を貫いた。


「くっ……まだ終わらんぞ! この国にめぐらせた生命エネルギーは全て私の生命力に――」


 その瞬間、部屋の中に銀色の光の筋が駆け巡った。


「これ以上魂を弄ばれちゃ、イスカの沽券に拘わるんでな」


 よく見ると、部屋のあちこちに護符のようなものが張られている。光はそこから出ているようだ。この銀色の光は……レナートの。

 死霊たちが動きを止めて、苦しそうに悶える。


「この部屋を浄化したが長くは保たん。今のうちに早くなんとかしろ、ミハイル!」

「邪魔をするな!」


 国王の魔法をもろに受けながらも、皇帝がレナートに向けて光の刃を放つ。だがそれが彼を貫く前に、フェオドラさんがレナートを突き飛ばした。光がフェオドラさんの肩を抉り、血が飛び散る。


「まだ体を張ることくらいはできるぞ……!」


 血と汗で汚れながら、フェオドラさんが凄惨な笑顔を見せ、持っていた剣を皇帝に投げつける。


「そんな原始的なもので――」


 あざ笑う皇帝の笑顔が消える。フェオドラさんが投げた剣に隠れるようにして、ミハイルさんが血の刃を打ち込んでいた。


『捉えよ!』


 その隙を逃さず、ミハイルさんが血の雨を降らす。体中を貫かれて皇帝の体が崩れ落ちる。


「この器が……壊れても、我が魂は……、救えるまでは……赦されるまでは、逝けん……」


 血飛沫を舞いちらせ、倒れながら、皇帝の目が私を向く。


 その目は――凪いだの夜の海のように穏やかで、悲しくて、優しくて……慈愛に満ちていた。

 

「……もう、やめましょう。もうとっくに、『私』は救われています」


 その目を見た瞬間に、言葉が滑り落ちていた。

 立ち上がる私を止めようとするリエーフさんに首を振り、大丈夫だと微笑みかける。


「……奥様……?」


 問いかけるリエーフさんに小さくうなずいて見せてから、力の入らない足を引きずって、私は歩き出した。


「私は、あなたを恨んでなんかいません。だから、もう苦しまないで。魂に縛られるのはやめて。一緒に逝きましょう……ね?」


 呆然と佇むミハイルさんの隣を通りすぎて、皇帝の側に膝をつく。指輪から溢れ出した光が、私と皇帝を優しく包み込んだ。


「あぁ……すまない。すまなかった。お前たちを守れなかったどころか、私は……長い間、魂までもを苦しめた……」

「いいんです。ありがとう。私もあの子も、あなたのおかげで幸せでした」


 微かな音がして、左薬指にあった感覚が消える。その光が収まる頃には、あまりにも呆気なく皇帝の姿は消えていた。


 崩れ落ちるように倒れる私を、ミハイルさんが受け止める。レイラたちが元に戻っているのを見て、ほっとした。もう指輪はなくなってしまったから。


「ミオ……か?」

「さっきから私ですよ。上手くいって良かったです」


 恐る恐る問いかけてくるミハイルさんに笑って見せる。


「……まさか演技だったのか?」

「さあ、どうでしょう。でも上手くいったからいいのよ。ね、レイラ?」


 首を起こしてレイラの姿を探す。彼女は思ったよりもすぐ傍にいて、きょとんとした顔をした。だけど、すぐに思い出したのだろう。私の手を取って、呆れたように笑った。



「さすが、死霊使いの花嫁ね」

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