第24話 ミオの葛藤
部屋に着くと、リエーフさんはミハイルさんをベッドに横たえ、すぐに退室して行った。
看護と言われても何をしていいのかわからず、ベッドの脇に立って様子を見ていると、右手首に包帯が巻かれていることに気が付いた。夕方にはしていなかったはずだ。
力を使うには血を使うと、リエーフさんは言っていた。ライサたちがおかしくなったときも確かに血を操っていたように見えた。あのときは怪我で流れた血だったけど、扉を開けるためだけならば攻撃してくる相手はいない。だったらこれは……リエーフさんか、自分でわざとつけた傷なのだろうか。
怪我を負うという結果には変わりないのかもしれないけど……なんだか痛々しい。血のにじむその包帯に指先で触れると、ミハイルさんが微かな呻き声を上げた。
「ミハイルさん、気が付きましたか?」
手を引いて声をかけると、彼はゆっくりとベッドから起き上がってこちらを見た。
「……なんでお前がいる」
「リエーフさんに様子を見ているよう言われました」
「あいつの言うことにいちいち従わなくていい」
「でも、それも仕事と言われましたので」
「お前の仕事は掃除だろう」
「そうですけど……心配だったので」
私の返事に、ミハイルさんは怪訝な顔をした。だがすぐに何かを察したように、目を逸らす。
「見ていたのか」
「扉を開けるところなら」
「だから言っただろう。あれはお前が考えているようなものではないと」
「なら、ミハイルさんは扉の中に入ったんですか? 扉を開いて、幽霊を閉じ込めただけではないんですか? だったら中に何がどうなっているかはわかりませんよね」
「それはそうだが……」
声に、少し苛立ちが混じる。
「わかっています、可能性がほとんどないことなんて。でもゼロじゃない。だったらあそこに私の望むものがあるかもしれないと……そう考えるだけで救われるんです」
「気持ちはわからなくもない。だが扉にはもう近づくな……、曰くつきだとわかっただろう。聞こえなかったのか?」
「ちゃんと聞いています」
「そうじゃない」
ますます焦れたように、ミハイルさんは前髪をかきあげて額を押さえた。
「扉から、封じられた幽霊たちの声が聞こえなかったのか」
絞り出すようなミハイルさんの言葉は、予想だにしないものだった。だって地下はとても静かで、リエーフさんの声以外は何も聞こえなかったから。
「……いいえ。ミハイルさんには聞こえるんですか?」
「屋敷のどこにいても聞こえる。憎悪、怨嗟……あらゆる負の感情がこもった声が、いつも耳から離れない」
それは……考えただけでゾッとする。そんな声が四六時中聞こえていれば、そりゃ幽霊嫌いにもなるだろう。かける言葉が見つからず黙る私の目の前で、ミハイルさんの体がふらりと傾く。反射的に手を伸ばしたが、彼はそれを拒むようにベッドの背にもたれた。行き場のなくなった私の手に視線を当てて、再びミハイルさんが口を開く。
「……その指輪は当家に伝わるもので、どの程度力を引き出せるかも使用者に依存する。それを身に着け続けていれば、いずれお前にも聞こえるようになるかもしれん……そうなる前に屋敷を出た方がいい。世界を探せば他にもお前の居場所はあるだろう」
確かにそうなのかもしれない。だけど、今はそれよりも……
今まで当主の仕事をしなかったミハイルさんが、急に扉を開ける気になったのは――もしかして、私がここにいるから、なのだろうか。幽霊たちが私に危害を加えないように、ミハイルさんは今までにもいろいろ動いてくれていた。だからリエーフさんは私を引き留めたいんだ。何かと私とミハイルさんをいい感じにしようとしているのも、きっと逃げ道を塞ぐため。
私は……利用されているのかもしれない。
「……考えて、みます」
いつも忠告を突っぱねてきた私だが、このとき初めて、力なくそう答えたのだった。
* * *
ミハイルさんの部屋を出ると、扉の傍に控えていたリエーフさんがこちらを向いた。
「目が覚めたようですね」
「リエーフさんが私を引き留めるのは、ミハイルさんに当主の仕事をさせたいからですか?」
単刀直入に問いかける。唐突な質問に、リエーフさんは動じることなく私を見下ろす。
「そうですね。それは否定しません」
そして、悪びれもせず肯定する。私は床に視線を落として呟いた。
「私、ここを出ていこうかと思っています」
「わたくしにそれを引き留める権利はありません。……ですが誤解しないで下さい。わたくしはご主人様がここを出ていくと言うのなら、それも引き留めるつもりはないのです」
再びリエーフさんを見上げると、彼は優しく微笑んだ。いつもよりも温かみのある、慈しむような笑顔に少し驚く。
「結局ご主人様は、屋敷を捨てることはできないのです。かといって、巻き込むことを厭って人と睦み合うこともない。あの方はお優しい方ですが、優しすぎるが故に決断することができません。このままではご主人様が選べる道は、幽霊たちと共に朽ちていくことだけです。それではあまりに寂しいではありませんか」
私はてっきり、リエーフさんは執事としてお屋敷を守るため、嫌がるミハイルさんに職務を強いているのだと思っていた。私はそのために利用されているのだと。
リエーフさんの言うことに嘘はないように思える。ミハイルさんは今すぐ出ていきたいと口では言うけどそうしない。幽霊嫌いと言いながら幽霊を傷つけることはせず、死霊使いとしての力を持ちながら、使うのはもっぱら幽霊除けくらいだ。扉を初めて開いたというのも、幽霊を人として扱い、封じることを哀れと思っているからだろう。
ミハイルさんは優しい。でも、その優しさは、責任から逃れるための優しさだ。……今の私がそうであるように。私が屋敷を出ようとしているのだって彼のためじゃない。ただ、他人の人生に関わりたくないだけ。
「貴方を利用していることに間違いはありません、ミオさん。でも貴方なら、屋敷をかつてのように栄えさせてくれる気がしてならないのです」
「それは買いかぶりです。私にはできません」
「でも、貴方だって見てきたでしょう。キレイになった屋敷を見て喜ぶ幽霊たちを。ぬいぐるみを直してもらって喜ぶライサを。庭の花が咲いてエドアルトも元気が出たし、あの変わり者のアラムでさえ、研究の結果できた洗剤がミオさんの役に立って楽しそうにしていた」
「だけど、私にできることはそんなことくらいで」
「ミオさんにとっては……生きた人間にとっては些末なことかもしれませんが、我ら幽霊にとっては大事なのですよ。わたくしたちには睡眠も食事も必要ありません。屋敷を出ることも人や物に触れることもできず、ただ存在しているだけで何を楽しめるというのです? 深く考えず忘れることで正気を保てていますが、いつ負の感情に囚われてもおかしくないのです」
「リエーフさんでも、ですか?」
「もちろん。わたくしも久方ぶりにわくわくしているのです。貴方が部屋をひとつキレイにするたびに」
そんな風に言うのはずるい。掃除にかけてはプライドがあるからこそ、私の仕事で喜んでくれる人には弱い。……わかっていて、リエーフさんがそう言っているのだと、知っていても。
「屋敷が栄えていた頃は、使用人も多く、屋敷には笑い声が溢れ、人も幽霊も共に楽しく暮らしていました。しかし、屋敷が荒れれば幽霊も荒れる……、ミオさんが来ていなければ、もっと多くの幽霊が扉の向こうへ行ったことでしょう。それでもミオさんが去るというのならわたくしは止めませんが……」
止めないと口では言いながら、出ていきづらくなるようなことをつらつらと並べ続けるリエーフさんに、私は深い溜め息を吐き出した。
「……わかりましたよ。出て行かなければいいんでしょう」
「ミオさんならそう言って下さると思っていました!!」
両手を組んで、今までのしんみりしていた顔から一転、満面の笑みを見せてリエーフさんがにじり寄ってくる。
「やっぱり利用されてる気がする……」
「だから、それは否定しないと言ったでしょう。でも、わたくしも扉の奥に何があるかは知らないのです。魂だけの幽霊を封じ込めるような得体の知れない力なら、時空をゆがめてミオさんの世界へ繋げる力もあるかもしれませんよね?」
それはちょっと強引すぎると思うけど……、でも、そうじゃないと否定するだけの明確な根拠がないのも確かなのだ。
「さあ、ミオさんもお疲れでしょう。お腹は空いていませんか? なにかお夜食を作りましょうか」
そしてまんまとリエーフさんの口車に乗せられ、私はもう少し屋敷に滞在することにし、ついでに夜食も頂いたのだった。
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