第20話 ミオとミハイル
ミハイルさんの私を見下ろす目は厳しい。いつものことと言えばそうだけど、いつにも増して鋭い気がする。そしてその目は、正確には私ではなく、私が持つ本に注がれている。
「もうこれ以上首を突っ込むな。これは忠告ではなく、警告だ」
でも、と私は抗議の声を上げた。
ライサとは和解できたし、他の幽霊たちともそれなりにコミュニケーションを取れるようになった。掃除もだいぶ捗るようになって、お屋敷も少しずつ綺麗になってきた。
だけど、私の目的はもう一つある。
「好きにしていいと、ミハイルさんは言いました」
「それはここを出るか否かに対してだ。……大体、これ以上何が知りたい」
「地下の開かずの扉について、です」
正直に答えると、ミハイルさんは意表を突かれたように、開きかけた口を閉じた。ややあって、再び口を開く。
「あれは……ただ古くて開かないだけだと言っただろう」
「でも、何があるかわからないなら」
「異世界に繋がっているとでも? そんな馬鹿げたことがあるはずないだろう」
「なら異世界人の私は、ミハイルさんにとってさぞ馬鹿げた存在なんでしょうね」
黙って成り行きを見守っていたライサが、口元を押さえるのが視界の端に映る。それを見て、少し冷静になれた。彼がこういう言い方しかできない人ってわかってるつもりなのに、また口答えしてしまった。
「……すみません。忠告に逆らっていることは理解していますが、気にせずにはいられませんでした」
「いや、俺の失言だった。すまない」
皮肉の一つ二つ返ってくるものと思っていたのに。
思わぬ謝罪に驚いて、言おうとしたことを忘れてしまった。
その間に、ミハイルさんが私の前を横切ってライサを見上げる。
「ここに入ることは禁じないが、遊び場だと思われても困る」
「何よ。あたしに命令するのは――」
言いかけて、ライサが口を噤む。気が付いたのだろう。別にミハイルさんは命令はしていないのだ。
「アンタのそういうところ、大嫌い」
そう言い残して、スッとライサが姿を消す。
すると、ミハイルさんは片手を上げて何事か口走った。この世界の言葉が通じるはずなのに、何と言っているかは聞き取れない。
「……幽霊避けの結界を張った」
手を下ろすと、ミハイルさんが呟く。
「ミハイルさんのその力って、魔法とは違うんですか?」
ライサにしたのとおおよそ同じような質問を、ミハイルさんにもぶつけてみる。
「自分にない力を魔法と呼ぶなら、大差はないかもしれんが。原理の話をするなら全く違う」
と言われても、難しくてよくわからないけど……例えば同じお湯を沸かすにしても、ガスで沸かすか電気で沸かすかでは方法が違うというのと同じようなものかな。
「俺の力は幽霊を管理するためだけの力に過ぎん。この屋敷の直系のみに受け継がれる、死霊使いの力だ」
「死霊使い……」
「魔法は生きる者のために使われる。真逆の力だと言っていい」
軽く手を握りしめ、そう続けるミハイルさんの表情には、心なしか憧憬が見えた……気がした。
魔法を嫌う幽霊たちと違い、ミハイルさんはたぶん、魔法や外の世界に憧れがある。彼の物言いには節々にそれが現れている。表情も言葉も少ないからこそ、そういう些細な場所で彼の本心が現れていると思うのだ。
「あの扉には触れてはいけない。この幽霊屋敷が何故幽霊屋敷なのか、その理由も同様に禁忌だ」
「それはどうしてなのですか?」
「国や民にとってそれが望ましいからだろう。この古い伯爵家を排除しようとした時代はあっただろうが、それが成されたことはない。いつしか民はこの屋敷を恐れるようになった。その畏怖が、この地に平和と秩序をもたらしている――と、リエーフはよく言っているな」
その話は私も聞いた。そのときも思ったことを口にする。
「そんなの、おかしいです。ミハイルさんも幽霊たちも、知らない外の人達のためにここに縛られ続けるなんて」
「死者より生者が優先されるのは当然のことだし、俺も伯爵家当主の務めと言われればそれまでのことだ。政治や社交に忙殺される他の王侯貴族から見れば、むしろ気楽なものさ」
「でもミハイルさんは、屋敷を出て自由に生きたいんですよね?」
感じていたことを、またそのまま口に出してみる。
ミハイルさんは驚くだろうか、それとも不機嫌な顔をするだろうか。しかし実際はそのどちらでもなく。
「ああ。お前が元の世界に戻りたいようにな」
「そんなこと……言ってません」
「だが思っている。顔に書いてあるぞ。元の世界に戻りたくて仕方ない、寂しい辛いとな」
決めつけた言い方をされて、さすがにムッとする。明らかに馬鹿にされている。そんなことを顔に出したことなんて一切ない自信があるから、私も負けじと言い返す。
「ミハイルさんだって。外に出たい魔法が使ってみたくて仕方ないって顔に書いてあります」
「その通りだ」
あのプライドの高そうなミハイルさんからの思わぬ返事に、私は思わずポカンとした顔をしてしまった。そんな私を黙って見下ろす彼の意図に気付いて目を逸らす。
「……ずるいです。それじゃ私も認めなきゃいけなくなるじゃないですか」
「どうせ当たらずしも遠からずだろ」
「突然知らない世界に放り出されたら、普通はそう思うでしょう」
「普通はもっと取り乱すんじゃないか。『なぜ自分が、どうしてこんなことに』くらい思うんじゃないのか。こんな曰くつきの屋敷で掃除するしか生きる術がないなら尚更だ」
「……何が言いたいんですか」
目を戻して、声が裏返った。だって、こっちを見つめる視線が、さっきよりもすぐ傍にあったから。
「お前のことは、表情のない冷たい奴だと思っていた。幽霊にも動じないし、俺に対して恐れるでも敬うでもない。尊大でプライドが高そうな奴だ……とな」
全力で「お前が言うか」と言いたいくらい、私のミハイルさんに対する印象と同じである。しかし距離の近さに動転して、言い返そうにも言葉が出ない。
離れようと後ずさった踵が本棚にぶつかる。
勝手に熱くなろうとする顔を両手で隠して、うまく回らない舌を必死に動かす。
「あの、ちょっと離れて……ッ」
「見透かしているつもりならお互い様だ」
背けようとした顔を掴まれて、悲鳴が出そうになる。
わざとだ。やっぱりバレてたんだ。庭の果実を取ってもらったときだ。あのとき、傷を診てくれようとしたミハイルさんに動揺してしまったのを。
「ち、違うんです……その、今まで周りに歳上の男の人っていなくて、ちょっと苦手というか緊張というか、とにかく慣れてなくて!」
経験や慣れがあればハッタリも効く。けどそれだけの話で、私は器用な人間じゃないから、そうじゃないことにはてんで弱いのだ。その自覚があるから冷静でいようとしてるだけで。
必死で言い訳めいたことを叫んでいると、ふと手が離れ、自由が返ってくる。ようやく息をついた私から、ミハイルさんが体を離す。
「……そうか。それはすまん。……ふっ」
「今、笑いましたね……?」
恨みがましい目を向けると、彼は取り繕うように口元を押さえた。
「いや、悪い。だがてっきり脅えているものかと思っていた。いいことを聞いたな」
「……っ、すみません! 誰かと違って婚約者がいたりしなかったので!!」
「全部破談だぞ。嫌味か」
一転して、ミハイルさんが不機嫌な顔に戻る。
「……全部?」
気になった箇所をとらえると、彼はさらに渋い顔をして背を向けた。どうやら彼も口を滑らせたらしい。
「一度目は話が出た時点で発狂した。二度目はこの屋敷で起こる奇怪なことに耐えられず逃げた。三度目は俺の力に脅えて去った。まぁ妥当な判断だ」
余計なこと聞いてしまったな。触れられたくないことだったろうに、話してくれたのは……私が弱味を見せてしまったからかもしれない。だとしたら律儀な人だ。そのぶん、自分の弱味を差し出すことなんてないのに。
「いただけいいじゃないですか。私はいたこともないですし」
「……ほう。てっきり待つ者がいるから帰りたいのかと思ったが」
「それはそうです。家族はいますし」
答えると、彼はこちらを振り向いた。その目には羨望の色があったが、それにも気が付かないふりをする。
「そうか。ならあまり強がるのはやめておけ」
その目を伏せて、ミハイルさんがポツリと呟く。
「辛い気持ちに蓋をせねば動けない時はある。しかしそれだけでは、やはりいつか動けなくなる。泣きたいときくらいは泣いた方がいいぞ。でないと、落としどころを見失う。俺のようにな」
……薄々気が付いていたことだけど。
私とミハイルさんは、少し似ている。
だからミハイルさんはこんなことを言ってくれるし、私にもなんとなくわかる。
両親を失ったときも、愛する人に去られてときも……きっとこの人は、泣かなかったんだろう。
「別に、泣く必要はありません。だって、帰れないって決まったわけではないから」
「頑固な奴だな。あまり意地を張りすぎると……」
「意地なんて張っていません。住むところがあって仕事がある。それに、心配してくれる人もいます」
「俺は、別に心配などしてない」
ムスッとしてミハイルさんが腕を組む。あまりにも予想通りの反応だったので思わず笑みの零れる口元を抑えていると、コツンと頭を小突かれた。
「何を笑っている。雇い主をあまり小馬鹿にするのは賢くないと思うがな?」
「小馬鹿になんて、そんな。私はただ……」
ミハイルさんの、不器用な気遣いが嬉しくて。
それを口に出せるほどの可愛げが私にはない。だから馬鹿にしてるなんて受け取られてしまうのだろう。だけどミハイルさんが一言多いのも悪いと思う。……なんて、人のせいにしちゃダメだよね。
「その、励まして下さってありがとうございます。ちゃんとお礼を言うべきでした」
「なんだ急に手の平を返して。励ましたわけじゃない」
「それでも、お礼を言わせて下さい」
さっき言ったことも本当に強がりなんかじゃない。不安もあるけど前向きにやれているのは、一人じゃないからだと思う。だからそう言うと、彼はゴホンと咳払いをした。
「調子が狂う。不慣れなことはやめた方がいいぞ」
「ええ、そうですね。お互いに」
間髪容れずに答えた私に、途端にミハイルさんがジト目になる。だがそれは長続きせず、彼は小さく息をついて顔を緩めた。
「……あの扉は、本当にお前が思っているようなものじゃない。だが、異世界のことを記した文献がないか調べてみよう。恐らく期待には沿えないだろうがな」
「ありがとうございます!」
結局扉のことは教えてもらえなかったけれど、その気持ちが嬉しくて、私は素直にお礼を言った。
――あまり得意ではない、営業用じゃない笑顔ができていればいいなと思いながら。
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