第2話 奇妙の始まり

 窓から差し込む陽の光が眩しい。ベッドから起き上がり、大きく伸びをする。

 なんだか昨夜騒がしかった気がしたけど、このお屋敷、リエーフさんとミハイルさん以外にも誰か住んでいるのかな? 疲れていたからあんまり気にせず寝ちゃったけど。


「おはようございます、ミオさん。お目覚めですか?」


 まるで私が起きたのを見越したかのようなタイミングで、扉がノックされる。返事をすると、リエーフさんがワゴンを押して入ってきた。ふわりといい匂いが鼻孔をくすぐる。途端にぐう、とお腹が鳴って、私は顔を赤らめながらお腹を押さえた。


「す、すみません……そういえば昨日の昼から食べてなくて……」

「それは失礼しました。昨夜はご主人様のお食事が終わっていたもので、私もすっかり失念しておりまして……。足りなければ遠慮なく言って下さいね」


 とリエーフさんは言うが、なかなかどうして豪華な朝食である。

 見た目も楽しい、センスのよいオードブル。次に具沢山の野菜スープ。スクランブルエッグに、彩りの良い野菜、ベーコン、色んなフルーツの盛り合わせ。


 村にいたときから思っていたけど、この世界、元いた世界と食文化に大きな違いがない。さすがに食肉用の動物は牛や豚というわけではなかったし、卵を産む鳥はいやにカラフルだったり、果物の形状も見たことのない妙なものだったりと微妙な違いはあるけれど……いや、今はそれより。

 これは一介の使用人がありついてもいい食事なんだろうか?


「えっと……私ただの住み込みの使用人なのに、こんなに良くしてもらっていいんですか?」


 考えてみたら、ちょっと寝坊しすぎたのではないだろうか。仕事内容はお掃除だったけど、食事の用意とかも手伝うべきだったのでは? これではメイドではなくゲストだ。

 しかしリエーフさんはグッと拳を握ると、感じ入ったように叫んだ。


「いえいえ、そんな。当家の使用人……とくに掃除なんて、誰にでもできることではありません!!」


 そりゃ確かに苦手な人はいるだろうけど、その気になれば割と誰にでもできると思う……。でもこの世界ではみんな魔法でやってることだからね。やっぱりみんな辞めちゃうのもそのせいなんだろう。


「じゃあ、お食事を頂いたらすぐに掃除を始めます!」

「頼もしい! 宜しくお願い致します!」


 胸の前で両手を組み合わせて、リエーフさんが嬉しそうに笑う。それから彼は一礼して退室しかけたのだが「そうそう」と顔だけで私を振り返った。


「気を付けて下さいね……」


 また、あのゾッとするような笑顔を残し、リエーフさんは出ていった。

 ほんと、昨日からちょいちょいそれが怖い……しかし行く当てのない身の上、そのことに文句など言えようはずもなく。

 そう、文句など言えないのだ。だから粛々とリエーフさんが置いていった仕事着に着替え――るのがまた、辛い。だってこれ、ファンタジーなアニメとかに出てきそうな、フリルだらけのメイド服。掃除し辛そうなことこの上ない。そもそも似合うとも思えない。一応袖は通してみたけど。


「うん……ない」


 窓ガラスに映った自分から目を逸らしつつ、メイド服を脱ぐ。そして、持ってきていた仕事先のユニフォームに着替え直す。会社から貸与されてるものなので失くしたら困るし、持ち歩いていたのであるが、うん、こちらの方が断然動きやすいしやる気も出る。

 さて、とりあえず食器を片付けないと。キッチンはどこかな……と部屋を出ると、待ち構えていたようなリエーフさんに出くわした。


「あ、すみません。食器を片付けたいのですけど、キッチンは……」

「それはわたくしがしますので、どうかそのままで」

「でも……」


 さすがに悪い。そんな私の気持ちを汲んでくれたのか、リエーフさんは「では」と付け加えた。


「それを片付けるついでに、屋敷を案内しましょう。まずはキッチンですね。すみませんがそこまでワゴンをお願いしてもいいですか?」


 リエーフさんの申し出に、私は「もちろんです」とワゴンを押した。


 * * *


「よしっ! いっちょやりますか」


 食器を片付けがてら、軽くリエーフさんに屋敷を案内されて、いよいよお仕事開始。

 屋敷の中は、どの部屋も酷い荒れようだった。昨夜雷に照らされて見ただけでもヤバイと思っていたけれど、明るくなるとさらにひどいもので。もう廃墟と呼んで差し支えない。使用人が逃げるのも無理はない。

 しかし私は違う。

 逆に腕が鳴ると言うものだ。それは良いのだが……屋敷の中を案内されているときに、一つ気になったことがあった。


「地下へは入らないで下さいね」


 それは、下に降りる階段を見つけた私の、何気ない質問への答えだった。

 質問というか「地下室もあるんですね」というくらいの、本当に軽い雑談。別に他人に入られてほしくない部屋の一つ二つあってもおかしくない。仕事でだって、依頼された部屋以外には決して立ち入らない。当たり前のことだ。

 見られて困るものがあるわけじゃないと、聞いてもいないのにリエーフさんは笑った。


「地下には開かずの扉があるだけなんです。開けないで下さい――というより開かないから開かずの扉なんですけどね。だから地下のお掃除は結構です、というだけの話です」


 そんな風に言われると気になるのが人情だ。古いお屋敷の開かずの扉。ミステリーの鉄板だ。

 とまぁ気になるものはなるのだけど、私もプロである。雇い主からの言いつけは守らなければ。それに、この屋敷の荒れようでは当分気にしている暇もなさそう。

 さて何から手をつけようかと考えつつ、井戸や掃除道具があるという庭へと向かう。


「んー、いい天気」


 昨日の雨が嘘のように、今日はいい天気だ。水溜まりを避けながら、井戸を探す。

 あったあった。井戸の傍には小さな小屋があって、開くと桶や竹ぼうき、デッキブラシといった簡単な掃除道具があった。うーん、レトロだなぁ……。

 とはいえ、どっちみち細かいところのお手入れは当分後だな。まずは蜘蛛の巣を払って、塵や埃を掃き出して。大きなお屋敷だ、それだけでもだいぶ時間がかかるだろう。


 ゆくゆくは飾り棚を作ったり、外壁の剥げた塗装を塗り直したりしたいところだけど、それはまた、おいおいリエーフさんに相談してみるとして。作業着のポケットから軍手を出して嵌め、さっそく井戸から水を汲み上げる。井戸水はとても冷たくて透き通っていて綺麗だ。掃除に使うのが勿体ないほど。


「よいしょ……っと」


 片手に水の入った桶、もう片手にホウキとデッキブラシを抱えて、まずは玄関。

 デッキブラシを扉の横に立てかけて、竹ぼうきでそこらじゅうに張る蜘蛛の巣を払う。そして、落とした蜘蛛ごとばさばさと外に掃き出す。色んな家をお掃除してきたし虫との遭遇くらいでは驚かない。そう……そう例え、某あの黒光りする人類の敵が出たとしてもである……!

 果たして、この世界にも奴は存在しているのだろうか?

 ……心の準備はしておく必要がある。けど蜘蛛くらいはどうってことない。ある程度掃き出したら、次は水を撒いて……と。


 ガタン。


 桶を取ろうとしたまさにそのとき。私の目の前で桶が倒れ、中の水をまき散らした。


「え……、あれ?」


 私、今、桶に触れてない。

 水が並々入った桶が倒れるほど強い風も吹いてないし。不安定な場所に置いてたわけでもない。こんな倒れ方、ありえない。


 ふいに、リエーフさんのあの不気味な笑みが頭を過ぎった。


「いやいや、偶然だよね? 偶然!」


 ガラにもなく、明るい声で独り言を口にする。そう、だってこの世界には魔法が存在してるんだもん。それに比べたら桶がひとりでに倒れることなんてどうってことない。

 ない……よね、多分。

 気を取り直して、もう一度水を汲みに戻る。そして、勢いをつけて玄関に水を撒く。さて……とデッキブラシを取ろうとして、私はハタと手を止めた。

 デッキブラシがなくなっている。確かに、扉の横に立てかけた記憶があるのに……。


「気のせい?」


 首を傾げていると、背後でクスクスと笑い声のようなものが聞こえ、バッと振り返った。誰も居ない。

 自分の息遣いしか聞こえないような静けさ。気配もない。


「……気のせい、気のせい!」


 自分に言い聞かせる。そうだ、持ってきた気になっていただけかもしれない。あるある、よくある。

 しかし戻った用具置き場にデッキブラシはなく。

 そして玄関に戻ったら、桶がなくなっていた。


「なんで……?」


 まるで私を嘲笑うかのように、ひゅう、と風が頬を撫でていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る