ナツハル!

第1話

 初夏を過ぎ去り、真夏の7月下旬、三者面談を終えたばかりの三年生達は帰宅の途につくのだが、彼らの中には、学校が好きなのか、それともただやる事がなくて暇なのか、真夏の太陽が照りつける屋上にいる。


「俺、音大に行くわ!」


 夏生は、何かに目覚めたかのようにして叫ぶ。


「え……」


 夏生の発言に呆気にとられたのか、春子は口に咥えていた海外製の長い煙草を地面に落とす。


 K高校の屋上には、夏生と春子の他に同級生と下級生が数名しかいない。


 夏生は一服し終え、コーヒーを口に運ぶ。


「ってねえ! 音大って、今から無理ゲーなんじゃないの!? 三者面談の時になんて言われたの!?」


「んー、頑張れって!」


「馬鹿ねえ、あんたそれはもうね、絶望的だから記念受験にしときなよってことよ!」


 春子は、額に掌を当てて、深い溜息をついた。


 ♬♬♬♬


 夏生と春子は、幼稚園からの幼馴染、所謂腐れ縁というやつである。


 中学に上がってから、思春期の得体の知れない怒りを喧嘩にぶつけ、不良の道を突き進むことになった夏生と、生徒会長に推薦される程の人格者で成績優秀な春子は別々の道を歩むものかと周囲は思っていたのだが、何故か彼らは同じ軽音楽部に入っており、文化祭ではいつも、流行の曲を演奏しては黄色い悲鳴を浴びていた。


 高校も、「軽音楽部があるから」という単純な理由で、偏差値30の夏生は必死の勉強で偏差値55のK高校に奇跡的に入る事が決まり、かたや偏差値65で悠々と入れた春子と共に軽音楽部へと入部、青春の日々を送った。


 だが、どんなに楽しい時でも必ず終わりというものはやってくる。


 高校三年となった彼らは、進路を決めざるを得なくなったのだが、オール10を三年間キープし続けた春子は推薦で国立大を受ける事を決め、音楽と体育以外は1の夏生は、ハードロック一辺倒なのにも関わらず、クラシックメインの音大を受けると決めたのである。


「何でクラシックってわけ!? 普通ならば、音楽関係の専門学校なんじゃないの!? でも、メジャーデビューした人って皆無らしいけど……」


 春子達は自分が高校生だとバレないように、家路に着いてすぐに流行のファッションに身を包み、高校から離れた若者に人気の喫茶店に夏生と共にいる。


 夏生は確信があるのか、大胆不敵に笑いながら、煙草をふかしている。


「俺はクラシックにロックを感じたわけよ! クラシックと音楽の融合、素晴らしいじゃねぇか!」


「あんた馬鹿ねぇ、救いようがない程に……」


 春子は、子供の頃からブレない芯の持ち主である夏生を見て、馬鹿に付ける薬はないなど思い溜息をつき、煙草に火をつける。


「生活指導だ」


 彼らの後ろから根太い声が聞こえ、慌てて煙草を灰皿に揉み消す。


 彼らの目の前には、髪を銀色に染め、パーマをかけてツーブロックヘアーにし、やや筋肉質の、18歳ぐらいの年端の少年がニヤニヤと笑いながら立っている。


「脅かしてるんじゃねぇよ、龍平」


「お前、音大なんて行ってんじゃねぇよ、バンドはどうするだよ? 音楽の専門学校でギターの腕を磨くんじゃなかったのかよ?」


「馬鹿野郎、俺は音大にロック的な閃きを感じたんだよ、俺は音大の連中と共にバンドを作ってデビューして天下を取るんだよ!バンドは受験終わるまで活動停止な!」


「はぁ〜文化祭のライブはどうなるんだよ!? てかお前最後だからって気合い入れて練習してたじゃねぇかよ!」


「いやそれはやるぞ!」


「そうこなくちゃな!」


 龍平は夏生の肩をばんとたたき、タバコを灰皿に入れる。


「あんたら馬ッ鹿ねぇ! 」


 春子は深いため息をつき、コップの三分の一程になり、氷が溶けていて味が薄くなった一杯210円の若者向けのコーヒーを口に運ぶ。


「ん? おい、あれヒデブだ!」


 夏生は、裸眼視力2.5の目で500メートル先にいる、アフリカの飢餓難民の、栄養失調で腹水が溜まった腹のように、醜く腹が出て、バーコードハゲの、いかにも冴えない中年といった風体、檜山太という名の教育指導の教師が見回りに来ており、すぐさま気がつき、慌てて煙草を灰皿に揉み消す。


「バックレっぞ!」


「そうね!」


 春子は思わず、夏生の手を握りしめる。


 夏生の頬が赤くなり、額から湯気が出ている、かにも春子に惚れてますよという様相をみて、龍平は夏生のウブさに思わず軽く吹き出した。


 ♫♫♫♫


 夏生の自宅は、春子の住む家からは20軒ほど離れている。


 夕飯もそこそこにして、夏生は自室に入り、気晴らしに流しているEDMが入っているiPodのスイッチを入れる。


(ロックで頂点を取るには、俺がこれだと思った音楽を取り入れていくっかねえ! このEDMってやつぁ、これをロックに取り入れれば最ッ高の曲ができるぞ! 後はクラシックとヒップホップだ!)


 ドアが勢いよく開き、母親の秋子はため息をつきながら手にしている箒で夏生の頭を叩く。


「痛ってぇ〜……! 何すんだよババア!」


「あんたそんなもん聞くよりも、音大に行くんでしょ!! 勉強しろってんだ!」


「あぁ、そんなん、楽勝で受かるんだよ! これ聞いたらやるわ!」


「本当だね、ったく!」


 秋子は溜息をつきながら、部屋を出て階段を降りていった。


 秋子がいなくなった部屋で、夏生は自分の学力では大人しく音楽の専門学校に行っておけば苦労せずに自分が望む音楽が手に入るのではないのかと思っているのだが、いや苦労しなければ本当の音楽は手に入らないと思い、曲を止めて音大の受験内容が書いてあるパンフレットを見やる。


(何々、英語に国語か……ってか、俺それ1だった! やべぇいまから学びなおさなければ! 間に合うかどうかわからねーが、やるしかねー!)


 ふと、夏生はテーブルの横に立てかけてあるギターを見やり、手を伸ばす。


 夏生は指を鳴らし、軽く歌い、文化祭でやる曲を何にしようかと頭の中で音符が飛び交う。


「あんた勉強しな!」


 秋子の声が聞こえ、夏生は慌てて教科書を取り出してパラパラとページをめくる。


「うわっヤッベェ、全然知らねーし! ……でも、やるっかねぇ!」


 夏生は重度の勉強道具アレルギーなのか、強烈な吐き気を抑えながら、教科書を開いた。


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