リメラの乱
アングマール戦が始まってからもう七十年になるんだけど、断続的な戦争状態が続いたんでエレギオン軍制も変わってきたんよ。もともとエレギオンの軍制で将軍とは臨時に任命される者だったのだけど、アングマールの情勢が不穏なもので常設になったの。現在の将軍は、ズカキブ、マシュダ、イルクウ、メスヘデ、アルガンディアの五人になってる。
力量はコトリの見るところ並ないし並以下、セカに較べると話にならない程度なの。まあ、今はズダン要塞の防衛が主任務みたいなものだから、この程度の将軍でもなんとかなってるのは、なんとかなってる。でも野外決戦となると不安の残る連中ばっかりってところ。
とはいえ将軍になれるような人材は少なくて、むしろセカが例外的ぐらい。そんなところに頭角を現してきたのがいるの。名前は上席士官のリメラ。このリメラが最近になってしきりに主張しているのがアングマール問題の最終解決案。かなり過激な案で、アングマールの地を征服するだけでなく、完全破壊してしまおうの主張やった。
「・・・思うにセカ王は優し過ぎたと思います。最初の時はあれで良かったと思いますが、少なくとも三回目の時には断固たる処置を取るべきだったと考えています。そうしていれば、エレギオン百年の平和がもたらされていたはずです」
コトリの見るところ質は悪くないと思うんだけど、どうにも肌が合わない感じ。たしかにセカには優しい面があったけど、あれがあったからこそ同盟軍の求心力となり、あれだけの統率力を発揮できたと思ってる。リメラの主張していた完全破壊案も当時はあったんだけど、セカも、ユッキーも、コトリも賛成しなかった。
とは言うもののリメラの主張はエレギオンの中でも支持は広がってた。セカ王時代のような野外決戦こそなくなってるけど、年を追うごとにアングマール軍のズダン要塞への攻撃頻度が高まってるの。アングマールはエレギオンの直接介入がなくなってから、これまで以上の軍事国家になり、アングマールの五都市だけではなく、広く遠征して十都市以上を支配下に収めるようになってるの。
でもってアングマールもエレギオンをあきらめてくれたら良かったんだけど、やっぱり目標はエレギオンなのよねぇ。それも支配領域が広がるごとに激しくなってるの。だから、いくら要塞守備でも戦死者は出続けるのよ。これじゃ、キリがないと言う意見もわからんことはない。
ユッキーは迷ってた。ユッキーの迷いはズダン要塞を作った時から続いてて、リメラの案にも曖昧な態度を取り続けてた。
「ユッキー、リメラの案だけど」
「うん、理屈はそうだけど、もう手遅れだと思うの」
「やっぱりセカの時に」
「違うと思うのよねぇ。それで済んだとはやはり思えないの」
コトリはアラッタの時の主女神を思い出してた。あの時の主女神はエンメルカル王の力が見えてたと思うの。それだけじゃなく、もっと大きな時代の流れさえ見えてたと思ってる。ユッキーは主女神には及ばないと思うけど、そんな時代の流れも感じてる気がしてる。
「いっそ、アラッタの時みたいに逃げちゃう」
「それも一つだけど、背負ってるものが多すぎて」
そうなのよねぇ、とりあえずズダン要塞は健在やし、あそこを突破されん限り、だいじょうぶなのはだいじょうぶやし。でもユッキーの予感は次が見えてる気がしてならなかったの。
「もしハムノン高原で決戦となったら誰を派遣するつもり」
「う~ん、迷ってる」
「コトリが行こうか」
「それも迷ってる」
「ユッキーらしくないね」
アングマールのズダン要塞攻撃はますます激しさを増していったんだ。あそこは十分に地の利を選んで築いたんだけど、アングマールは要塞攻撃用の恒久拠点を作り始めたの。エレギオンも妨害活動を続けてたんだけど、結局出来ちゃった。この報告が来た時にリメラが将軍たちを大批判したんだよ。
「・・・これは重大すぎる失態です。妨害は可能だったはずなのに、将軍方の長年の消極姿勢がこの結果をもたらしたとしか言いようがありません」
まあ、間違ってはいないけど、コトリには将軍席を空けて『オレに任せろ』と聞こえてならなかったの。才能と人柄は必ずしもリンクしないんだけど、リメラにセカ並みの才能があるかどうかは自信がなかったのよねぇ。でも、今の将軍たちよりマシそうな気だけはしてた。
「ユッキー、リメラだけど」
「才はあるわ」
「じゃあ、将軍にする」
「今のよりはマシだと思うけど・・・」
ユッキーの歯切れの悪さは相変わらずだった。
「やらせないと、わからないか・・・」
主席将軍のズカキブが責任を取らされて解任され、リメラが将軍に昇格したんだ。さっそくリメラはズダン要塞に派遣された。リメラはこれまでの方針と打って変わって積極的に動いたの。アングマール側の拠点の奪取はさすがにすぐには無理だったけど、局所戦でしばしば勝ち、国民の人気が沸騰したってところ。
『セカ王の再来』
こんな声さえ出てたぐらい。エレギオンは女神による神政政治だけど、普段の女神は五穀豊穣を祈ってるぐらいにしか国民には見えないの。女神はその気になればあれこれできるけど、その力を振り回すのはコトリも、ユッキーも好きでなかったの。女神の力ではなく、人の力で出来るだけ国を運営するのが二人の根本方針だったのよね。
もちろん非常事態の時には災厄の呪いでもなんでも使うけど、これは取って置きの奥の手で、女神の力に頼ってしまわないように出来るだけしてたつもり。だからアングマール戦もあれだけの犠牲を払いながら、女神の力は使ってなかったの。
ただそうやって使わなかったら、女神に本当は力があるのも忘れられちゃうのよね。あれは伝説であって、女神と言ってもタダの女みたいに思うのが増えてくって感じかな。それで何が起こるって? 女神から政治の実権奪取を狙うのが出てくるのよねぇ。
リメラはズダン要塞戦で人気が出てから増援軍の要請を盛んに行ってきたんだ。名目はアングマールの拠点奪取のためだったから、メスヘデ将軍に増援軍を編成させて送ったんだよね。そうしたら事件が起こったの。リメラはズダン要塞に到着したメスヘデ将軍を暗殺して、国政改革を旗印に反乱を起こしちゃったの。
リメラの人気は高くてカレム、モスラン、ウノスの山岳都市はすぐにリメラに付いちゃったのよ。たぶん事前工作をしてたんだと思う。リメラが向かったのはクラナリス。アングマール戦争の時と同じだけど、地形的にそうなっちゃうの。
コトリは心配してたの。とにかく、ここのところのユッキーの判断は迷いが多いから、ちゃんと動けるかってね。でもユッキーは果断だった。女神大権を直ちに発動したんよ。そう、例の花瓶の水をぶっかける奴。それも対策会議の冒頭でいきなりやられたから、コトリまで水被ってもた。そうしておいて、
「コトリ、任せた。できるだけ早く、見せつけるように叩き潰してね」
と言われたものの、増援軍を送った後でコトリが率いたのはリメラに較べるとかなりの弱兵やった。その頃の精鋭はズダン要塞に集まってたし、ズダン要塞では戦いが続いていたから実戦経験も豊富ってところ。それにリメラの人気も高く、リメラが勝つんじゃないかと考えてるところも多かった。
だからユッキーはコトリに任せたんやと思うけど、次座の女神を以てしてもリメラ人気に対抗するのがやっとぐらいだった。コトリがマウサルムに入った頃にはリメラはクラナリスを手に入れてた。さすがにヤバイと思ったのは白状しとく。とにかくユッキーの注文は厳しくて『できるだけ早く』以外にも、
『女神の戦術は控えてね』
『騎兵隊は今回はお預けで』
『リメラの軍勢はなるべく殺さないように』
そりゃ、そうできれば、そうしたいところやけど、無茶ばっかりいうと思たもんや。とにかく『早く』のユッキーの命令もあったからゲラスの野に進んだの。がんばって情報集めてたけど、どうも兵力的にはリメラが六四で多いみたいやった。
とにかく兵数は劣勢、質も劣勢、騎兵隊も使えず、女神の戦術も止められた状態で勝つのも難しいのに、どうしたもんかとコトリも追い詰められた気分になってもたんよ。負けたら殺される恐怖もそうだけど、たぶん数えきれんぐらい犯されるかもしれんってのもあったわいな。幕僚の顔色も悪かった。
さてここはゲラスの野、セカがアングマール軍に大苦戦した戦場。あの時のセカはコトリが授けた秘策を採用せえへんかった。でもあの時は正解やったと思ってるよ。あれをやるには兵の錬度が低すぎたって判断はわかるもの。でも今回は使うべしやと決めた。
ファランクス戦術の弱点は右側なんだけど、そのために右翼を厚くするのが戦術の常識やねん。この辺はその時に使う戦術によって微妙に変わることがあるけど、無難に布陣したら右翼を厚めにするのよね。そりゃ右翼を破られて回り込まれたら敗北決定みたいなものだから。
でもコトリは考えたの。右翼を厚めにしたら左翼は薄くなるじゃない。つまり相手の弱点である右を衝く戦力も弱くなってるってところ。少し言い換えると、ファランクス同士で激突したら、弱点のある強い右翼と弱い左翼が決戦場になって、どちらの左翼が早く崩れるかが勝敗のカギになってまうんやないかと。
受け身になって考えると右翼を厚く強くするのは間違いやないんやけど、敵の右翼も強いと言っても右側の弱点を抱えてるんよね。そこで視点を変えて敵の右翼に主力を向けたらどうかと思うのよ。それも半端ないぐらいの重圧をかけるのよ。そうねぇ、全軍の四割ぐらいを左翼に集めるぐらいの感じかな。
そこまで左翼に集中すると右翼が弱くなってまうねんけど、相手の左翼もあんまり強ないやろし、合戦の時に右翼の前進を出来るだけ遅らせて、衝突するまで出来るだけ時間を稼ぐの。そうやって右翼が破られないうちに敵の右翼を粉砕させて回り込んだら勝てるはずって狙いなの。
ファランクスの厚みは縦に何人並ぶかであらわされるけど、だいたいでいえば八列縦深が標準で、強化したいところは二倍の十六列縦深にするのが標準的やねん。リメラの布陣を見たら教科書通りに最右翼を十六列縦深にして、後は八列縦深ぐらいの横隊にしてた。たぶん四つに組めば勝てるの計算やろ。
コトリは最左翼を驚異の五十列縦深で組んだった。その代りに右翼は四列縦深の薄っぺらさ。合戦が始まったら最左翼を突出させた、一方で右翼は出来るだけゆっくり前進させた。そのために陣形は右斜め下がりの形になったんや。
とにかく最左翼には猛進させた。リメラの右翼だって精鋭ぞろいやから、最初は全然押せんかった。ただリメラは迷ってた。コトリのあまりにアンバランスな陣形になにか罠があると思ったみたいや。自分の左翼をコトリの方に積極的に前進させるのをためらった感じかな。
リメラの右翼はたしかに強かったし、序盤戦の損害だけならコトリの方が多かったと思う。ただね五十対十六の力比べはリメラの右翼の物凄い重圧になっていったの。たぶんリメラの右翼にすれば倒しても、倒しても前の壁の厚みは変わらない感じやったんちゃうかな。そしてついにリメラの右翼は崩れたのよ。後はグリグリと背後に回っていく感じ。そこで大声で呼びかけたのよ。
『次座の女神は悔い改めたる者を許すものなり』
崩れかけたリメラの反乱軍には効果的やった。次々に投降してきただけでなく、リメラまでとっ捕まえてコトリのところに引きずってきたぐらい。まさに快勝劇。リメラや幹部クラスは護衛を付けてエレギオンのユッキーの下に送り、投降してきた兵は約束通りに許したってん。
ユッキーの難しすぎる課題をクリアしてコトリも嬉しかってんけど、そこにトンデモナイ報せが飛び込んできたのよ。
「アングマール軍、ズダン要塞を突破せり」
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