ゲラスの戦い

 モスランへの援軍派遣はやっぱり遅れた。エレギオンも平和ボケで『戦争ってなんのお祭り』状態だったし、他の都市も似たようなものだったのよ。それこそ武器庫から装備を引っ張り出して、埃を落とすレベルから始まったものね。だからエレギオン同盟軍がマウサルムに集結した時には既に三ヶ月が経とうとしていた。


 この間にアングマールはモスランを落としただけでなく、カレム、ウノスと陥落させ、クラナリスに進む動きを示していた。ここまで集まった情報ではアングマール軍は数こそ劣るものの、かなり精強であるとなってたんよ。アングマールは軍事国家で、国を挙げて精鋭を養成してるみたいだった。


「ユッキー、やっぱりコトリが行く」

「ダメ!」


 アングマールはクラナリスに向かって動き出したとの情報に呼応して同盟軍もクラナリスに向かって進んだの。もうこれ以上はアングマールの勢力範囲の拡大を許すわけにはいかなかいって判断だったと思う。エレギオン同盟軍の動きを察知したアングマール軍はクラナリスを放置してゲラスの野に進んできた。エレギオン同盟軍もこの動きを知ってゲラスに進んだわ。


 コトリはこの動きを聞いて不安やった。動き自体に不自然さはないけど、セカはアングマール軍の罠にかかっているとしか思えなかったの。報告を聞く限りエレギオン同盟軍の方が多いのよね。一・五倍から二倍程度ってところかな。この兵力差なら決戦の選択は常識的やけど、誘っているのはアングマールなの。


 数が少ない方が決戦を誘うってことは、数の劣勢を補う作戦があるって事になるの。たとえば密かに本国から増援軍を呼び寄せてるとか、なにか新兵器を用意してるとか、予め決戦場に罠を仕掛けてるとか。そうなの、決戦は誘い込んでするもので、誘われてする時は細心の注意が必要ってところ。エレギオンの神殿でイライラしながら報告を待っていた。


「セカ将軍、隊列は組み終りました」

「アングマールもそうみたいだな。いよいよ行くか。角笛を吹き鳴らせ、決戦だ」


 ボクはセカ。エレギオンの貴族にして将軍。首座の女神様に遠征軍を任されてます。出陣に際して次座の女神様は心配されてました。


「セカ、合戦は天地人のどれが欠けても負けることがあるの」

「わかっております」


 天候については晴れで雨はなさそう。人については見渡す限りやはりエレギオン軍の方が二倍はいると見て良さそうです。さらに使ってる戦法はエレギオン同様にファランクス。残った問題は地形です。


 ファランクスの弱点は右側になりますが、押し込まれた場合に右を攻められまいとして右に右に斜行する傾向があるのは知っています。そこは数でカバーできると踏んでいます。


「セカ、とにかくエレギオン兵は弱いのよ。崩れたらオシマイなのは十分に注意して」


 ボクの取った戦法は優位な兵力を活かした中央突破です。大軍に小細工は不要ですし、実戦経験の浅いエレギオン軍に小細工は不向きで、却って混乱から崩れを招くの判断です。横一列の横陣で隊列を厚くして押しまくることにしました。


 アングマール軍は少し変わった陣形を取りました。エレギオン軍が横陣を敷いたのを見て変化させてきたのです。決戦直前にあれだけ鮮やかに隊列を組みかえられるのを見て不安を感じたのは確かです。


 アングマール軍は中央に軍団を置き、そこから左右に斜めに引いたような陣形です。半月陣とも山型陣とでも言えば良いのでしょうか。戦いが始まるとアングマールの中央部の軍勢とまず接触します。アングマール兵は強いのですが、時間が経つとじりじりと後退していきます。右に回り込みたいところですが、エレギオン軍は十分に崩せずに引き込まれるように押していくことになります。


 アングマール軍の中央部は戦いながら徐々に引くのですが、両翼は強力で引いてくれません。同盟軍の戦列は真ん中が膨らむ弓なり型になっていきます。そうこうしているうちに、アングマール軍の中央部も踏みとどまります。ちょっと拙いんじゃないかと感じたら、アングマール軍の左右の圧迫でエレギオン軍が動揺し始めています。


 これで左右の圧力でどこかが崩れたら大敗です。ボクは幕僚たちを次々に派遣して必死になって支えました。何度か崩れそうになったのですが、手元にあった予備隊を次々に戦列に投入して必死に支えます。もうボクに余裕も何もありません。ガップリ四つの戦いが続きましたが、強兵のアングマール軍は個々の戦闘ではエレギオン兵を次々に倒します。


 最後は陣営守備の兵も総動員して支えて、やっと崩壊寸前の隊列を維持しきりました。最後は数が物を言ってくれて全面崩壊こそ逃れましたが、一部では乱戦になりかなりの被害を蒙っています。なんとか日暮れまで持ちこたえてアングマール軍も兵を退きました。追撃する余裕もなくエレギオン軍も退きました。


 戦果と損害を確認しましたが、被害は死傷者が三割に及んでいます。とくに、崩壊しそうな戦線を支えに走り回った士官の損害はまさに甚大です。生き残った幕僚は三分の一もいませんでした。これを勝ったというのでしょうか。どうみても『負けなかった』だけです。アングマール軍にも少なからぬ損害は与えたと思いますが、死傷者数は一対三ぐらいと概算されます。


 それより何より初めてみる戦場の凄惨さに戦慄しています。とにかくアングマール軍は強いのはよくわかりました。この決戦に安易に挑んだボクの責任は重大です。次座の女神様は、


「戦いはどれだけ準備して臨むかがすべてなの。安易な勝算は命取りになるからね」


 この言葉の重さを噛みしめています。アングマール軍はあの数で勝てる戦術を駆使していたんだと痛感しています。数は合戦の重大要素ですが、その数の劣勢を知っていても決戦を挑んできた点を軽視し過ぎたと思うばかりです。血で払われた高い授業料でしたが、同じ失策は二度としません。


「急使!」


 エレギオンにゲラスの戦いの結果の第一報が入ったのは明け方近かった。ちょうど朝の祭祀の時間やったけど、中止になり報告を聞いたわ。内容は、


「セカ将軍はゲラスの野にてアングマール軍と戦い、これを撃退せり」


 まず負けなかった点でホッとしたけど『撃退』の表現が気になって仕方なかった。その後も続報が次々に入ったけど、かなりの大激戦であったのはすぐわかった。血の気が引きそうになったのは戦果報告が届いた時。死傷者が三割に及び士官の七割が討死していた。これでエレギオン同盟軍が崩壊しなかったのは不思議なぐらいの大損害だった。やがてセカから合戦の詳報が届いた。


「コトリ、どう思う?」


 セカの取った戦術に基本的に誤りはなかったとまず思った。弱兵の上に錬度の低い同盟軍では細かい戦術は不可能で、ひたすら数で押して中央突破を図ろうとしたと見たわ。それにしてもアングマール軍の錬度が高いのに驚かされた。だって、セカが横陣を敷いたのを見てから半月陣に素早く組み直しているんだもの。あんな芸当は今の同盟軍には絶対無理だもの。


 アングマール軍の動きは巧妙だった。横一列になって進むエレギオン軍が最初に接触するのは先頭の中央部の部隊。これでは大軍の利を活かしにくくなる。そこでセカは右側に回り込まそうとしたみたいだけど、見透かしたように退いてるわ。退くと左右のアングマール軍が戦列に加わることでカバーしてる感じかな。セカはひたすら押したけど、アングマール軍の最両翼は一歩たりとも退いていない。結果として同盟軍は戦闘開始時と逆で中央部が突出して左右が後ろに弓なりに展開する形にされてしまってる。


 これでも兵の質が互角なら中央突破も可能だろうけど、この時点でエレギオン軍の中央部は相当消耗させられてた。アングマール軍が戦術的後退をやめて踏みとどまっただけで崩れそうになっちゃったんだ。これはもう兵の質の違いを見切られていたとしか言いようがないわ。


 でもそこからセカは踏ん張った。手持ちの駒を次々に投入してなんとか中央部の崩壊を防ぎ切った。そうしたらアングマール軍は左右からの圧迫を強めたんだ。セカは必死になって隊列を守り徐々に退いて行った。そうはさせないとアングマール軍の攻撃は熾烈を極めたけど、なんとか横陣になんとか戻したってところかな。


 ただこの隊列整復に払った犠牲は莫大だった。でもその犠牲を払わなければ同盟軍は壊滅的敗北を喫していたと思う。アングマール軍が勝ちきれなかったのは、最後の最後に兵の疲れが出たで良いと思う。質では勝るアングマール軍だったが、数の不利による疲労のために最後のもう一歩が届かなかったぐらい。


 それにしてもの犠牲だ。エレギオン中が悲しみに包まれている。エレギオン軍は中央部を受け持ったから死傷者は五割を越えている。ユッキーも、三座や四座の女神も、いやコトリだって悲しみに耐えている。だって四女神の男たちもすべて戦場に散ってしまった。でも今は悲しみに浸っていられない。ここで四女神が泣き崩れたらエレギオンが崩壊してしまう。


「コトリ、第二次派遣軍は出来るだけ早くマウサルムに進ませてセカに合流させるわ。士官の補充は養成所の連中を動員して間に合わせる。それと三座の女神と施療院のスタッフをマウサルムに派遣して治療に当たらせる」

「セカはどうするの」

「派遣軍と合流したらクラナリスに進ませる」

「セカじゃ無理じゃない」

「違うよコトリ、誰が指揮しても苦戦してたよ。たとえコトリが指揮を執ってもね。あの苦戦を乗り越えないとエレギオン軍はアングマール軍に永遠に勝てないわ。セカは優秀よ。この戦いの教訓を決して無駄にしない」

「それにしても犠牲が大きすぎる気が・・・」


 ユッキーの目にひとしずくの涙が流れていた。


「わたしの見通しが甘かったのに何を言ってもイイわ。苦戦の度合いは予想をはるかに上回ってた。アングマールは思ってた二倍は強いのを思い知らされた。でもコトリ、わたしたちはこれに勝たないといけないの。どれだけの犠牲を払い、血を流そうとも」


 唇を噛みしめているユッキーの横顔を見ながら、辛くて長い戦いになるのだけは良くわかった。

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