「#さみしいなにかをかく 」から生まれたお話

みやふきん

第1話

みやふきんさんは風に磯の匂いが混じっていた曇りの日、斑入りのチューリップの飾られたテーブルで言った、霞を食って生きているという冗談の話をしてください。

#さみしいなにかをかく

https://shindanmaker.com/595943


一緒に行くはずだったのに、急に仕事が入ったから一人で行ってきてと、優一から携帯に連絡があった。今日は海辺のホテルのレストランで結婚式当日の食事を試食することになっていた。二人で行けないなら、試食をとりやめてもよかったけど、ちゃんとわかっておきたかった。試食の日を変更できるものならしたかったけど、彼の仕事は忙しく、難しいようだった。仕方なく一人で車に乗ってレストランへ向かった。

晴れていたら素晴らしい景色だっただろう。あいにく今日はどんよりした雲が海面にまで降りてきそうな空だった。私の今の気分みたいで思わず笑ってしまった。車を降りるとすぐに磯の香りがした。彼と下見に来た時以来、足を運んでいなかった。もっと昔は頻繁に来ていた場所だった。曇り空で少し肌寒いくらいの今も、海岸ではサーフィンを楽しむ人がいる。一年前は私もそのうちの一人だった。共に楽しむ人がいなくなった今は、私の肌はすっかり白くなってしまっている。

ここで挙式をしようと彼が言った時は驚いた。もう二度と来ないつもりの場所だったから。他の場所にしようと説得しても、ここがいいと譲らない彼に、この場所を知らない振りして今日までやり過ごして来た。たぶんこの先もそう。

レストランに人はまばらで、案内されたテーブルにはガラスの花瓶にチューリップが飾られていた。斑入りの葉でピンク色の八重咲き。珍しい品種だ。名前は忘れたけれど見たことがある。春に彼と一緒に行ったチューリップ畑に咲いていた。花瓶のチューリップは、時が経つにつれ、首を垂れてみずみずしさをなくしていくんだろう。たぶん今夜閉店する時にはゴミ箱行き。だからこそ、わずかなあいだの美しさを楽しませてもらおう。

人の気配がして視線を動かすと、レストランの店長がテーブルのそばで頭を下げていた。今日、提供する料理についての概要を説明してくれていたが、私は店長の向こうに見える男性に目を奪われていた。説明の内容はひとつも理解できてなかったが、私はすべて相槌で対応した。説明を終えて店長が去ったあとも、私はその男性の横顔をみつめていた。その男性があの人に似ていたからだった。突然私の前から姿を消したあの人。でも、あの人にしては痩せすぎている。もっと肉厚な人だったはず。人違いだろうと視線をチューリップに戻して暫くのち、すみません、と声をかけられて顔を上げた。あの人に似ている男性が目の前に立っていた。

ゆいこ、とその人は私の名を呼ぶ。昔のようにささやくように。あの頃と変わりない声。その瞬間、あの人だと確信した。

でも、私はあの人の名前を口にせず、あの人からの言葉を待った。気づいていないふりも今ならできる。

「会えてよかった」

あの人は私が来るのを知っていたのだろうか。まさか会えるなんて、ではなく、会えてよかったなんて。

私は、会えてよかったのだろうか。どうして、なぜ、あの時、と恨みごとばかり思い浮かんでしまうから、何でもないことを口にしたかった。

「ずいぶん痩せたんだね。どうしたの?」

「霞ばっかり食ってたからさ」

あの人はそう言って笑って嘘をつく。下手な冗談。

「嘘。食べれないからというのがほんと」

そう言ってまた笑う。

「猫がさ、死期がせまると姿を消すっていうじゃない。それみたいなもんでさ、あともうわずかな時に、ちょっと元気な姿を見せるってのもあるじゃない。まぁ、それみたいなもんだよ」

平気な顔をして言う。平気なわけないのに。だから私も意地を張って平気なふりして訊く。

「惣介は死ぬの?」

「まぁ、そのうち」

飄々と笑う姿に悔しさがこみあげてきて、私の声が荒くなる。

「どうして今、会いにきたの?」

知ってしまったら、どうしようもなくなることなどわかっているはずなのに、と責めたくなる。

惣介は急にしおらしく謝ってきた。

「ごめん、我慢できなくて。本当は遠くから見るだけにするつもりだったんだ」

「それなら最初に姿を消したりしないでよ」

思わずテーブルを叩いてしまい、その大きな音で我に返って辺りを見回した。テーブルのそばで料理を手にしながらも運びかねているウェイターと目が合った。

ウェイターは何事もなかったかのように、すっと料理をテーブルに置き、こちら前菜でございますと説明して去っていった。それを機に惣介も私の前から無言で立ち去っていった。一度こちらを振り返って小さく手を振り、笑ったあとは、もう振り返ることもなく店を出て行った。私は今を捨てて追いかけることができなかった。

その後、料理は順序通り運ばれてきて、滞りなく胃袋の中に収まっていった。最後にまた店長がやってきて確認と感想を求めたので、差し障りない言葉でその場をやり過ごし、何事もなく帰宅した。

その夜、昼間はごめんと優一から電話があった。そして長い打ち明け話をして、私を驚かせた。

そもそも私との出会いに惣介が関係していたと言うのだ。

実はあまり惣介のことをよく知らなかった。知っていたのは携帯電話の番号だけだった。あの場所でよく会うサーファー仲間の一人で、付き合いはじめたばかりだったから。どんな友だちがいるかさえ知らなかった。携帯に連絡がつかなくなって、海に来てもいなくて、サーファー仲間に聞いても誰も何も知らなかったから、探すこともできなかった。

優一は惣介と長いつきあいで中学からの友人だと言う。私と知り合った頃のことも惣介から聞いていたらしい。余命わずかと知った惣介は、自分が亡き後の私を思って、他のやつに心を持っていかれるくらいなら、自分が信頼する優一に任せた方が安心だと思い、彼に頼み込んだという。もう二度と私の前に姿を見せないつもりだったと惣介は言ったらしい。彼は惣介から話を聞いていて、気になる女性ではあったと言う。惣介には惹かれてもどうせ自分に対してはそうならないだろうとタカをくくって、会いに来たという。聞いていた以上に魅力的だったから、惣介からの頼みを抜きにして、私のことを知りたいと思い、私の勤め先のカフェに毎日通った。そしてひと月後にはつきあうことになった。半年後の今、結婚へ向けて準備の真っ只中で、聞かされた話に私は困惑していた。

優一への気持ちは変わらず、惣介への想いが蘇ったわけでもなかった。私だけが知らずにいたことが、ただ悔しく、さみしかった。


レストランでの結婚式に惣介も呼ぼうと言ってみたけど、入院したから無理だと優一は悲しそうな顔をした。

あの時、惣介が冗談めかして言っていたように、最後の力で私の前に姿を見せにきたのかもしれない。


不思議だね。夫となる人と元彼の記憶を共有するなんて。思い出話で共有が増えていくなんて。そう優一に言うと、優一は笑ったあと涙が止まらなくなった。

きっと私以上に彼は悲しくて、さみしい。

彼を腕の中に包み込んで、一緒に惣介を想った。


会えてよかった。あなたにも、あの人にも。

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