終章:ゲームルバークの二大悪党

終章【犯罪都市最強の悪党二人】

「は、はあ」


 男は走っていた。

 正確には逃げていた。

 狭い路地裏を駆け抜けて、少しでも追手を撒けるようにとゴミ箱や積み重ねられている箱を倒して障害物として、疲れてもなお足を動かし続けた。

 空気を吸い込むと肺が軋み、足の底が痛くなってくる。それでも足を止めれば自分が間違いなく死ぬことが分かるので、意地でも足は止めない。


「な、なんで、なんで俺が、こんな目に!!」


 暗い路地裏を右へ左へ駆け回って、ようやく男は壁に背中を預けて体を休めた。

 どうしてこうなったのか、よく分からない。

 どこで人生の歯車が狂ってしまったのか、男には理解できない。


「おも、思い出せ……なにをしていた、なにをした?」


 男は行きつけのバーで酒を飲んでいた。

 そこへたまたま隣の席に、綺麗な青年が座ったのだ。

 そう、綺麗な青年である。金色の髪が綺麗で、翡翠色の瞳がなんとも言えない色気を醸している。砂色の外套に、なにか楽器でもやっているのか馬鹿みたいに巨大な箱を抱えていた。

 年齢は二七になると言っていたが、見た目通りの年齢とは言い難い。まだ二〇代前半のような印象を受ける端正な顔立ちだったのだ。


「そんな。普通に飲んでいただけなのに、どうして」


 その男と楽しく酒を飲んでいたはずなのだが、なにがどうしてそうなったのか、店から出た瞬間にナイフを持った不審者に追われる始末である。

 額から滲む汗を拭って、男は再び動き出そうとして、


「おや、どこに行こうとしてますか?」

「――――ッ!!」


 心臓が口から飛び出そうになった。

 振り返ると、暗闇の中に青年が立っていた。

 深淵に溶け込むほど、彼の格好は真っ黒に染まっている。頭の先から爪先まで黒い雨合羽レインコートに身を包み、その手にはサバイバルナイフを握りしめている。青年の顔は見えない、フードで隠されているからだ。


「どうも、こんばんは。よくも僕の兄を誘惑してくれましたね」

「あ、兄? まさか」

「ええ、アンタの隣で飲んでいた男ですが」


 真っ黒な雨合羽に身を包んだ青年は、サバイバルナイフの先端を男に突きつけてくる。


「大切な兄に近づく輩は殺します。話しかけただけでも許し難いです」

「理不尽すぎるだろ!?」

「理不尽ですよ。自覚はあります、僕は世界の誰より殺人鬼ですからね」


 男はサバイバルナイフを持った青年から逃げる為に、くるりと回れ右をして走り出す。

 青年は「あ」なんて間抜けな声を出すが、追いかけてくる気配はない。不思議なことだ。


「嫌だ、嫌だ、死にたくない……!!」


 男は路地裏から飛び出して、人混みの中に紛れ込む。これであの青年も、男に変な手出しができないはずだ。

 何事もなかったかのように男は歩き始める。如何にも命など狙われていないとばかりに堂々と歩き始める男は、これからどうするかを懸命に考えていた。


「どうしよう……どうするべきか」


 ぶつぶつと呟く男は、どこか異質だっただろう。

 奇異な視線など気づかずに、男は人混みの中を歩き続けて、


「――――?」


 頭をぶん殴られたような衝撃と共に、眠気が襲いかかってきた。急激な眠気に抗えず、男はあっという間に意識を手放す。



 とあるビルの屋上の縁に純白の対物狙撃銃を置き、ユーシアはつるりとした状態の顎を撫でる。

 今朝、相棒から叩き起こされて顎髭を全て剃られてしまったのだ。無精髭だったのだが、なくなってしまうと違和感がある。


「さてと」


 対物狙撃銃をライフルケースにしまいながら、ユーシアはスマホを取り出して慣れた手つきで決まった番号を呼び出す。通信ボタンを指先で触れると、すぐに呼び出しが開始される。

 通話はすぐに繋がった。電話のスピーカーから聞こえてきたのは、聞き慣れた青年の声が聞こえてくる。


「やっほー、リヴ君。どうかな?」

『やっぱりシア先輩――いや、シア兄さんの狙撃の腕は信用できますね』

「それまだ続けてるの? いつも通りでいいのに」

『家族をご所望のようでしたから、要望通りにしたつもりなのですが。気に食わないですかね?』


 あっけらかんと言い放つ青年――リヴはつい最近、改名したばかりだ。なんでか知らないが、リヴ・オーリオ・レゾナントールになったのだ。頑なに改名する意思を変えなかった。

 ユーシアは苦笑しながら、


「じゃあ、兄ちゃんのことを迎えにきてね。さっさと家に帰ろう、お腹空いたよ」

『兄さん、今日のご飯はなんですか?』

「冷蔵庫の余り物でなにか作るよ」


 通話を切り、それからユーシアは晴れやかな笑顔で言う。


「うーん、やっぱり俺はこの生き方がいいなぁ」


 ☆


 犯罪都市と名高いゲームルバークの片隅にある狭いアパートが、ユーシアとリヴの自宅である。

 誰かから盗んだ車を停めて、狭い階段を上れば、すぐに自宅の扉が出迎えてくれる。両隣の扉の向こうは異様に静かなので、おそらく出かけているのだろう。


「今度はネアちゃんも連れて行きましょうよ。最近拗ねてるようで、僕とお話してくれないんです」

「それは別の理由じゃないかなぁ」


 ユーシアは肩を竦めて、自宅の扉の鍵を開ける。

 ガチャンと施錠が外れる音を聞いてから扉を開けると、真っ先に金髪の少女がユーシアの鳩尾めがけて体当たりしてきた。


「おかえりぃ!!」

「はい、ただいまネアちゃん」


 ぐりぐりと鈍い痛みを訴える鳩尾に頭を押し付けてくる少女――ネア・ムーンリバーを引き剥がして、ユーシアは彼女の頭を撫でる。

 ネアはユーシアの手のひらを享受してご機嫌な様子だったが、リヴの存在に気づくと綺麗な翡翠色の瞳に嫉妬の炎を宿す。キッと彼を睨みつけると、白魚のような指先を突きつけた。


「このどろぼーねこ!!」

「昼ドラごっこはご飯のあとにしようね、ネアちゃん」

「ぷーんだ!!」


 頬を膨らませてそっぽを向き、ネアは部屋の中へと引っ込んでいく。やはりリヴに対してなにやら色々な感情を抱えているのだろう。

 リヴはがっくりと肩を落として「幼女ロリに嫌われた……」と落ち込んでいる。よほどネアに嫌われるのは堪えるようだ。


「あ、お帰りなさい。お疲れ様です」

「スノウリリィちゃんもただいま」


 部屋の奥から顔を出した銀髪碧眼のメイド――スノウリリィ・ハイアットが「ご飯できてますよ」などと冗談みたいな台詞を口にするので、ユーシアとリヴは揃って「はあ!?」と言ってしまった。


「スノウリリィちゃん、また自分で料理作ったの!?」

「アンタ、台所には立つなって言われてるじゃないですか!! 殺されたいんですか!?」

「ちょ、ちょっと失敗しただけです。今日は大丈夫ですよ!!」


 ほら、などと言いながらスノウリリィが突き出した皿の上には、モコモコと蠢く紫色のスライムが載っかっていた。

 ユーシアとリヴは二人同時に顔を見合わせて、それから再び皿の上に視線を落とす。何度見ても紫色のスライムだ、そして何故かモコモコと蠢いている。


「シア兄さん、シンデレラの【OD】の異能力は食材に生命を吹き込むものでしたっけ?」

「聞いたことないなぁ、そんな話」

「リリィ、これの料理名はスライムの盛り合わせですか?」


 リヴが皿に載せられたスライムから視線を外さずに問いかけると、スノウリリィは自信満々に胸を張って答えた。


「ハンバーグです」

「ぽーい」

「ああ!!」


 スノウリリィの手から皿を奪い取ったリヴが、外の世界へ皿ごと投げ捨ててしまう。

 ユーシアもリヴの行動には拍手を送りたかった。あんな紫色のスライムなど、ハンバーグとは認めない。


「なにするんですかぁ!! 食べ物に罪はないでしょう!?」

「アンタが食材を無駄にしてるんですよ、やっぱり焼却炉に突っ込んできましょうかぁ!?」


 スノウリリィとリヴによる激しい口論を聞き流しながら、ユーシアはやれやれと台所に足を踏み入れる。

 狭いダイニングではテレビがつけっぱなしにされていて、その前にぺたりと座ってテレビを占有するネアがいた。どうやら夜のニュースをやっているようで、その内容に釘付けになっているようだ。

 またスイーツ特集でもやっているのかな、などと思いながらユーシアは手を洗う。それから冷蔵庫の中になにが残っているのか、食材を確認しようとして、


『続いてのニュースです。本日未明、不思議の国のアリスの格好をした少女が銀行を襲い、三人が死傷する事件が発生しました』


 無機質な声でニュース原稿を読み上げる女性キャスターに、ユーシアも視線を釘付けにされる。

 画面はすぐに切り替わり、事件当時の様子が映し出されていた。

 そこは確かにゲームルバークの銀行であり、もうもうと黒煙が立ち込めている。その黒煙を引き裂くようにして現れたギザ歯のティースプーンを担いで笑う、金髪の小さな少女。

 いつのまにか口論を終えて部屋まで戻ってきたリヴも、ニュース番組に目を奪われていた。女性キャスターが『警察はこの少女の行方を追っています』という文言を最後に、別のニュースへと切り替わってしまう。


「リヴ君」

「ええ、分かってますよ」


 ゲームルバーク最強と名高い二人の悪党は、今や別のニュースを放映するテレビに視線を固定しながらほぼ同時に言う。


「アリスは殺さなきゃね」

「ええ、そうですね。アリスは殺しましょう」




 この物語は、頭のネジを二つか三つほどぶっ飛ばした狂った悪党どもによる理不尽な復讐劇である。

 この世に魔法の薬が出回り、そこに不思議の国のアリスが出現する限り、彼らの犯罪は際限なく重ねられていく。


 どうせ地獄逝きは決まった身だ。

 ならばせめて、最後の最後の最後の時まで自由に過ごしてやろうではないか。


 だから、

 ユーシア・レゾナントールとリヴ・オーリオは、今日も明日も理不尽に生きていく。

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