Ⅶ:おはよう、眠り姫
第1章【全ての始まり、全ての終わり】
その日はとてもめでたい日だった。
二〇年に及ぶ頭のおかしな連中との戦争が終わった。
「エリーゼはなんて言うかなぁ」
幼い妹は戦争がなんたるかを分かっていないが、兄が戦争を終わらせた英雄だと知ればきっと喜んでくれるに違いない。
意気揚々と家の扉を開けて、まずは帰宅を告げる挨拶から。
「ただいま」
――そこで異変に気づく。
「…………?」
鼻につく鉄錆の臭い。
「母さん? なんか血の臭いが凄いけど、生肉でも
戦争で両親を亡くした自分をここまで育て上げてくれた養母は、どこかのほほんとしていた。時折、生肉やら生魚やらを貰って帰ってきては、全身を血塗れにしながら捌いているところを何度か目撃したことがある。
エリーゼもいるんだから、と口の中で呟くが、キッチンに足を踏み入れたところでその異変が確信に変わった。
壁一面にべったりとこびりついた赤。
鉄錆の臭いの原因は、まさしくそれだった。
赤赤赤赤、どこまでも赤赤赤赤。
「え……?」
これは夢か、現実か。
壁に擦り付けられた肉片が、かつてそれがなにをなしていたのか嫌でも分かる。
それは人間だったもので、多分それはこのキッチンで料理をしていただろう人物だ。コンロにはひっくり返ったフライパンが放置されていて、赤い海に食材だったものが沈んでいる。
「母さん……?」
ギシ、と床板が軋む音。
弾かれたように顔を向けると、そこは家族団欒を過ごす居間だった。
そのソファにだらりと腰かけた肉の塊は、かつて誰だったか。その足元に落ちた新聞の束と、眼鏡と、肉片の中に混ざり込む歯もあって。
「――うぇッ」
それが自分の養父だったなんて、想像できるだろうか。
吐き気を催して、思わず
養父母は死んだ。無惨に死んだ。
ならば、幼い妹はどうなった?
「エリーゼ、エリーゼ!! どこだ!?」
血で足を滑らせそうになりながらも、幼い妹の名を叫んで小さな影を探す。
二階に繋がる階段を駆け上がり、まずは妹の部屋としてあてがわれた扉を蹴飛ばす勢いで開け放つ。
妹は、いた。
おそらく。
妹の部屋に鎮座していたのは、細切れになった肉片の数々だった。赤い海に沈むピンク色の脂肪の塊、粉々に砕かれた骨、引き千切られた髪の毛、そして血の海に沈む白い花の髪飾り。
それは誕生日に妹へ贈ったもので、彼女は好んで毎日つけてくれていたもので。
見るも無惨に殺されてしまった幼い妹の亡骸を抱き、ユーシア・レゾナントールは嘆く。
誰がこんなことを。
許せない。
心にそう呪いの言葉を刻み、かつて英雄と呼ばれた男は魔法の薬に手を出した。
それが事実だと受け入れて、今まで自分が敵として扱っていた【OD】になるまでの間、少しでも温かな家族の幻影を求めていたのかも知れない。
「――――――――」
そこで目が覚める。
ユーシアは寝癖がついた金髪を乱暴にガシガシと掻くと、そっとため息を吐いた。
「最近、この夢ばかりだなぁ」
机の上に放置された【DOF】の薬瓶を手に取ると、ユーシアはザラザラと錠剤を適当に手のひらに転がして、ぬるめの水と一緒に飲み込んだ。
睡眠薬の代わりにするつもりはないが、あんな夢を見たばかりなのだ。幻影に逃げたくなるのは当然の心理で。
「……エリーゼ、俺を責めるかい?」
部屋の隅にひっそりと立つ幻影の少女に呼びかけるが、彼女はなにも答えなかった。
復讐を後押しするような恨み辛みも、ユーシアに対する嫉妬も呪いも、なにも。
☆
「行くんですよね?」
「うわ、びっくりしたぁ!!」
昼過ぎのこと、ちょうど仕事道具である純白の対物狙撃銃を手入れしている最中のことだった。
後ろから顔を覗き込んできた真っ黒てるてる坊主――リヴ・オーリオに「行くんですよね?」と念押しするような台詞を言われて、ユーシアは一瞬だけなんのことだろうと思ってしまった。
「だから、アリスを殺しにですよ。行くんでしょう?」
「そりゃあ行くけれど」
「僕も行きますよ」
「ああ、うん……はい……」
ゴリ押しするように言ってくるリヴに、ユーシアは疑問さえ感じていた。
確かにアリスの【OD】である白兎を殺す為の算段はついている。居場所も分かった、正体も分かったのであれば、残るのは殺すだけだ。
アリスを殺しさえすれば、ユーシアの復讐劇は完遂する。そうすれば――、
「ところで、リヴ君。やたらアリスを殺しに行くことをお勧めしてるけど?」
「シア先輩の復讐劇を最前列の特等席で観させてもらってるんですから、観劇料ぐらいはお支払いしなければと思いまして」
ぽすん、とユーシアの隣に腰かけたリヴは、
「それとも、ありきたりな台詞をご所望ですか? アンタの死んだご家族は復讐なんて馬鹿な真似は望んでいませんよって」
「リヴ君がそう思ってるだけじゃないの?」
「まさか」
黒い
「アンタの復讐劇が完遂するところを、間近で見せてもらうのが楽しみで仕方がないだけですよ」
そう言って、リヴはソファから立ち上がって「行くなら一声かけてくださいね」と残して浴室に消えた。おそらく準備があるのだろう。
ユーシアは頼もしい相棒の背中を見送って、苦笑いを浮かべた。
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