Ⅳ:雪の女王の冷たい寵愛

第1章【怪しげな手紙がきた】

「このどろぼーねこ!!」


 犯罪都市ゲームルバークの片隅にある安アパートに、少女の真剣な声が響き渡る。

 艶のある金髪をなびかせ、翡翠色の瞳をキリッと吊り上げて、愛嬌のある顔立ちはやたら楽しそうな笑みを浮かべて一点を指差していた。部屋の中央で仁王立ちする金髪の少女――ネア・ムーンリバーは「このどろぼーねこ!!」と同じ台詞を繰り返す。

 対する相手は、泥棒猫もクソもない草臥くたびれたおっさんであった。くすんだ金髪に無精髭ぶしょうひげを生やしただらしのない格好をしている男であり、ちょうど煙草の代わりにしている棒付き飴をくわえながら新聞を読んでいるところだった。目を走らせていた紙面から顔を上げた男は、不思議そうに首を傾げる。


「えーと……?」

「このどろぼーねこ!!」

「ああ、うん。ネアちゃん、俺は狙撃手なんだけど……盗みはさすがにやったことないなぁ」


 くすんだ金髪の男――ユーシア・レゾナントールが苦笑しながら答えると、ネアは「ちがうの!!」と否定してくる。なにが違うのかユーシアには皆目見当もつかないのだが、我らが天使のネアちゃんが否定してくるのだから違うのだろう。

 すると、浴室に引きこもっていた真っ黒てるてる坊主がひょっこりとやってきた。黒い雨合羽レインコートまとっているのは年若い青年であり、黒い髪と黒い瞳が特徴の東洋人である。見事な気配の消し方でユーシアに近づくと、彼はなんと背後からユーシアに抱きついてきた。

 それから青年はネアを見やると、目深に被ったフードの下でニヤリと笑う。


「アンタなんかにシア先輩の正妻は譲らないわ。そこで指をくわえて見ていなさい」

「リヴ君、なにその昼ドラごっこ。俺を修羅場に巻き込まないでくれる?」


 自分に抱きついてくる黒髪の青年――リヴ・オーリオを睨みつけたユーシアは、彼を払い除けた。リヴとネアは先程のやり取りで満足したのか、二人して笑い合っている。

 どうして唐突な昼ドラごっこに巻き込まれたのか理解できない様子のユーシアに、銀髪碧眼のメイドのスノウリリィが説明してくる。


「ネアさんが最近、昼ドラごっこに夢中でして。リヴさんはそれに付き合ってあげているんですよ」

「なるほど、さすが紳士」


 ユーシアは感心したように言う。リヴとネアは「次はどんな修羅場がいいですか?」「んっとね、はんにんは、このなかにいる!」「いいですね、じゃあ死体を用意しましょうか。外で狩ってきますね」――そろそろ止めないと方向性がまずい。

 新聞を畳んだユーシアは、犯人と探偵という昼ドラごっこを展開しようとする二人に声をかけた。


「さすがにそれは止めた方がいいと思うよ、リヴ君。ちゃんとお人形さんとかにしなさいよ」

「え、外にいる人たちって動いて喋る肉人形ですよ? お人形であることには違いないですよね」

「純粋な目で言われても……うーん、どうしよう」


 この相棒の青年、頼もしい限りではあるが誰よりも殺意が強いことが玉にきずだった。「雨が降って苛立いらだったので人を殺しました」と言ってのけるぐらいなので、この世の大抵の人間をどうでもいいと思っているようだ。

 唸り声を上げながら首を捻るユーシアは、


「じゃあ、三つ隣に住んでいる浮気夫婦ならいいよ」

「了解です。三〇秒ほどお待ちくださいね」

「どろぼーねこ!」

「そうだね、ネアちゃん。本物の泥棒猫がこれからリヴ君に殺されてくるから、大人しくジュースでも飲みながら待っててね」


 足音を消して暗殺者らしく飛び出していく邪悪なてるてる坊主は、三つ隣に住んでいる浮気して駆け落ちしてきた夫婦を殺しにいった。この犯罪都市では殺人など日常茶飯事である。

 リヴが部屋を飛び出してから一〇秒ほど経過して、男女の悲鳴が聞こえてきた。壁が薄いので悲鳴を上げれば一発で場所が分かってしまう。

 愛用の対物狙撃銃を手入れしようとライフルケースをソファの下から引きずり出すと、リヴが二つの死体を引きずって部屋に帰ってきた。清々しいほどの笑顔を浮かべたリヴは「ただいま戻りました」と言って、


「あ、シア先輩」

「なーに?」

「なんか、外で金髪の優男に手紙を渡すように頼まれました。はいこれ」


 ライフルケースを開いて純白の対物狙撃銃とご対面したユーシアは、リヴが差し出してくる手紙を見上げた。

 差出人は『ユーシア・レゾナントール様』とあり、ユーシアはさらに首を傾げる。手紙を送られるような知り合いはユーシアにいないのだが、果て一体誰だろうか。

 真っ先に思いついたのは、ユーシアが【DOF】に手を染める前に所属していた革命阻止軍である。だが、【DOF】の存在を良しとしない頭のお固い連中なので、彼らから手紙がくるとは考えにくい。

 ユーシアは手紙を受け取ると、雑な手つきで封を切った。中身は本当に手紙だけで、剃刀かみそりや爆発物の類は入っていない。メモ用紙のような紙切れを封筒から取り出すと、その中身にユーシアは視線を走らせる。


 本日午後六時、喫茶店グレイブズでお待ちしております。


 差出人は『白兎シロウサギ』とあった。リヴが地下闘技場コロシアムで戦っている間に出会った、あの金髪の優男である。

 不気味な笑顔を浮かべる優男の顔が脳裏をよぎり、ユーシアは寒気を感じた。ぶるりと体を震わせると「風邪ですか?」とリヴが聞いてくる。


「怪しいお兄ちゃんから怪しい誘いだよ」

「僕が代わりに行きましょうか?」

「うーん、そうだねぇ」


 お誘いが書かれたメモ用紙をリヴに手渡すと、ユーシアは言う。


「リヴ君、悪いけどついてきてくれる?」

「了解です。最大限の装備を整えてお供させていただきます。いざとなったら殺しますのでご安心を」

「うん、よろしくね」


 完全にる気であるリヴは、早々にネアとの昼ドラごっこを切り上げて夕方の会合の為の準備に取り掛かる。取り残されてしまったネアも昼ドラごっこには飽きたのか、部屋の掃除をするスノウリリィに「えほんよんでー」とせがんでいた。

 今回の会合は吉と出るか凶と出るか――ユーシアは襲われてもいいように、純白の対物狙撃銃の整備を念入りに行うのだった。


 ☆


 ――午後六時。

 指定された喫茶店グレイブズは、ゲームルバークの裏通りにひっそりと居を構えるレトロ風な喫茶店である。夜間になるとバーに切り替わるのか、そこそこ歳を食った客が酒の入ったグラスを傾けている。

 歩きで行ける距離にあったので、ユーシアとリヴの二人は車を使わずに歩いていくことにした。ネアとスノウリリィはお留守番である。


「出会って三秒で殺し合いにならなきゃいいけど……」

「そうなったら僕が頑張りますので、安心してください」


 隣を歩く真っ黒てるてる坊主がなにやら自信満々に言ってくるので、ユーシアは「よろしくね」と任せることにした。

 喫茶店の扉を押し開けると、カランカランというドアベルが店内に鳴り響く。ライフルケースを引っ提げた男と真っ黒い雨合羽レインコートに身を包んだ不審者がやってきたことで、喫茶店の中に緊張感が走った。

 下手をすれば関係のない客を相手に威嚇をしようとするリヴを押し留めて、ユーシアは「すみませんねぇ」と用件を切り出した。


白兎シロウサギって金髪の優男と待ち合わせをしてるんだけど、まだきてなかったりする?」

「――ああ、ユーシア・レゾナントールさん。こちらです、こちら」


 喫茶店の奥の席から、身を乗り出して金髪の優男が手を振ってくる。夕方の時間帯だが黒いスーツ姿は変わりなく、整髪剤で金髪を後頭部に撫で付けている。薄気味悪さを感じさせる曖昧な笑みを貼りつけてユーシアとリヴを呼ぶ彼は、地下闘技場コロシアムで出会った時の姿と一致する。

 早くも警戒心を剥き出しにするリヴに「まだ手を出さないようにね」とだけ忠告すると、ユーシアは金髪の優男――白兎の対面に座った。


「うちの住所を知ってるだなんて感心しないな。ストーカーでもしたの?」

「いえいえ、情報屋を使わせていただきまして。警戒させてしまったのでしたら、申し訳ございません」


 ユーシアの嫌味に白兎は素直に謝罪してくるが、やはり感情の読めない笑みを浮かべたままでいるので謝罪している風には見えない。

 とはいえ、この男もまた【DOF】のとりこだ。それもかなりの量を常日頃から摂取しているので、間違いなく【OD】だろう。そんな輩を前にまともに取り合おうだなんて馬鹿馬鹿しすぎる。


「で、呼び出した理由を聞こうか? ろくでもない理由だったらこの場で撃つよ」

「ええ、まあ。実は少々、仕事で困ったことがございまして」


 白兎は注文を聞きにきたウェイターに「コーヒーを人数分」とだけ言う。口先では「困っている」と言っているが、とても相手は困っているようには見えない。


「私、これでも人材派遣の企業を営んでおりまして。今回ですね、お客様から護衛のご依頼を受けましたが、お客様が『まだ足りない、まだ足りない』と護衛の人数を不安に思っていまして」

「随分と心配性なお客さんだね。それで?」

「そこで、私は知り得る限りで腕の立つ人をお誘いしているのですが――どうでしょう? ユーシアさんもご参加されてみませんか?」


 ニコニコと曖昧な笑みを浮かべる白兎は、カクンと首を傾げて聞いてくる。

 一体なんの話が飛んでくるかと思ったが、仕事の話題で拍子抜けした。ウェイターがコーヒーを運んできてユーシアたちの席にガチャガチャと置くと、無愛想な態度で「ごゆっくり」と言い残して立ち去っていく。

 白兎はコーヒーの一つを自分の元まで手繰り寄せると、薬瓶をどこからか取り出した。中身である錠剤の【DOF】をザラザラザラーッ!! と投入するとティースプーンで山盛りになった【DOF】入りのコーヒーをくるくると回し始める。


「当然、報酬はお支払いいたします。方法も問いません。依頼主を守れれば我々のお仕事は完了ですから」

「狙撃手の俺にまでお声がけいただくなんて、光栄だね。前衛では全く役に立たないけど、それでもいいのかい?」

「もちろんです。貴方の狙撃の才能は目を見張るものがあります、ぜひ我々に協力願いたいものです」


 食い気味に誘ってくる白兎に若干気圧けおされるユーシアだが、話の内容は悪くない。相手は信用できないが、ちょうどやることもなくて暇をしていたところだ。

 ユーシアは少しだけ考えてから、白兎に「いいよ」と答えた。


「その仕事に参加するよ。俺と、こっちのリヴ君と一緒にね」

「あの時の選手ですね。大歓迎します。お強い人は何人いても構いませんので」


 白兎は嬉々としてリヴの参加も認め、それからまたどこからか茶色い封筒をユーシアに差し出した。


「こちらに仕事の内容は記されておりますので、どうかお目通しをお願いいたします。それでは当日はよろしくお願いいたしますね」


 白兎は嬉しそうに言うと、コーヒーを一気に飲み干して退店していった。ついでに代金も支払ってくれた。

 ユーシアは冷めたコーヒーに口をつけると、少しだけ柳眉りゅうびを寄せる。驚くほど味がないのだ。まるでコーヒーの色をした水である。


「いいんですか、参加するなんて言っちゃって」

「怪しい動きをしたら背後からズドンとやっちゃうよ。リヴ君はどう? 俺の一存で決めちゃったけど」

「僕は先輩の判断に文句はありません。こちらも暇だったので、ちょうどいい運動になります」

「そっかぁ」


 ユーシアは茶色い封筒の表面を指先で撫でて、つい数分前まで目の前に座っていた男を思い出す。

 やはり、あの曖昧な笑みは気味が悪い。

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